| この素晴らしい世界に祝福を! 9 紅の宿命 【電子特別版】 | |
| 暁 なつめ | |
| (2016) |
この素晴らしい世界に祝福を! 9
紅の宿命
【電子特別版】
暁 なつめ
角川スニーカー文庫
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「『エクスプロージョン』────ッッッッ!!」
腹の底に響く轟音と共に、すべてを蹂躙する爆風が荒れ狂った。
アクセルから少し離れた平原に、それは見事なクレーターが完成する。
これでまた、土木作業のおっちゃん達の仕事ができる事だろう。
ふらりと倒れためぐみんが、顔だけでこちらを見上げ尋ねてくる。
「今のは何点ですか?」
最近めぐみんから爆裂ソムリエの称号をもらった俺としては、そう簡単に甘い点数は付けたくない。
「──ふむ。破壊力だけ見れば九十点。だが、吹き荒れた爆風にいつもほどの熱が込められてはいなかった。これは暑い夏の日である事を考慮して、わざと熱エネルギーを抑えたと見ていいんだな?」
俺の問い掛けにめぐみんは、フッと口元に笑みを浮かべた。
「いかにも。ただ闇雲に威力だけを向上させてもどうかと思い、今日は爆裂魔法により涼やかな風を演出してみました。どうです? 熱くよどんだ空気を吹き飛ばす一陣の風。アクセルの夏の風物詩として名物にしても良いと思われます」
半分くらいは何を言っているのか分からないが、何となく雰囲気だけは理解した。
「オーディエンスに対するその気遣いと、美しい真円のクレーターに加点して、今日の爆裂は九十七点!」
「ありがとうございます! 精進します!」
ひとしきりアホなやり取りをした俺は倒れているめぐみんを抱き起こした。
相変わらずちっとも成長しない軽い体を慣れた手つきでおんぶする。
「いつもすいませんねえ」
「そう思うのならもっとレベルを上げて、倒れないで済むぐらいに最大魔力を上げてくれよ」
アクセルの街へ歩きながら、俺はめぐみんに愚痴を溢した。
「いくらレベルが上がったところで多分ずっとこうですよ? レベルアップで入手したスキルポイントは、すべて爆裂魔法の威力向上に突っ込んでますから」
「はあ!? お前、いつまで経っても最大魔力に消費魔力が追い付かないなと思ったら、そんな事してやがったのか! こうしておぶって帰るのも、お前のレベルが上がるまでの辛抱だと思ってた我慢を返せ!」
「まあ良いではないですか。たまにはこうした仲間とのスキンシップも必要ですよ」
「おいこら、それはお前が言うセリフなのか?」
ちっとも反省の見られないめぐみんに、スキンシップでは済まない事をしてやろうかと考える。
「私がこんなにも仲間を大事にする様になるだなんて、多分紅魔の里にいた頃の自分に言っても信じなかったでしょうね」
「今の状況で大事にされてるとはちっとも思えないんだけど」
即答する俺にめぐみんは、くすくすと小さく笑う。
「昔のお前ってどんなんだったんだ? そもそも、一体何を血迷って爆裂魔法なんて覚えたんだよ」
「血迷ったとは失礼ですね。昔の私ですか。そうですねえ......」
背中のめぐみんは昔を思い出しているのか、しばらく無言になると。
「昔の私は誰とも群れず、天才である自分なら、ずっと一人で大丈夫だと思い込んでましたね」
「お前は昔から痛い子だったんだな」
俺の感想にめぐみんが、首に回していた手に力を込める。
「おい悪かったよ、言い直すから! つまり昔からぼっちだったん......いたたたた! お前俺よりレベル高くて力もあるんだから、もうちょっと手加減しろよ!」
背負われためぐみんは、呆れた様にため息を吐きながら。
「まったく、余計な事を言うからですよ。......私がなぜ爆裂魔法を覚えたのかを聞きたかったのではないのですか?」
「おお、それだよ! 本来爆裂魔法ってのは、教えてくれる相手がいなきゃ習得できないものなんだろ? 一体どこの迷惑なヤツがお前にそんなものを教えたんだよ」
「私の恩人で憧れの人を迷惑なヤツ呼ばわりとは失礼ですよ。......そうですねえ」
めぐみんは、昔を懐かしむ様に考え込むと。
「──ある人に、爆裂魔法を覚えた事をちゃんと報告できたら教えてあげます」
そう言って、楽しげに小さく笑った。
1
人にはモテ期というものがあるらしい。
『今晩私の部屋に来ませんか? そこで大切な話があります』
......俺がめぐみんに言われたこの言葉こそが、モテ期の到来を知らせるものだろう。
前兆は前からあった。
そう、ちょこちょことこの俺に好きオーラを出していたのには気付いている。
なにせ俺は、鈍感系でも難聴系でもないのだ。
だがここで焦っては年上の威厳が崩れる。
──その日。
普段と何一つ変わる事のないクールな俺は、夕食を摂るべくいつもの様に席へと着いた。
「ねえ喜びなさいな! さっき商店街をウロウロしてたら、感謝祭の打ち上げパーティーで余ったお酒、持って帰っていいって言われたの! ほらほら、お高い一級品よ! 今日は皆を朝まで寝かせないわ!」
俺の向かいでは得意げな顔のアクアが酒瓶を抱え、皆に見せびらかしている。
今晩は大切な約束を控えている。
相変わらず空気を読まないヤツめと言いたいが、約束の事を口に出すわけにもいかない。
それにクールな俺は元より、皆だってそんな高級酒ごときでは──
「......ほう、確かに高級品だな。エリス感謝祭ではバタバタしていて皆とあまり楽しめなかったしな。今日は私達だけの打ち上げパーティーをやろうじゃないか」
えっ。
「い、いやいや、ちょっと待てよダクネス。今日は皆早めに寝るとしようよ。だってほら、色々あって疲れただろ?」
「いや? 祭りも領主の仕事も終わったし、最近は特に疲れる事などないのだが」
ダクネスは不思議そうに首を傾げ、テーブルの上に食器を並べながら言ってくる。
今晩はめぐみんと交わした大切な約束があるのだ。
それなのにこいつらに朝まで付き合ってられるか。
「俺はほら、日々のモンスターとの戦闘やらで疲れてるからさ。今日は早めに休ませてもらうよ」
「お前、今日は一歩も屋敷の外に出なかったじゃないか。毎日の睡眠時間が十二時間を超えているクセに疲れてるとは何の冗談だ」
的確なツッコミを入れるダクネスに、どうしたものかと悩んでいると。
「いいじゃないですかカズマ、朝まで皆で楽しみましょうよ」
「あれっ!?」
俺と約束を交わしていたはずのめぐみんが、重そうな鍋を両手で持ち、そんな事を言い出した。
こいつ、俺がなぜ宴会のお誘いを断ってるのか分かってんのか!
「ほら、今日はカズマの好きなカモネギ鍋ですよ。しかも、これは養殖カモネギではなく野生のカモネギですからね。経験値もたくさん詰まってて二度美味しいですよ」
そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、めぐみんは苦笑を浮かべ鍋を置く。
「お、おいめぐみん。本当にいいのか? だってほら、今晩はその......」
焦りながら囁きかける俺に向け、めぐみんはくすくすと小さく笑うと。
「別に明日でも明後日でもいいですよ? どうせ時間はたっぷりあるんですから」
分かってない、こいつちっとも分かってないよ!
なんでここでお預けなんだよ、思わせぶりな事を言うだけ言っといてふざけんなよ眠れなくなるだろ、気を持たせる様な事言っときながら待たせるってどうよ!
「カズマったらソワソワしちゃってどうしたの? 鼻の穴膨らませたりしてるし、たまに外泊に行く時みたいな顔よ?」
「べべ、別に何も!? 今夜は好物のカモネギ鍋だからソワソワしてるんだよ! これは良いカモネギだ、またレベルが上がりそうだな!」
余計な時だけ勘がいいアクアの言葉に、俺は慌てて取り繕う。
そんな俺を見ながら、めぐみんは楽しそうに笑っていた。
2
女神エリス感謝祭が終わり、街にはいつもの日常が戻っていた。
一時は女神エリスが降臨した街だと聖地巡礼ブームが起こったのだが、今ではそういった人達がちらほら見られる程度に落ち着いている。
そんな折、俺はめぐみんから部屋に来ないかと誘われていたのだが、どうにも邪魔ばかり入って困っている。
アクアが宴会をしようと言い出した夜を皮切りに、その次の日はアクアがめぐみんを連れだし自分の部屋で夜通しゲームに付き合わせたり、さらにその次の日には、私達はアクセルの街でも一流の女子なんだからたまには女子会をするべきだと、またおかしな事を言いだしたアクアに乗せられ夜を明かし、そして昨日もまたアクアが......。
......今夜は、あいつを朝まで縛っとこうかな。
朝食を終えた俺は、膝の上に乗せたゼル帝に慈愛の目を注ぐアクアを見ながらそんな事を考えていた。
紅茶を淹れる事に関してだけは定評のあるダクネスが、食後のお茶を淹れるためにポットを持って台所へと向かう中、アクアが自分の膝上に乗せたひよこを満足気な顔でそっと撫でる。
多分本人としては映画の金持ちがやる、高級なペットを撫でるセレブを演じているつもりなのだろうが、荒ぶるひよこことゼル帝は、自分に向けて伸ばされるアクアの指先を神経質につついていた。
「ところでめぐみんはさっきから何をしてるの? 見慣れない物をチクチクしてるみたいだけど」
「......これですか? これは紅魔族に伝わる魔術的なお守りです。このお守りの中に、強い魔力を持つ者の髪の毛を入れるのですよ。そして、それを仲間に渡すのです。まあ気休め的な物ですが、よく死ぬカズマに誕生日プレゼントとしてあげようかと」
本当に俺ばかりコロコロとよく死ぬが、これを貰うと尚更死ぬフラグが立ちそうな気がしないでもない。
「いいじゃないか。それは誰の髪でもいいのか? こう、多ければ多いほど効果があるとか......?」
ダクネスが、ポットに沸かし直したお湯を入れて帰って来た。
そんなダクネスにめぐみんが、お守りにせっせと自分の髪を一本詰め込み。
「多いほうが良いですよ。魔王軍打倒の遠征に出る者に持たせるお守りは、里の者全員分の髪の毛がギッシリと詰め込まれ、中からはみ出すほどです。それぐらいのお守りにもなると、それはもう霊験あらたかな事請け合いですよ。持ち主の身を守るだけでなく、その辺にポンと荷物を置いておいても中の物が盗まれなかったり、荷物を落としたのにそれがすぐに届けられたりと、効果は絶大ですよ」
それは髪の毛がはみ出してるお守りを見て、気持ち悪がって荷物を盗むのを避けたり、変な祟りを恐れて届けにいくからだと思う。
と、ダクネスが長い金髪を一本引き抜き。
「なら、こいつも入れておいて貰えないか。まあ、私の魔力は強くないのであまり効果は期待できないと思うが」
言いながら、それをめぐみんへと手渡した。
めぐみんはそれを受け取ると、なんだか嬉しそうにお守りに詰め込んで。
「............」
やがて、自然と皆の視線がアクアへ向かう。
ゼル帝に指先をつつかれて痛そうにしていたアクアが、その視線に気付いてキョロキョロと。
「......? なーに? ひょっとして身の程知らずに恐れ多くも、この女神様の髪の毛よこせとか言う気じゃないでしょうね。いい? 女神の髪ぐらいにもなるとね、その神々しさと希少価値は......」
「いいからお前も空気読んでとっととよこせ! 祭りが終わってからやたらと女神アピールしやがって!」
「いやーっ! 分かったわ、分かったから髪の毛引っ張んないで! 痛い痛い、せめて抜くんじゃなくて一本だけ切って頂戴!」
アクアから強引に抜いた髪の毛もめぐみんに渡し詰めてもらう。
日本でもお守りの中に毛を入れる的な物はあるが、それに似た感じなのだろうか。
俺とアクアを見て苦笑するダクネスが、皆のカップに紅茶を淹れてくれる。
「それじゃあカズマ、これをどうぞ。まあ気休めなので、適当に荷物の中にでも突っ込んでおいてください」
「おっ、おう。悪いな、ありがとう」
俺はめぐみんからお守りを受け取ると、部屋に置いてあるリュックサックではなく、懐の中に大事にしまった。
「あんた、霊験あらたかな私の髪が入ったお守りなんだから大事にしなさいよ。でないと罰が当たるからね」
「これ持ってる事で、俺の知力が下がったりアンデッドに好かれたりしないだろうな」
「......ねえダクネス。前からの約束通り、ゼル帝の小屋を作るのを手伝って?」
「おい何とか言えよ! これ、持ってるだけでアンデッドにたかられるやつだろ!」
アクアは俺の質問に答えようとせず、ダクネスの手を引きそそくさと出て行った。
広間に取り残された俺が深々とため息を吐くと、それを見ていためぐみんが実に楽しそうに笑っている。
「どうしたんだよ、俺の顔見てニヤニヤして。いかがわしい事でも考えてるのか?」
「違いますよ! 変な事なんて考えてませんし、ニヤニヤもしてません! 微笑んでるんですよ!」
両手でカップを持ち紅茶をすすっていためぐみんが声を上げるが、俺はあらためて今の状況に気が付いた。
ここのところ何かと邪魔が入ったが、今は丁度二人きりだ。
以前約束していた、めぐみんが打ち明けたい大事な話とはなんだろう。
「急に黙り込んでどうしました? 二人きりだから緊張しているのですか?」
俺の内心を見透かした様に、からかい口調で言ってくるめぐみん。
何だこれ、やきもきしているのは俺だけなのか?
広い部屋に二人きりなのを気にしてるのは俺だけなのだろうか。
「前に言ってた話が気になっただけだよ、めぐみんが俺に打ち明けたい事があるってやつ。いやまあ別に、そこまで気になるってわけじゃないけどな? 変な期待してるわけじゃないし、今までだってこう、勿体ぶった挙げ句に肩透かしってのが多かったからな」
上擦った声で捲し立てる俺に、めぐみんがカップを口元に寄せながらくすくす笑う。
たったそれだけの事なのに、なぜか顔が熱くなる。
どうしたんだ俺は、以前からちょこちょこ好きオーラ出されてたから、めぐみんを意識してんのか?
くそっ、俺はこんな男じゃなかったはずだ、こんな、こんなロリッ子に手玉に取られる様な男では......!
そんな内心の葛藤をよそに、めぐみんはちょっとだけ目を泳がせ。
「私がカズマに打ち明けたかった事というのは......」
と、めぐみんが言い掛けた、その時だった。
「めぐみんすまない! ちょっと来てくれ、アクアが呼んでいる! 不器用な私では使い物にならないから、めぐみんと交代だと......! アクアに、『小屋を壊してくれなんて言ってないんですけど! 作るのを手伝ってと言ったんですけど! 代わりにめぐみん呼んで、ダクネスは暇なカズマが私の邪魔しに来ない様に相手をしてて!』と言われて......」
そんな事を言いながら、ちょっと泣きそうな顔のダクネスが玄関から飛び込んできた。
......なんていうか、タイミングの悪い。
いや、良かったのか?
「ていうか物作りなら俺の出番じゃないのか? 俺は鍛冶スキルまで持ってる本職だぞ。それがどうしてめぐみんなんだ?」
「いや、私もそう言ったのだが。何でも、カズマにやらせると絶対に何か余計な事をするはずだから、と。ゼル帝の小屋をオーブンやかまどの形にしかねないから、と」
よく分かってるじゃないか。
「それじゃあちょっと行って来ますね。ダクネスはカズマのお守りを頼みます」
「おいこら、お守りって何だ、逆だろおい」
そんな俺の抗議に楽しそうに笑いながらめぐみんは出て行った。
ううむ、何だろうこれ。
やはりどうにも手玉に取られている気がする。
そんな俺とめぐみんのやり取りを見ていたダクネスが。
「............おいカズマ。お前とめぐみんとの間に何かあったのか?」
唐突に、本当に唐突にそんな事を言ってきた。
何かあったのかと言われても、今のところはお礼を言われたり、からかい気味に好きですよと言われた程度で......。
まあ、結果的に言えば。
「なんもないよ」
「何もないわけがあるか! それなら、めぐみんのあの態度は何だ! アクアから聞いたぞ? このところ毎晩の様にめぐみんの部屋に遊びに来ると。いつぞや紅魔の里でめぐみんにいたずらしようとしたお前の事だ、何かやらかしたのではないのか?」
俺の言葉はいきなり真っ向から否定された。
「前々から思ってたんだがお前らって俺の事を一体どう思ってるわけ? そろそろお前、本気で泣くまでスティール食らわせるぞコラ。俺は噓は言っていない。お前の言う何かってのが分からんが、少なくともお前が想像している様な事はなかったぞ」
そんな俺の言葉に。
「......何かとは、その、何かだ......。お前は分かっていて私に言わせたいのか? その......。めぐみんと、その、キスだとか......。胸を触ったりだとか......!」
頰を赤くしたダクネスが恥ずかしそうにそんな事を聞いてくる。
相変わらず、羞恥の基準がどこにあるのか分からないやつだ。
「いや、キスもしてないし胸タッチもした事ないぞ。この俺を見損なうな。俺の目をしっかり見てみろよ、これが噓を言っている男の目か?」
言いながら、俺はダクネスを真っ直ぐに見る。
そんな俺のくもりなきまなこを見たダクネスは、やがて徐々に狼狽えだした。
「......う。その、濁ってはいるが噓を吐いている様には見え......ない......。すまない、確かに何もなかったんだな。いや、めぐみんの様子を見ていると、何かあったのかと思わざるを得ない態度だったので......、何でもない、忘れてくれ。本当にすまない......」
ダクネスは恥じる様に、その声を小さくしていった。
そして、気を取り直すかの様にその場にスッと立ち、その胸を強調でもするかの様に腕を組む。
「最近は、お前とめぐみんの様子が何だかおかしかったのでな。二人がとうとう一線を越えてしまったのかと心配したのだ」
言いながら、ダクネスはツカツカとソファーに近づき腰を下ろす。
そして自分のカップに紅茶を注いだ。
それを、何か胸の支えが取れたかの如く、安心した様に飲むダクネスに。
言いたい放題言われた腹いせを少し込め、ぽつりと言った。
「......まったく。人の了承も得ずにいきなりキスしてくるやつにだけは言われたくないよ。ド変態令嬢のお前に比べれば、俺なんて普通の人だぞ」
俺の言葉に、ダクネスが紅茶を盛大に吹き出す。
「おまっ......! 何しやがんだ、紅茶まみれじゃねーか!」
俺は慌てて、紅茶まみれになったシャツを脱ぎ、それをバタバタと煽ぐ。
「ゴホッ! ゲハッ! ゴハッ......!」
むせるダクネスが立ち上がり、ハンカチで口元を拭いながら、
「お、お前というヤツは! 言うに事欠いていきなり何を! そんな無礼な暴言......! 暴言を......。根も葉もない暴言............」
最初は怒りながら食って掛かろうとしていたダクネスが、徐々に声のトーンを落としていく。
自分でも色々と思い当たる節があるのか、激しくむせて涙目で俺を睨んでいたダクネスは、視線を脇に逸らした。
「おっ、心当たりがあるみたいだなド変態め。普段ハアハア言いながらおかしな行動ばかり取るお前の事だ! しかも、日頃から子供に聞かせられない発言ばかりするくせに、いざ事に及ぼうとすると尻込みするヘタレ令嬢め、おっ、どうした? おい、言い返す言葉があるなら聞こうじゃないか!」
どこかの誰かの口癖を真似していると、ダクネスがソファーにストンと腰を下ろし両手で顔を覆い隠す。
肩を震わせているのは恥ずかしさのためか。
やがて顔を覆っていた手を離すと、そこには若干赤いながらも普段と変わらない冷静なダクネスの顔が現れる。
今までならば、これだけ言われれば半泣きになって部屋に逃げ帰り閉じ籠もっていたものだが、ダクネスも長い年月の間に少しは成長したらしい。
何事もなかったかの様に紅茶を淹れ直してそれをすすり、ほうと一息吐くと。
「私が悪かった。お前をセクハラ男と勘違いしていた事を謝ろう。そして、これからはもうちょっと淑女らしく振る舞うと誓おう。......なのでそろそろ許してください」
「お、おう......。俺も言い過ぎたな。仲直りしようか......」
泣いて逃げるだけだったダクネスの芸風が増えたな。
「そういえば、お前宛てに荷物が届いていたぞ。玄関の隣に置いてあるあの箱だ」
ごまかすかの様に何杯目かの紅茶を飲み干しながら、話を変えようとダクネスが言った。
平静を装っているが、精神的にはまだ動揺しているのだろう。
「おっと、アレが届いたのか。ここ最近は経験値がたくさん詰まった贅沢な料理ばかり食べ、俺のレベルも上がってきたからな。ベテラン冒険者にふさわしい装備を新調したんだよ。......ていうか、そんなに紅茶ばっか飲んでるとトイレ近くなるぞ」
「お、お前は少しデリカシーというものを......」
箱の中身を物色する俺にダクネスが恨みがましい目を向ける中、箱の中から軽いわりに強固な籠手や脛当て、胸当てなどを取り出していく。
「おっ、これこれ、良い感じだな!」
そう言って、俺は最後に箱から一本のワイヤーを取り出した。
──バインドというスキルがある。
これは最近の俺の主力スキルで、拘束に成功すればワイヤーの硬さ次第ではどんな相手でも無力化出来るというものだ。
拘束成功確率は術者の運で決まるらしく、まさしく俺にうってつけのスキルだった。
今までは特注の鋼鉄製ワイヤーを使っていたのだが、石橋は渡らず叩き壊し、新しい橋を建設する用心深い俺は、現在において最高硬度のワイヤーを発注した。
ミスリル合金で出来たこのワイヤーは、相手が霊体だろうが拘束出来る優れ物だ。
それを手に取り満足そうにニンマリとする俺に向け、
「それはもしや、バインド用のワイヤーか!? し、しかもその輝き! まさかミスリル製のワイヤーか!!」
特注ワイヤーを見た変態が、頰を赤らめて興奮しだした。
それを羨ましそうに見ていた変態は、やがて赤い顔のままモジモジしだす。
「その......。カズマ、私は拘束スキルについては一家言ある。どうだ、一つお前の特注ワイヤーを試してみないか? というか、私はまだお前のバインドを食らった事がない。パーティーメンバーであるならば、仲間のスキルの威力を把握するのは当たり前の事ではないだろうか!?」
変態はそう言いながら、俺の顔とワイヤーをチラチラと交互に見てくる。
「お前、さっきの、これからは淑女らしく振る舞う発言はどこいったんだ。それに、これは見ての通り超強力な大物モンスター拘束用だからな。バインドを試して欲しいなら、物置かどっかから細めのロープを......」
言いながら、俺が広間の脇に付いている物置からロープを出そうと......。
「いや、それがいい! ......ではなく、それでいい。大物モンスターの拘束用と言ったが、それで私一人を拘束出来ない様であれば、果たして大物モンスターに効くだろうか? いいや、効かない。だからそれで私を拘束してみろ」
と、俺を止めた変態は、何かを期待する様なワクワクした目で頰を火照らせながら言ってきた。
そうは言っても、これより劣る鋼鉄製のワイヤーでさえクーロンズヒュドラという大物を拘束した事があるので、今更これを試す必要もないのだが。
だが変態は、俺の返事も待たず嬉しそうな顔で広間に立つ。
「......というかお前、今これがいいって言ったか?」
「言ってない」
「いや、確かに言ったろ」
「言ってない。......そんな事はどうでもいいから早くしろ、その様な頑丈そうで硬くて重そうなワイヤーを見せびらかしておいて、貴様お預けする気か」
既に隠す気もなく開き直った変態に、俺はやむなく立ち上がる。
ワイヤーの強度を確かめる様にあらためてビンと両手で張ると、俺はダクネスへ向き直った。
ちなみに今の俺の格好は、濡れたシャツを脱いだせいで短パン一枚という状態だ。
それに対してダクネスは、体の線がくっきりと出る、薄手のワイシャツにタイトスカートという、お嬢様というよりも日本のOLみたいな格好をしている。
はたから見るとかなりいかがわしい絵面になっている。
上半身裸でワイヤーを構える俺を見て、ダクネスが殊更に赤い顔で途端に狼狽え始めた。
「お、おいカズマ。お前、せめて服は着ないか。その格好のお前に今から拘束されてしまうとなると、なんだか凄くいけない事をしている気分に......」
「お前は今更何バカな事を言っている」
既に色々と手遅れな変態に、俺は遠慮なくワイヤーを突き出すと。
「面倒臭いから魔力のほとんどを叩き込んで、拘束時間を凄く長くしてやるからな。そしてさっきからアホな事ばかり言うお前はその辺に転がしておいてやる」
「なっ!? この私をその頑丈なワイヤーで縛り上げただけでは飽き足らず、地に転がすだと!? さるぐつわは! さるぐつわは必要ないのか? もし私が縛られた痛みで泣き叫んだりしたらどうするつもりだ!」
「どうもしないよ」
ウチの変態は今日も絶好調な様だ。
こいつはとっとと縛り上げて転がして、アクア達の様子を見に行こう。
というか、邪魔しに行こう。
俺はワイヤーをダクネスにかざすと、
「『バインド』ッッッ!!」
叫ぶと同時に突き出した!
それを受け、俺が手にしたワイヤーがダクネスの身体にシュッと飛び、その身体を縛り上げていく。
「なっ......! こっ、これは......! くう......っ、......ああっ!?」
縛られたダクネスが、そんな大声を上げる中。
俺は縛り上げられたダクネスを見て動けないでいた。
というか、呆然と見ていた。
というか、見ざるを得ない。
「......っ、はあっ......はあっ......! お、お前というヤツは......っ! どうしてこうも、こんな、いつも私の予想を超える仕打ちばかりを......っ!」
艶っぽい息を吐くダクネスは、胸だけはしっかりと避けた状態で縛り上げられ、その部分を余計に強調させられた姿になっていた。
両手を完全に拘束されたダクネスは、縛り上げる威力が強すぎたのか、力が抜けた様に膝から絨毯の上に崩れ落ちる。
肩口から腰の近くまでをワイヤーで縛り上げられ、胸の双丘を強調されたまま絨毯の上に赤い顔で転がされたダクネスは、その手の雑誌の表紙を飾ってもおかしくないぐらいに艶めかしい。
これはいけない。
実にいけない。
こんなダクネスの状態を見られたら、アクアもめぐみんもドン引きである。
というか、これはちょっと言いわけできないぐらいに酷い。
胸を強調する様に拘束しようだなんて思っていなかったのだが、女性にスティールを使えば下着を剝いだりと、俺の使うスキルは色々と偏っている気がしてならない。
俺はモジモジしながらハアハア言っているダクネスの傍に屈み込むと。
「おい、大丈夫か? 何というか、一応それでも拘束の力は弱めにしたつもりなんだが」
「こっ......、これで弱め......! その、カズマ......っ。今度、金を払う。金を払うから、ぜひ強めの」
俺の言葉にダクネスが何かバカな事を言い掛けた、その時。
俺は背後から何かが来るのを感じ取った。
それは、長らく鍛えられた敵感知スキルによる警報だったのかもしれない。
本来はモンスターやこちらに敵意を持つ相手しか感知出来ないこのスキル。
俺が頼りにしてきたそのスキルが、主人に危機を知らせてくれたのかもしれなかった。
俺はその咄嗟の勘と本能のままに......!
──玄関のドアが開く音。
『ふう、疲れちゃった。一旦休憩にしましょうか。めぐみん、お疲れ様!』
『疲れちゃったって、アクアはゼル帝と遊んでいただけじゃないですか......おや?』
それと共に、ドア越しにアクア達の声が聞こえてくる。
「フウ......フウ......フウ......」
俺の片手に掛かるのは、縛られたままのダクネスが吐く熱い息。
『カズマとダクネスがいませんね。どこに行ったのでしょうか?』
そんな不思議そうなめぐみんの声と。
『この私のくもりなきまなこによると、どっちかの部屋でボードゲームでもしていると見たわ』
そんなアクアの声が響くと同時に、パタパタとどこかへ駆けて行く音。
恐らくアクアが、俺かダクネスの部屋へと行ったのだろう。
めぐみんがソファーに座ってお茶でも飲んでいるのだろうか、広間の方から、陶器が触れ合うカチャカチャという音がする。
俺はダクネスの体温を感じながら、咄嗟にダクネスを抱えて隠れてしまった狭苦しい物置の中、これからどうしようかと悩んでいた。
人間慌てるととんでもない行動に出てしまうものだ。
というか、あの状態で見つかるよりも今の状況を見られる方が遥かにヤバい。
なぜ俺は隠れてしまったのか。
別にやましい事なんてしていないのに。
ダクネスに頼まれてやっただけなのに。
......いや白状しよう、縛られて艶っぽい顔をしたダクネスにムラムラきてしまった。
そんなやましさからつい隠れてしまったのだろう。
大丈夫、めぐみんなら分かってくれる。
ダクネスが縛られたがるなんて想定内だろう。
そして俺が上半身裸だなんて、それこそ今更だしいつもの事だろう。
......いや、アウトだこれ。
俺はダクネスに顔を寄せ、その耳元で囁いた。
「おいダクネス。お前がおかしな事頼んでくるから大変な事になっただろ! この姿をあいつらに見られると色々と妙な事になる。それはお前にも分かるな?」
俺のその言葉にダクネスが潤んだ瞳でコクコクと頷く。
何だろう、前にも似た様な展開があったな。
ああそうだ、ダクネスの屋敷に侵入し、コイツをベッドに押し倒した時か。
というか、なぜ俺はあの時の様にダクネスの口まで押さえてしまっているのだろう。
「よし、それじゃこの状況をどうするかを考えるぞ。いいか、手を離すぞ?」
俺はゆっくりと言い聞かせながら、ダクネスの口元を押さえていた手を......、
「ッ!? いだだだだっ! お、おまっ......! なに人の手に嚙み付いてんだ、離せ! 痛い! 痛いってこのバカッ!」
離そうとした右手にいきなり食いつかれ、俺はそのダクネスの頭を左手でバシバシ叩いて引き剝がした。
「お前何してくれてんの!? 見ろこれを! くっきり歯型付いてんじゃねーか!」
半泣きで小さな声で食って掛かる俺に、
「......我慢......出来ないんだ......。何かを嚙んで、歯を食い縛っていないと......!」
ダクネスは、そんな狂犬みたいな事を言い出した。
いきなり何を言い出すんだコイツは。もうこれ以上属性を増やすのは勘弁して頂きたい。
極限状態に追い込まれた事により、興奮のあまりおかしくなったのかと思っていると。
それは、先ほどまでの艶っぽい頰の赤さではなく。
それは、泣き出しそうな羞恥に染まった赤い顔で。
「トイレ行きたい......」
「言ったじゃん! だから俺言ったじゃん! 紅茶ばっか飲んでるとトイレ近くなるぞって言ったじゃん!」
3
暗く狭い物置の中。
縛られたダクネスが頰を赤く染めている。
それは、いつもみたいな興奮による火照りではない。
「カズマ......。カ、カズマ......! どうしよう、マズい、これはマズい! というか、シャレになっていないレベルでマズいのだが......!」
小さな声で囁きながら、上半身を縛られたままモジモジし半泣きになっているダクネス。
狭い物置の中、俺はダクネスにのしかかる体勢でピッタリとくっついていた。
「人の言う事聞かずにお茶ばっか飲むからだ! 実は前々から思っていたんだが、お前結構なバカだろ!? 脳筋なのか? たまにアクアと大差ない頭の時があるぞお前は!」
俺のその囁きにダクネスが、ギリッと奥歯を食い縛ってこちらを恨みがましい目で睨んでくる。
言いたい事はあるが、今はそれどころではないので黙っているという感じだ。
というか、俺もここで争っていてもしょうがない。
「仕方がない......。もうこうなったら今の内に出て正直に話そう。めぐみんはお前と違って直情的で短気なアホじゃないしちゃんと説明すれば分かってくれる。こういう時は早めに出て見つかった方が傷は浅いんだ」
「お前が私をどう見ているのか一度徹底的に話し合いたいところだが、ちょっと待ってくれ。その......。お前は知らないだろうが、めぐみんと二人でいる時、色んな話をしていてな......。とにかく、今こんな姿を見られるのはマズい、も、もうちょっと待とう!」
何だよ、俺のいないところで何話してるんだよ。
確かめぐみんも、ダクネスと二人でいる時には俺に関する色んな話をしているとかそんな事言っていたが。
「......しょうがない。もうちょっとだけだぞ」
「おい、私の口に何か咥えさせてくれ。歯を食い縛って耐えているから!」
絵的にいよいよマズい事になると知りつつも、俺はダクネスに、さるぐつわ代わりのハンカチを咥えさせた。
薄暗い物置の中でじっと待つ。
確かアクアとめぐみんは休憩だと言っていた。
という事は、待ってさえいればいずれ休憩も終わって出て行くはずだ。
物置のドアの向こうでは、パタパタと誰か騒々しいヤツが走る音。
『いないんですけど。こないだの感謝祭が終わってこの方、いよいよニートの本領発揮して産廃にクラスチェンジしたカズマはおろか、相手をしててって頼んだダクネスまでいないんですけど』
あいつ覚えてろよ、夜中に鳥小屋を改造してやる。
確かにここのところ毎日ゴロゴロしかしてないが、人を産廃呼ばわりとはいい度胸だ。
「二人はどうしたのでしょうか? 暇を持て余したカズマなら意味もなくフラフラと出歩いてもおかしくはないのですが。お守りを頼んだダクネスまでもが一言もなしにいなくなるというのは......」
俺、そんなに無責任な遊び人みたく思われているのかなあ......。
......と、その時。
「......ッ! ......ッッ!」
ダクネスが、何かを訴えかけるように小さく呻く。
見れば、この狭苦しい物置の中で我慢しているせいもあってか汗ばんできたダクネスが、いよいよエロティックな具合になって息を荒らげていた。
うなじを流れ落ちる一滴の汗。
密室でこんな状態というのは本気でシャレにならない......、うおっ!
「コッ、コラッ! いきなりどうした、暴れるな!」
突如動き出したダクネスに囁きながら、俺は咥えさせていたハンカチを取る。
「......ハアッ! だ、ダメだ......! 予想以上にダメだ......!」
「お前頑張れよ、もうちょっと頑張れよ! あいつらはただの休憩だから、すぐにまた作業に戻るって!」
というか、ダクネスがこの狭苦しく暑苦しい物置で中途半端に我慢したせいで、お互いが汗ばみ火照り、余計に事態が悪化していた。
「ていうか言ったじゃん! だから俺言ったじゃん! 出るんなら早めの方がいいって言ったじゃん!」
「す、すまん......! でも、でも......!」
まだ何かを言おうとするダクネスの口に、俺はこれ以上は問答無用とばかりにハンカチをねじ込んだ。
先ほどまでならばともかく、今の状態のダクネスを出すわけにはいかない。
じっとりと滲んだ汗でワイシャツが肌に張り付き、これはもう何もなかった事を理解して貰っても、こんな状態のダクネスを監禁してたってだけで軽蔑されそうなレベルだ。
せっかくめぐみんと良い感じになりかけているのだ、このアホのせいでぶっ壊されてたまるか!
俺がそんな事を考えていると、ダクネスがもう我慢出来ないとばかりに、上にのしかかっている俺を撥ね飛ばして飛び出そうと激しく暴れ出した。
それを慌てて上から押さえつけ、ダクネスの耳元で囁きかける。
「おい、大人しくしてろ! お前さえ我慢してくれれば丸く収まるんだ。そもそも、一々俺の言う事を聞かなかったお前が悪いんだぞ! ジッとしてろ!」
俺の言葉にダクネスが、全てを諦め観念したかの様に目を閉じる。
おい止めろ目を閉じるな、以前屋敷に侵入した時といい、お前はこういう状況になった時、諦めるのが早すぎる!
こんな状況で見つかったら本当にシャレにならないと、俺はダクネスの口に咥えさせていたハンカチを抜き取ると。
「おい止めろ、目を閉じるな! いいか、アホなお前に説明してやる。この状況で飛び出せば間違いなく皆とは気まずい事になる。アクアに見つかってみろ、ギルドの連中に嬉々としてこう言って回るぞ。『大変よー! 上半身裸のカズマと縛られた状態のダクネスが、物置に籠って二人で汗だくになってたの! 何があったかは皆のご想像にお任せします!』ってな」
「うううう............」
ダクネスの泣きそうな呻きを聞きながら、のぼせた頭を冷やすため僅かに残っていた魔力でフリーズを掛ける。
暑い物置の中でフリーズで涼を取る俺を羨ましそうに見上げながらも、自分にも掛けてくれとは言わないダクネス。
今の状態で冷えると危険な事はちゃんと分かっているらしい。
と、ダクネスがモジモジしながら......。
「......な、なあカズマ......。こんな時なのに、トイレを我慢させられているこの状況が少し楽しくなってきた私は変なのだろうか」
「よし、もうお前は出来るだけ黙っていろ。極力喋らないでくれ」
救いようもない変態を強めに罵っていると、物置の扉越しにこんな会話が聞こえてきた。
『なーに? めぐみん、そのお守り何個作る気? カズマの荷物袋がパンパンになるまで持たせるつもりなの?』
どうやら、めぐみんはまだ他にもお守りを作っているらしい。
『違います、これは皆の分ですよ。こっちがアクア、これが私。......そして、いつもその身を盾にして私達を守ってくれているダクネスには、この一番頑丈に作ったやつをあげるんです』
めぐみんのそんないじらしい言葉を聞いて、モジモジしていたダクネスが動きを止めた。
......今この時、俺とダクネスの思いは一つになったようだ。
それはこの状況をめぐみんに見られ、ガッカリされるのだけは何としてでも避けたいという願い。
ダクネスが、上に乗っかる俺に囁いてきた。
「......おい、この状況をなんとか出来ないか。機転が利くのがお前の取り柄の一つだろう。何かないのか?」
こんな状況でそんな事を言われても。
俺は人二人がギリギリで座っていられる物置の中を、使える物が何かないかと探してみた。
......と、俺はある物を見つけ出す。
俺の運が良いというのは本当だったらしい!
「ダクネス喜べ、良い物を見つけたぞ! これで一番の難題は解決した!」
そう言って、俺はダクネスに嬉々としてソレを見せつけた!
ジュースの瓶。
「......ッ! ......ッ!!」
「や、やめっ、止めろ! 無言のまま頭突きすんな!」
俺が差し出した小瓶では不満らしい。
「チッ......。何かないかと言ってきたのはお前だろうに。まったく、これだからプライドだけは高いお嬢様は......」
何気なく俺が言ったその言葉にダクネスがバッと頭を上げた。
「おい待て貴様、今何と言った。私は貴族としてのプライドで拒否しているのではない! 女だ! 女としてのプライドだ! 人として捨ててはいけない何かだろうコレは! こんな物に済ませるヤツがどこの世界にいる、このド変態が!」
「俺のいた国で自宅を守る仕事に就く者の一部には、席を外せない時にはこれに似たペットボトルって物で済ませる猛者がいたぞ」
「!?」
そんなバカな会話を続ける俺達に比べ、扉の向こうでは......。
『──ねえねえめぐみん。何だか嬉しそうにそれ作るわね。私、なんかめぐみん見てるとほっこりするわ』
そんなのんびりとしたアクアの声。
『嬉しいですよ。このお守りは願かけなんです。誰も欠ける事なく、ずっと皆で一緒にいられますようにっていう。......アクアにも、いつも感謝してますよ? ずっと一緒にいましょうね』
『めっ......めぐみんっ! なんて......、なんていじらしいの? 分かったわ、どうせ天界には帰れないんだし、女神の仕事は置いといてここで楽しく暮らしましょう! お金はカズマが何とでもしてくれるわ! 豪遊よ! 皆でおもしろおかしく豪遊するの!』
『アクアはまだ女神がどうとか、天界がこうとか言っているのですか。まあ、皆と一緒にいられれば何でもいいのですが......』
広間では、そんなちょっと楽しげでほのぼのとした会話が進む中。
「──大体な、前々から思ってたんだよエロ貴族! やらしい身体でやたらと男を誘う色気を振り撒くクセに、何だかんだと身持ちが堅いってどういう事だ! ムレムレの身体しといて変なところで恥ずかしがりやがる! お前何なの? 変態痴女なのか純情娘なのかハッキリしろよ! どスケベなクセに処女とかどうなってんだよ半端者が!」
「よし、貴族の権力を行使するのは嫌いだが、貴様だけは特別だ! 貴族を侮辱した罪で、貴様は処刑だ、処刑してやる!」
先ほどはうつ伏せの体勢で物置の中に屈み込んでいたダクネスが、今は両腕を縛られたまま、この狭い中仰向けになっていた。
その体勢のまま、狭い中逃げ場もない俺に向かって何度も何度も蹴りつけてくる。
「やってみろ! やれるもんならやってみろよお嬢様! 最弱職の冒険者に勝てないクルセイダーさん、俺に一対一の勝負じゃ勝てないからってお父様の力にすがりに行くんですか、ララティーナ様格好良いですねぐあっ!」
「上等だ、あの二人が外に出たら決闘だ、ぶっ殺してやる!」
「やりやがったな、貴族の令嬢がはしたなくも人の顔足蹴にするってどういう教育受けてんだ! さすがお嬢様は言葉遣いも違いますね!」
「ああっ、やっ、止めろっ! 腹を押すな! こんな所で私が我慢できなくなったなら、お前だって他人事ではなくなるからな!」
こんな緊急事態にも拘わらず、俺達は状況も忘れて小さな声で喧嘩していた。
広間で和やかに会話している二人に比べ、俺達の人間の小ささが良く分かる。
『──ねえ、なんかどこかで、カタカタと音がしない?』
『そうですか? なにも聞こえませんが。それより、そろそろ作業に戻りましょうか。夕飯までに終えて、今日は焼き肉にでもしませんか? その頃にはあの二人も帰って来るでしょう』
『いいわね! 夏といえばバーベキューの季節だし、キンキンに冷えたクリムゾンビアーを飲みたいわ! あの二人が帰って来たら料理の仕込みをさせましょう!』
そんな和やかな事を言いながら、再び屋敷から出て行く二人。
そして......。
「舐めやがってこのエロいだけが取り柄の肉盾が。お前の存在意義を教えてやんよ!」
「やってみろ! 肝心なところでヘタレる根性なしが、やれる物ならやってみろ!」
俺とダクネスは本来の目的も忘れ、アクアとめぐみんが出てった後も、狭い物置の中で喧嘩していた。
──俺は荒い息を吐きながら、物置から引きずり出したダクネスをなんとか立たせる。
「クソッ、アホな事に時間取られた......。何をやってるんだ俺達は......。もういいから、とっととトイレでも何でも行ってこい。......はあ、俺は疲れたから部屋に戻って昼寝してくる」
ダクネスは疲れた顔の俺を一瞥し。
「まったく、こっちこそくだらん時間を取られた。寝るなら寝て来いぐーたら男め。私もトイレに行ったらお前のバインドの効果が切れるまで、自室で大人しくしている事にする。いいか? バインドの効果が切れたら、その時こそ一度真剣に勝負しろ。ここまで舐められっぱなしでは気がすまん」
そんな捨て台詞を残して、上半身を縛られたままてくてくとトイレに向かって歩いて行った。
......まったく、なんて女だ。
アイツには物分かりの良いめぐみんの爪の垢とかを、少し煎じて飲ませてやりたい。
俺はヨタヨタしながらトイレに向かうダクネスを見送り、二階の自室へ歩いて行った。
やがて自室のベッドで横になり危機を乗り越えた事に息を吐くと、部屋のドアがドンドンと叩かれる音がした。
......というか、思い切り蹴られる音が。
何だと思ってドアを開け、そこに立つ人物を見て不審に思う。
それは困った様な、今にも泣きそうな表情を浮かべるダクネスだった。
先ほどの事を気にして謝りにでも来たのか?
別に、気位の高いコイツとは喧嘩ぐらいはしょっちゅうするし、今更謝りになんて来なくても......。
俺がそんな事を考えていると、ダクネスは膝をこすり合わせてモジモジしながら。
「す、すまない、カズマ......さん......。その、手が使えないので、トイレのドアが開けられません......」
ラウンド2!
4
俺の部屋から一番近いトイレは二階にある。
ここなら急にめぐみんやアクアが帰って来ても、玄関から距離もあるからまだ対処もしやすいだろう。
「は、早く早く、早くしろ! ヤバい、もう本当にヤバい!」
泣きそうな顔で急かすダクネス。
早くしろというのは、トイレのドアを早く開けてという事だ。
......先ほど散々喧嘩した後だ、もうちょっと追い詰めてみたい。
「何がどうヤバいのかをもっと詳しく」
トイレのドアの前でモジモジしていたダクネスは、
「おおおおお、お前と、お前というヤツは......! こんな時にこんなプレイをしてくるだなんて、お前はどこまで私好みな......! ああもう、私が悪かった! 悪かったから開けてくれ! 今はこんなプレイを楽しんでいる余裕は本当にないんだ!」
今にも本当に泣きそうな顔で、微妙に息を荒らげていた。
「しょうがねえなあ。ああ、しかしお前が用を足したら決闘かあ......。嫌だなあ、それを思うとどうしても、このドアを開ける手が鈍く......」
そんな、ネチネチと嫌がらせをする俺をジッと見詰めていたダクネスが。
「............グスッ............」
「悪かった、俺が悪かったから泣くな! おいズルいぞ、女が泣くのはズルい!」
ポロッと一粒涙を零したダクネスに、俺は大慌てでドアを開ける。
だが......、
「......もういい。このまま漏らしてめぐみんやアクアに泣きついてやる」
「悪かった! 本当に俺が悪かったから! 調子に乗った! 謝るから許してください!」
とんでもない事を言い出したダクネスに、今度は逆に俺が泣き顔になり、開けたドアの前から立ち退いた。
両手を縛られたままのダクネスがトイレに入ると、俺はドアを閉めて息を吐く。
これでもう大丈夫。
「お、おいカズマ、下着! どうしよう、下着が脱げない! ああクソッ、これ......、もうほんとどうしよう......っ!」
トイレの中からはダクネスの泣き声が。
なんてこった、非常事態という名の誰に恥じることもない大義名分が出来てしまった。
「よし分かった任せとけ。俺がパンツを下ろしてやるよ」
そう言いながら再びドアを開ける俺に、ダクネスが大慌てで言ってくる。
「おい待て、待ってくれ! ......うう、クソッしょうがないか......。おいカズマ、せめてトイレの窓に掛かっているカーテンを閉めてくれ! それで暗くすればなんとか......!」
なるほど。
しかし......。
「千里眼スキルなんてものを持っていて、本当にすいません......」
「ああああもうっ、お前ってヤツはどうしてそう便利なんだ! そんなだから肝心な時にいつもいつも頼りになる、ありがとうっ!」
完全にパニックになっているダクネスが、訳も分からず泣きながら、ヤケクソになって礼を言う。
これは本当に限界が近いのだろう。
と、ダクネスは何かを閃いたかの様にパアッと顔を輝かせた。
「スティールだ! カズマ、トイレのドア越しに私にスティールを掛けてくれ! お前のセクハラじみたスティールならば、私の下着だけ剝ぎ取れるだろう! 下着を見られるのはもう仕方がない、スカートの中に手を突っ込まれ下着を下ろされるよりはマシだ!」
なるほど、それは良い考えだ。
しかし......。
「先ほどの、お前にほぼ全力で掛けたバインドと、物置で使ったフリーズのせいで完全に魔力は空です」
「さっきの、肝心な時にいつも頼りになるという言葉とありがとうを返せ! ああもう、ああもう、ああもう............っ!!」
結果、俺が少しだけ下着を下ろしてやり、後はトイレの中でダクネスが、壁を使って自力で頑張る作戦に。
ゴソゴソと聞こえてくる音が凄く気になるが、これ以上いる必要もないだろう。
俺がその場から立ち去ろうとすると、
「カッ、カズマ! カズマ、行く前にちょっと待て! で、出ない......っ! どうしよう、出てこない......!」
そんな、苦しそうなダクネスの声が。
いや、それこそ俺に言われても。
我慢をし過ぎて身体に支障をきたしたのか?
ともあれ、今の俺に出来る事と言ったら......!
俺はその場で軽快に手拍子を取りながら。
「頑張れ頑張れダ、ク、ネス。頑張れ頑張れダ、ク、ネス」
「バカッ、お前はどうしてそうなんだ! 紙だ! トイレ紙がロールから出てこない!」
ああ、なるほどそっちか紛らわしい。
この世界のトイレ紙は、使用するのは古い布か目の粗い落とし紙だ。
紙自体がそこそこの値段がするこの世界。
トイレットペーパーなんて使っているのは一部の金持ちくらいのものらしい。
紙を出してやったところで両手が使えないのにどうするんだろうとも思ったが、俺は中に向かって呼び掛けた。
「それじゃあ開けるぞー!」
「一体何を開ける気なんですかあなたは」
トイレの入口には、いつの間にかめぐみんとアクアが立っていた。
「──まったく、アホですねえ......。長い付き合いですし、今更そんな状態でも誤解なんてしませんよ」
ざっと事情を説明しただけで全てを理解し、呆れた声で言ってくるめぐみん。
この理解の早さと知性を他の二人にも見習って欲しい。
そんなめぐみんを見て、ダクネスが縮こまる様に身を小さくしながら呟いた。
「うう......面目ない......」
と、めぐみんが。
「それに」
ダクネスと、そしてアクアにお守りを差し出し。
「それに、こんな風にわけも分からず毎日バタバタしている方が、私達らしいじゃないですか」
そう言って、実に嬉しそうに笑みを浮かべた。
釣られる様に、自然とダクネスや俺も笑みを浮かべ......。
そんな和やかな空気が、相変わらず空気を読まないアクアの言葉で凍りついた。
「ところで、間に合ったの?」
そこは俺も気になってた。
5
その日の夜。
「まだかな......」
俺は自室で、今日はめぐみんが来るというので、今か今かと待ち構えていた。
いつも邪魔するアクアには奮発して高い酒を買ってやった。
ダクネスには、わざわざ高品質のマナタイトを買ってきて超強力なバインドを使い、部屋に転がしてある。
このプレイ料金は一体幾ら払えばいいんだとおかしな事を叫び、顔を赤くして身をくねらせていたし、あれなら朝まで動けないだろう。
ソワソワしながら待っていると、控えめなノックの音が聞こえてきた。
「カズマ、いますか?」
「おお、おう! どどどどうぞ!」
緊張のあまり声が裏返るが、それはどうやらめぐみんも同じな様だ。
枕代わりなのかなんなのか、胸元にはされるがままに身動き一つ取らないちょむすけを抱いたまま、部屋に入るなり唾を飲む。
「ど、どうも。......そういえば、こんな時間にカズマの部屋を訪れるのは初めてですね」
「そ、そうだな! もう一年以上同じ屋根の下で暮らしてるのにな!」
めぐみんはいきなり本題に触れる事はなく、俺の部屋をキョロキョロと見回していた。
その辺にある物に興味を示すのはいいが、クローゼットの上の置物は、何かの拍子でうっかりアレが見つかりそうなので触らないで欲しい。
と、何だか落ち着きのなかっためぐみんは、俯いたまま黙り込む。
お互いに何だか気まずくなり、しばらく無言が続く中。
「こんな時間に訪ねてきたのは、前々から言っていた打ち明けたい話の事でして......」
やがて意を決した様に、めぐみんはちょむすけを抱く手に力を込めた。
ぐったりしてきたちょむすけを尻目に、めぐみんは耳を赤くし頰を染め、瞳を紅く輝かせると......!
「打ち明けたい話とは......」
「打ち明けたい話とは!?」
俺はゴクリと喉を鳴らし、思わず顔を近付ける。
「ちち、近いですよカズマ! ちょっと待ってください、そんなに焦らなくてもいいですから!」
「焦ってなんかないよ、っていうか距離なんてどうでもいい、続きを早く!」
早く早くと促す俺に、
「打ち明けたい話というのは......そ、そう! こ、この子の事です!」
めぐみんはそう言って、抱いていたちょむすけをこちらに差し出......。
「......えっ」
「この子の正体を、カズマにだけは打ち明けておこうと思いまして!」
ちょっ......!
「違うだろ、お前ここまできて何だよヘタレ! お前らはいつも俺の事ヘタレだの腰抜けだのチキン南蛮だの言ってるクセに、そっちだってとんだヘタレじゃねーか!」
「チ、チキンなんたらは言ってませんよ! それに私が打ち明けたい事とは、本当にこの子の事です!」
「噓吐き! めぐみんの噓吐き! お前もっと甘ったるい事言いに来たんだろうが、これだけ期待させといて何日和ってんだ!」
顔を真っ赤にしためぐみんは、開き直った様にちょむすけをズイと差し出す。
「実はずっと黙っていましたが、この子はただの猫ではないのです」
「知ってるよ! 俺、そいつが炎吐いたり飛んだりしたのを見た事あるから!」
「......何言ってるんですか? この子は猫ではありませんが、さすがに火を噴いたり飛んだりする事はありませんよ」
「前からずっと言ってるだろ、俺は見たって! 止めろよ、かわいそうな人を見る目を向けるなよ! ああもう、今はそんな事どうだっていいんだ!」
そう、正体不明の猫よりも今はめぐみんの恋心だ。
「ほら、もう一つ俺に打ち明ける事があるんだろ!? 勇気を振り絞ってほら早く!」
「うう......」
ジリジリとドアの方に後ずさるめぐみんに、俺も同じくにじり寄る。
「ほら早く、言っちゃえよ! っていうかもう半分言ってる様なもんだし! 俺にちょこちょこ好きですだの愛してますだの言ってるじゃん!」
「愛してますまではまだ言ってませんよ、勝手に拡大解釈しないでください!!」
追い詰められためぐみんは、感情が昂ぶっているのか上気した顔以上に、瞳を紅く輝かせ、何かを言いたそうにしてはそれを止める。
やがてめぐみんは抱いていたちょむすけをグイと押し付けると。
「昼間はダクネスとあんな事になっていたクセに、節操がないですよ! 今日のところはこの子と一緒に寝てください!」
逆切れ気味にそう言い捨て、俺の部屋から飛び出して行った。
アイツ、昼間は何も気にしてない様な事言ってたが実はちょっとだけ気になってたのか?
今日のところはこの子と一緒にって言ったが、という事はコイツ以外と寝る日もあるって受け取ってもいいのか?
いや、っていうか......!
「また勿体付けてこんなんかよおおおおおおおおお!」
1
「..................」
アクアが柔らかな絨毯の上で体育座りしながら俺を見ている。
こいつは朝から飽きもせずにそんな事をしているがどうしたのだろう。
最近のめぐみんやダクネスとの関係といい、モテ期がきたと言えなくもない俺に、コイツまでも陥落してしまったのだろうか。
これはもしや、惚れた男を見る女の目というヤツなのか?
俺は広間のソファーの上でゆったりくつろぎアクアに言った。
「......どうした、そんな風にじっと見て。ああ、これが欲しいのか? アクアも飲むか?」
そんな事を言いながら、手にしたシャンパンみたいな物を一気に飲み干す。
シュワシュワというかシャワシャワというか、変わった味だ。
アクアいわくこれはちょっと良い酒らしいが、どこら辺が良いのか俺には酒の味が分からない。
分からないが、朝からこういった高い酒を飲んだくれるというのは、ある意味勝ち組の特権ではないだろうか。
やはり、そんな俺をジッと見ていたアクアは。
「......祭りが終わってからというもの、カズマがビックリするぐらいのダメ人間になったなーと思って」
おっと、惚れた男を見る目ではなくダメ男を見る目でしたか。
だが、今の俺はそんな一言では動揺もしないし怒りもしない。
若くして、屋敷と共に一生遊んで暮らせる大金を得た男の余裕ってやつだ。
「おいおいアクア、お前は何を言っている。俺達は成功者だぞ? 身の丈に合った暮らしをして一体何が悪いんだ。銀行に大金預けている以上、これからは利子だけで食べていけるんだぞ? もう労働なんてバカらしい。気が向いた時に冒険行って、後はおもしろおかしく遊んで暮らそう」
俺の言葉に、アクアがなるほどと呟く。
そして、テーブルの上に置かれていた俺のシャンパンを手に取った。
「言われてみればそれもそうね。じゃあ私も、この高級ネロイド割りちょっと貰うわね」
「......それ、シャンパンだろ?」
「ネロイド割りよ。この世界に炭酸なんてないもの。シャワシャワする飲み物には大概ネロイドが混ざってるわよ」
言いながら、アクアがそそくさとグラスを取りに行く。
と、そんなアクアと入れ替わりに、ダクネスとめぐみんがやって来た。
......というか、二人とも冒険にでも出るような格好だ。
ダクネスは鎧をガチガチに着こみ、めぐみんもしっかりと愛用の杖を握っている。
それを見て。
「一日一爆裂か? 気をつけてなー。それと、金は後で払うから帰りに晩飯を買って来てくれないか? 出来れば、夜はこってりした物が食いたい」
俺はソファーに横になったまま、二人にそんな事を言った。
そんな俺の姿をめぐみんとダクネスはじっと見る。
今度こそ、惚れた男を見る女の目ってやつだ。
「......ダクネス、働きもせず朝から飲んだくれてるこの男、どうしましょうか」
「......どこかに捨ててくればいいのではないかな」
あれっ。
......どうも今回も違ったらしい。
これは愛想尽かした男を見る目ですね。
そんな二人に、俺はソファーに仰向けに寝転がりながら言い返した。
「お前らな。言っておくが、俺にはもう働く意味がないんだよ。人はなぜ働くんだ? それはお金を得て生活をするためだろう。だが俺は、もう一生暮らせる大金を得ている。なら、残りの人生自堕落に暮らして一体何が悪いんだ。別に人様に迷惑掛けているわけでもあるまいに」
そんな事を言いながら、俺はテーブルの上に置いておいたつまみ代わりのさやエンドウをポリポリかじった。
そんな俺を見て、ダクネスが重々しくため息を吐き。
「嘆かわしい......。大金があるからもう働かない? 皆がそんな考えであれば、世の中上手く回っていかなくなるぞ。たとえ働く必要がないぐらいに金はあっても、何がしか世に貢献するのが人としての役割だ」
そんな立派な事を言うダクネスに、俺はポツリと。
「お前ら貴族と同じ様な日々を送っているだけじゃないか」
「ぶ、無礼者! 貴族をバカにするな! お前達の目には何もしていない様に見えるかもしれないが、民が平穏に暮らしていける様粉骨砕身働いているんだぞ。お前には、民のためになれる力があるだろう。金のためとは言わず、愛する人のためだと考えてはどうだ。人に害を成すモンスターを倒すだけでも、ここでゴロゴロしているよりは......」
俺は何か立派な事を言っていたダクネスに背を向けて、ゴロンとソファーの背もたれ側に顔を埋めてアクビした。
「あっ!」
それを見たダクネスが声を上げているが気にしない。
長いお嬢様人生の中、自分が熱く語っている途中で誰かにそんなぞんざいな扱いを受けたのは初めてなのだろう。
俺の名は佐藤和真。
権力には屈しない男。
権力者側のダクネスが働けと言うのならば、それに断固として歯向かうのが俺の務めではないだろうか。
俺の態度に腹を立てたのか、ダクネスがツカツカとソファーに歩いて来る。
そして、俺の服の背中を引っ張り。
「カズマ、いいからちょっと一緒に来い。毎日ゴロゴロしていたら体が鈍ってしまうぞ。我々と共に討伐......こ、こいつっ! コラッ、手を離せ! 抵抗するな!」
ソファーにがっしりとしがみついて抵抗する俺を、ダクネスは本格的に引き剝がそうと......!
と、そんなダクネスにめぐみんが待ったをかけた。
「まあまあダクネス、ここは私に任せてください。......カズマ、たまにはカズマが活躍するところを見せてくださいよ。イザって時は頼りになる、そんな格好良いとこを私に見せてくれませんか?」
ソファーにしがみつく俺に、めぐみんが屈み込み口元に優しい笑みを浮かべて言ってくる。
俺はそんなめぐみんを、一瞬だけちらりと見て。
「............」
再びプイッとソファーの方を向きしがみついた。
「あれっ!?」
めぐみんが軽くショックを受けた様な声を上げる。
俺の名は佐藤和真。
一時の情に流されて、本質を見失う事などしない男。
最近良い感じになっためぐみんといえどそこは簡単には譲れない。
今日はしばらく飲んだくれたあと夕方まで昼寝をし、飯を食ったら夜遊びに行くという過密なスケジュールが立てられているのだ。
俺はソファーに横たわったまましっかりとしがみつき、そのままの体勢で二人にチラッと視線を向けた。
「......モンスターは人に害を成すから見付け次第に駆除をする。その他の、人に利益を与える生き物は生かしてやる。俺は、そんな傲慢な考え方は嫌いだな。人は賢い生き物だ。俺達はもっと彼らに対して優しくなれる。お前らも、子供の頃に持っていた優しい気持ちを思い出して欲しい」
俺は二人にそう告げると、さやエンドウをひとつ摘み、それを口にして再びソファーの背もたれへ向き直り......。
「お、お前は自分が借金まみれの時は、血眼になって美味しいモンスターはいないかと探していたではないか! こんな時だけ綺麗事を言い出すな!」
「そうですよ! 最近では楽にレベルを上げられる高級食材、カモネギを好んで買い漁っている人間が何を今更綺麗事を! ダクネス、そっち持ってください! 引き剝がしましょう!」
ダクネスが俺の足を摑むと、めぐみんが俺の背中にピタリと張り付き、ソファーから引き剝がそうと俺の腰に手を回す。
俺は背中にめぐみんの体温を感じながら。
「おい、俺の背中にくっ付けた胸をもっと押し付けるんだ。そうしたらソファーにしがみつく力を弱めないでもない」
「最悪です! やはりこの男は最悪ですよ! ダクネス、この男にロープでも掛けてギルドまで引きずって行きましょう!」
「も、もうこの男は本当にどこかに捨ててきてしまった方がいいんじゃないのか......?」
二人がそんな事を言いながら、ソファーから俺を引き剝がそうとする中。
澄んだグラスと簡単なつまみに、更にはライムか何かを載せた皿をお盆に載せたアクアが戻って来た。
「......一体またどんな斬新な遊びをしているの? 遊びのルールを教えて頂戴」
「違う! これから皆で討伐クエストに行こうという話をしていた。だがカズマが行きたくないと駄々をこね......。というかアクア、お前までこの男に毒されないでくれ......」
ダクネスが、アクアが持つお盆を見て困った様な顔をする。
......毒されたとは失礼な、むしろアクアは昔からこんなもんだっただろうが。
アクアが首を傾げ、皿の上のライムを摘んで口に入れ、酸っぱそうに顔をしかめながら。
「ふーん? 私は別に行ってもいいけれど、お祭りも終わってクソニートの本領を発揮したカズマを連れて行くのは至難の業だと思うの。ここは貧弱な最弱職のカズマさんは置いといて、私達だけで行けばいいんじゃない?」
そんな、さすがに聞き捨てならない事を口にした。
俺はアクアの何気ないその一言にムクリと起き、
「......おいおい、言ってくれるな上級職のアクアさんよ? 何だかんだ言ってこのパーティー内で一番強いのは俺だろ、常識的に考えて。そんな俺を未だに最弱職呼ばわりですか? パーティー内で役割の違う俺達が強さを比較するのは意味のない事だが、弱っちい上級職さんに言われるとカチンと来ますよ?」
そこはキッチリ言っておくべきとばかりに向き直る。
アクアは、酸っぱそうにしながらも二個目のライムを口に入れ。
「あら、カズマったらこの中で一番強い気でいたの? 確かにカズマのスキルは便利ね。ドレインタッチなんて使ったなら、ダクネスなんて簡単に無力化されちゃうでしょうし。......でも忘れたの? 私にはドレインタッチなんてリッチースキルは油断している時ぐらいにしか通用しないって事を。カズマが私をどうにか出来ると思ってるの?」
「おい待て、私だってそんなに弱くはないぞ。最近はドレインタッチや魔法攻撃対策に、状態異常耐性や魔法防御力を上げるスキルをさらに強化してだな......」
ライムを口の中で転がしながらアクアが挑発的に言ってくる。
こんな挑発に乗るのはバカらしい。
バカらしいが、ここはちょっと言っておかなければならない。
「おいアクア、俺をドレインタッチだけが武器の男だと思うなよ? 堅いだけで当たらないダクネスなんて最初から勝負にならないぐらい、様々な応用が利くカズマさんだぞ? 様々な魔法やスキルを始め、遠距離からの狙撃、そして接近しての剣での攻撃。お前、勝ち目なんてあると思ってんの?」
「お、おいっ! 私だって、当たらないとはいえ体力と耐久力には自信がある! 長期戦に持ち込めばお前と互角に戦う事も......!」
俺の言葉にアクアがピクリと眉を動かした。
そして、持っていたお盆をテーブルに置くと。
「あらあら、カズマさんたら勘違いしちゃってるみたいね? 私のクラスはアークプリースト。とはいえ、その高いステータス的に魔法使い以外のクラスなら何にだってなれた女よ? ちょっと剣が使える? ちょっと弓が使える? 私が自分に支援魔法をかけて殴りかかったなら、カズマなんて一分と持たないわよ? ああ、それと......」
アクアはその長い青髪をファサッと払い、自信たっぷりに言葉を続けた。
「他にもバインドってスキルを覚えたみたいね? でも残念ね、そんなので搦め捕られるのはダクネスぐらいよ? 私にはブレイクスペルっていう、あらゆる魔法やスキルを強制解除しちゃう魔法があるの。そして私は長い付き合いですもの、カズマの小賢しい小手先の技なんて通用しないわよ?」
「お、おい......。確かに私はバインドを使われると無力化はする。するが......。というかアクア、そんな事が出来たのなら私が先日拘束されて不自由していた時も、さっさとそれを使ってくれれば......」
自信たっぷりな顔で不敵に笑うアクアに、俺はキッパリ言った。
「......よし、じゃあ勝負するか」
俺の視界の隅で、なぜかちょっとだけ頰を染め軽く落ち込んでいるダクネスの肩を、めぐみんがぽんぽんと叩いていた。
2
久しぶりの冒険者ギルド。
ここに顔を出すのはいつぶりになるだろうか。
そこかしこに見覚えのある顔を見かけ、そんな見覚えのある彼らは俺と目が合うと片手を上げて挨拶してくる。
テーブルにうつ伏せになって昼間からクダを巻いている金髪のチンピラの横を通り過ぎ、俺は依頼が貼り付けてある掲示板へと向かった。
俺の隣ではアクアが掲示板と睨み合い、勝負に相応しそうな獲物を探している。
まさかお互いに喧嘩するわけにもいかず、どちらが強いかの勝負はモンスターの討伐数で決める事になった。
めぐみんは審判だ。
武器を持たないアクアには、流石に素手ではキツかろうと、おまけでダクネスを付けてやった。
おまけ呼ばわりされたダクネスが涙目になっていたが。
討伐数を競うのだから、出来るだけ数の多いモンスターがいい。
最近は繁殖期でもないので、カエルが地上に出てくる事も少なく、たとえ地上に出てもすぐに狩り尽くされてしまう状況だ。
となると、何か良いクエストは......。
と、隣からブツブツと声が聞こえる。
「......つがいのマンティコアの討伐。ワイバーンの亜種が岩山に巣を作り始めているからこれの駆除を......。......どれもこれも、インパクトに欠けるわね......」
クエストは絶対に俺が決めよう。
......と、一枚の紙を見つけた。
『初心者殺しとゴブリン討伐』
──それは俺達と何かと因縁のあるモンスター、初心者殺し。
これを倒せる事が中堅冒険者と呼ばれる条件とも言われる強敵で、俺が苦戦させられた相手でもある。
俺達は、もう駆け出しとはいえないレベルだ。
何だかんだいって初心者殺し以上の強敵とも渡り合っている。
リベンジだ。
ベテラン冒険者と言っていいはずなのに、俺達はまだこいつに勝った事がない。
俺はその紙を剝がし見せつけた。
途端に、三人とも嫌そうに顔をしかめる。
こいつらにとってもトラウマみたいなもんなのだろう。
一度他のパーティーに加入した際、やっとの思いで逃げ帰ったモンスターなのだ。
「こいつはゴブリンだのコボルトだの、弱いモンスターの群れを利用して、それをエサに初級冒険者をおびき寄せるだろ? 勝負方法は、こいつが守っている雑魚モンスター、ゴブリンの討伐数の多さ。そして......初心者殺しを倒した方には大幅得点って事でどうよ? 俺達も今やベテラン冒険者。......ここらで一発、こいつを倒しておこうぜ?」
俺のその言葉に。
三人は、今度は自信有り気に不敵に笑った。
──初心者殺しの目撃情報があった場所。
そこは街からかなり離れた林の中だった。
森林というほど木々が生えているわけではないその場所に、武装した小鬼集団、ゴブリンが現れたらしい。
そして、その群れを守る様に初心者殺しが周囲をうろついているそうな。
弱くて稼ぎの良いモンスターを駆け出し冒険者狩りのエサ代わりに使うその狡猾なモンスターは、どうやら今は留守らしい。
「いるわねゴブリン達が! あの程度の相手なら私のゴッドブローで一撃ね!」
アクアの言葉の通り、目の前の林の奥では、エサを探しているのか木の根元を掘って芋みたいな物をほじくっていたり、木に生った小さな実を棒で叩き落としていたり。
メジャーモンスターであるゴブリン達が、思い思いにそんな行動を取っていた。
そんな様子を俺達は茂みの中から窺いながら、少しずつゴブリン達と距離を詰める。
だがゴブリンの数は三匹とやけに少ない。
俺は、やけに自信たっぷりな様子で隣に佇むアクアに。
「お前、以前カエル相手に手も足も出なかったじゃないか」
「カエルはあのブヨブヨのお腹が打撃を吸収するの。物事には相性ってものがあるのよ? カズマったらそんな事も知らないの? バカなの?」
俺がそんな事を言ってくるアクアの頰をつねりあげて半泣きにさせていると、ゴブリン達がこちらに気付いた様だった。
くそっ、バカな事やって騒いでいるからだ。
ゴブリンの内の二匹は武装した俺達を見て、怯んだ様に怖じ気づきながらも身構え。
残る一匹のゴブリンは、耳障りな奇声を上げ何事かを騒いでいた。
もしかすると仲間を呼んでいるのかもしれない。
初心者殺しが来る前に片付けてしまうのが良いだろう。
そんな事を考えていると、めぐみんが。
「では。ゴブリン討伐、開始です!」
合図を出し、一人その場から距離を取った。
「見てなさいなカズマ! ゴブリン三匹ぐらい、この私がアッサリと仕留めてみせるわ!」
そんな事を叫びながら嬉々としてゴブリン達にアクアが突っ込む。
そのアクアの身体がぼんやりと光っているのは、何かの支援魔法を自分に掛けたからだろう。
駆けるアクアの後ろをダクネスが、重い鎧をガチャつかせながら必死で追った。
そんな二人をのんびり見送り、俺は離れた位置から弓を構え......!
スコーン!
「「あっ!」」
先行していた二人より先に、今まさにアクアが襲いかかろうとしていたゴブリンの頭を狙撃した。
それを見たアクアとダクネスが驚いている間に......!
「ヒギッ!?」
「ギャフッ!?」
ゴブリン達とは約二十メートルほど。
この距離で狙撃スキルを使えばまず外す事など有り得ない。
アクアとダクネスに先駆けて、俺は早々と三匹のゴブリンを仕留めてしまった。
「ちょっとカズマ! 今から戦おうと思ってたゴブリンを先にやっつけちゃうってどういう事よ!」
食って掛かるアクアに言った。
「お前らが倒そうとする敵を先に食っちゃえば、俺は絶対に負けない作戦です」
アクアとダクネスが同時に叫ぶ。
「「卑怯者!」」
──生い茂る草木の間を駆け抜けて。
「あっちよ! 今、あっちに影が見えたわ! 私の目からは逃れられないわよカズマ!」
そんな背後からの声を聞きながら。
「横合いから何度も何度も獲物を搔っ攫いおって! 流石に頭にきた! 貴様、正々堂々と勝負しろっ!」
俺は、林の中を当てもなく探索していた。
現在の成績は、俺が八匹で向こうはゼロ。
あいつらの後を潜伏スキルを使ってストーキングしまくり、二人がゴブリンを引きつけている間に俺が安全な場所から狙撃で倒す。
そんな完璧で素晴らしい戦法を取っていたところ、なぜか二人がマジ切れし、現在は俺が追い回されていた。
勝負に勝てないからといって実力行使に出るとはなんて卑怯な連中だろうか。
重い鎧を着ているダクネスをちっとも振り切れないのは、アクアの支援魔法で強化されているからだろう。
普段は特に感じないが、支援魔法というものは敵に回すと地味に厄介だ。
俺は潜伏スキルを使いつつ逃げ回り、魔法で地面に水を撒き、それを即座に凍らせた。
そして、潜伏スキルをあえて一時的に解除する。
実に原始的な即席の罠だが......。
「あっ、いたわねカズマ! そんな所に立ち止まって、とうとう観念......ふぐっ!」
「い、いたなカズマ! はあ......、はあ......。きょ、今日こそは貴様に一矢報いてはぶっ!」
ものの見事に氷に足を滑らせすっ転んだ二人に対し。
「ざまあああああ!」
ひゃっほうと大喜びする俺の言葉にアクアがガバッと跳ね起きた。
「ダクネス、あの男を二人で囲むわよ! ボコボコよ! 囲んでボコボコにするの!」
アクアの言葉にダクネスが、凍り付いた地面からノロノロと起き上がりながら。
「......必死に追い回すものの、ここまで一方的に手玉に取られ......。確かに悔しいのだが、こう......。こんなのも悪くないと思えてきた私はおかしいだろうか......」
おかしいと思います。
「......まったく、何をやっているんですか。三人ともゴブリン討伐を忘れないでください」
俺達を追いかけてきためぐみんが、茂みを搔き分けながら現れた。
俺も討伐に集中したいのだが、俺の知的な作戦をこの二人が卑怯だ卑怯だと非難するのだ。
めぐみんの言葉に、俺は敵感知スキルを発動させて付近にゴブリンがいないかを探ろうと......。
「ようやく逃げるのを止めたみたいねカズマ。とりあえず、ごめんなさいをしなさい。あんたをどうするかはそれからよハイエナニート」
「おい待て、囲まれてるぞ」
当たり前といえば当たり前。
あれだけ叫びながら追ったり逃げたりしていたのだから、どうぞ襲ってくださいと言わんばかりだろう。
その言葉に、アクアとダクネスもふざけている場合ではないと気付いた様だ。
木々のそこかしこから顔を覗かせるゴブリン達。
その数は十を超え、流石に単独で撃破できる数でもない。
更には......。
「出やがったな」
遠巻きにこちらを囲むゴブリン達。
まるでその守護者であると言わんばかりに、ど真ん中から堂々とこちらに歩く黒い獣。
──初心者殺し。
何かと因縁のあるこいつを倒し、俺達も晴れてベテランパーティーを堂々と名乗ってやる。
喧嘩している最中でも、その思いは同じな様だ。
ダクネスが、敵の注意を一身に集めようと前に出た。
一番注意を引く場所に出て、自らが囮となるスキル、デコイを使うつもりだろう。
「ほらカズマ、仕方ないからあんたにも支援をあげるわ」
言いながら、アクアが俺にも魔法を掛ける。
一瞬俺の身体が光り、身体能力が向上していくのが手に取るように実感できた。
よし、これならいけそうだ。
守るダクネス、癒すアクア。
そして、そんな二人のフォローを俺がする。
それぞれにちゃんと役割があるのだ。
誰が一番かなんて決める必要などどこにもない。
今回はカッとなった俺も反省しなければ。
俺は矢を取り出すと、弓を構えてダクネスの右後方に。
「間違えてお前の背中を撃つことはないから安心しろ。頼りにしてるぞダクネス」
「お前こそ頼りにしている。敵は一匹も後ろには通さないから安心しろ。攻撃は任せたぞ」
ダクネスが大剣を地に突き立てて、それで地面に踏ん張るように前を向き、後ろも見ずに言ってきた。
その頼りになる背中を見ているだけで、どんな敵が来ても大丈夫という気持ちになる。
「そんなダクネスが怪我したら、即座に癒してあげるから安心なさい! いくわよ、今回こそはあの獣に勝ってみせるわ!」
ダクネスの左後方に下がったアクアが、このメンツならば怖いものなど何もないとばかりに胸を張る。
俺はめぐみんの方を振り返り。
「おいめぐみん。さっき屋敷で、俺が活躍するところを見せて下さいよ、イザって時は頼りになる、そんな格好良いとこを見せてくれませんかと言ってたな。見せてやるよ、俺達が結束すればどんな相手にだって......」
「『エクスプロージョン』ッッッ!!」
辺りには轟音と共に爆風が吹き荒れる。
俺が格好付けながら言い終わる前に突然吹き荒れた、そのあまりにも理不尽で圧倒的な暴力は、ゴブリンや初心者殺しを全て巻き込んだだけでは飽き足らず。
付近の木々はおろか、俺達までをも吹き飛ばした。
最前線にいたダクネスが、剣を突き立て踏ん張って、重い鎧を着ていたにも拘わらずぶっ飛ばされる。
その後方にいた俺達ですら、吹き荒れる爆風になす術もなく転がされた。
......俺は地面にうつ伏せの状態で倒れながら、その惨状を首だけを上げて見渡した。
ゴブリンも初心者殺しも既にいない。
ダクネスは、飛んできた何かが頭にでも当たったのか白目を剝いてぐったりしている。
「ぐずっ......。う、うえええ......。口の中が、じゃりじゃりする......」
俺と同じく地面にうつ伏せの体勢で転がったアクアがそんな泣き言を言ってきた。
そして俺のすぐ傍には、この惨状を招いた元凶が仰向けの状態で転がっている。
その元凶がポツリと言った。
「美味しいところは持っていく。そんな紅魔族の本能には抗えませんでした。そして、これで私こそがこのパーティーの中で一番強いという事が決まりましたね」
「お前ってヤツは、お前ってヤツはっ! 最近大人しくなったと思ってたらこれだよ!! お前審判じゃなかったのか!」
3
そんな感じで、俺達が相変わらずの日常を送っていたある日の事。
朝の日射しが窓から差し込み、宙を舞う埃がキラキラ光る。
「カズマがこんな時間から起きるとは珍しいな。どういう風の吹き回しだ? またクエストにでも行く気になったのか?」
そんなさわやかな朝の食卓では、冊子を片手に食後の紅茶を飲んでいたダクネスが、広間に降りてきた俺を見て驚きの声を上げた。
「今までずっと起きてただけだよ。この季節は暑いからな。こんな時は、部屋をキンキンに冷やして朝から夕方まで惰眠を貪るに限る」
「そ、そうか。いつも通りで安心した。というかお前はこないだのクエストの時もそうだったが、もう最近では武器や防具の手入れすらしていない様だが、もはや冒険者らしさの欠片も見当たらないな」
実のところ、俺自身がそろそろ冒険者の自覚がなくなってきたわけなのだが。
「まあ、個人的にはもう冒険者を引退してもいいかなとは思ってるんだけどな。次のステップとしては、経営者にでもなって不労所得で温い人生を送ってもいいんだが」
「この人は定期的にバカな事を言わないと気が済まないのでしょうか。大怪我を負ったわけでもないのに、十代の若さで冒険者を引退だなんて聞いた事ありませんよ」
ダクネスと同じく食後の紅茶を飲みながら、めぐみんが呆れ声で言ってくる。
俺はそんな声を聞き流し、玄関のドアポストから、挿してあった新聞を抜き出した。
「何とでも言うがいいさ。そもそも、俺ぐらいの実績がある冒険者ともなれば、こうして新聞を読んで常に世界情勢に気を配りながら、いざって時のために体力を温存していた方が街のためになるんだよ」
俺はそう言いながら、ソファーに腰掛け新聞を──
「ねえカズマ、先に私に読ませてよ。見たいのは四コマ漫画だけだから。前回、攫われた雪精を追って旅に出た冬将軍のその後が気になるの」
「おい待てよ、俺だってその四コマが気になってるんだ。そのためにわざわざ降りてきたんだぞ」
めぐみんが呆れながらアクアと四コマを取り合う俺を何か言いたそうな顔で見つめる中、ふと気になる記事が目に留まった。
「『魔王軍幹部が最前線に参戦し戦況一変。王都の危機』──? おい、また物騒だな。俺の妹のアイリスは大丈夫なんだろうな?」
「アイリス様を勝手に妹にするな無礼者! しかし、王都の危機だと? ちょっと私にも見せてくれ」
俺が新聞を手渡すと、ダクネスはいつになく真剣な顔でそれを読む。
「王都近くの最前線にある砦が、魔王軍幹部の攻撃を受けているらしい。その幹部は、恐るべき魔法を操る邪神だと書かれているな」
「えっ!?」
ダクネスの何気ない一言に、めぐみんがガタッと立ち上がる。
「どうしためぐみん? ......ははーん、邪神って言葉が琴線に触れたんだな。お前、以前から自分の前世は破壊神だとか頭の悪い事言い張ってたもんな」
「私の前世はおそらく破壊神で合っていますがその事ではありませんよ! そうではなくて、その邪神に心当たりが......」
と、ダクネスの横から新聞を奪い、四コマを見ていたアクアが不満そうに眉をひそめた。
「邪神だか何だか知らないけれど、神を自称するだなんて罰当たりにもほどがあるわね」
「お前だって女神を自称してるだろ」
新聞を放り投げて摑み掛かってきたアクアを迎え撃っていると、めぐみんが新聞を拾いながら呟いた。
「戦況を一変させた魔王軍幹部は、邪神、ウォルバクとの事──」
4
翌朝。
さわやかな夜明けと共に俺がそろそろ寝ようかと布団の中に潜り込んだ頃、そんな幸せな時間を邪魔するヤツが現れた。
「カズマ、起きてますか? まだ夜明けの時間帯ですから起きているんでしょう? さあ、共に王都へ行きましょうカズマ! 今こそ私達の出番です!」
朝っぱらからテンションの高いめぐみんの手により部屋のドアが押し開けられる。
俺は布団から首だけ出すと、
「......お前はまた何をとち狂ったんだ? おかしなのは名前と行動だけにしておけよ。王都に何しに行くんだよ? 自慢じゃないが俺は王都に行くと色々ヤバい。なぜヤバいのかは言えないが、そうでなきゃ妹が住んでる王都へとっくの昔に引っ越してるよ」
「まだ妹だのバカな事を言っているのですか。......いえ、そこはまあいいでしょう。そうです、その妹のアイリスですよ! このままではアイリスが危険に晒されるんですよ!? カズマの、妹への愛情はその程度だったのですか!?」
いつになく熱心な予想外のめぐみんの言葉に思わず身を起こした。
「お前、アイリスと仲が悪いのかと思ってたけどそうでもなかったのか? 昨日の新聞の記事を言ってるのか。まあアイリスの事が心配じゃないって言えば噓になるけど、相手は幹部。俺が行ったところでなあ......」
しかも今回の相手は邪神だとか。
今まで俺達が戦ってきた幹部と違い、完全にラスボス臭しかしない。
身近にいる神を自称するヤツの力を知っているので、ひょっとしたら大した事はないのかもしれないが。
そんな俺の言葉に対し、やたら鼻息の荒いめぐみんがぶっ飛んだ事を言い出した。
「その魔王軍の幹部の邪神というのがどうも気になるのですよ。ほら、こないだちょむすけの正体がどうのこうのと言ったではないですか。これは私の勘ですが、ウチのちょむすけこそが邪神かもしれないんです」
「最近、その邪神とやらがひよこに追い掛けられて逃げ回ってるのを見たぞ」
まったく信じようとしない俺に、めぐみんは真面目な顔で。
「別に、カズマに魔王軍の幹部と戦えだなんて言いません。お願いします、私が決着を付けますので、一緒に付いてきて傍にいてくれるだけでいいんです」
「絶対嫌だよ、何を好きこのんでそんな危険地帯に行かなきゃならないんだよ。お前分かってんのか? 最前線ってだけでも物騒なのに、相手は邪神だぞ? 今までみたいにスライムやアンデッドじゃないんだぞ? 邪神だなんて完全にラスボス枠じゃねーか」
即答する俺に向け、
「......ええ、カズマがそう言うだろうという事はもちろん予想してましたとも。伊達に長く一緒に暮らしているわけではないのですから。それはもう、先日の初心者殺しクエストの際によく理解しましたからね」
めぐみんはそこまで言うとちょっと顔を赤らめながら、ベッドに座る俺を覗き込むと、
「まったく、しょうがないですねこの人は。それではこうしましょうか。もし一緒に来てくれるのなら......。その、全てが片づいたあかつきには、カズマの部屋で一晩を明かそうかと......」
か細い声でそう言った後、恥ずかしそうに帽子のつばを下げて顔を隠した。
「はいはい。今は眠いからまた明日な」
「あれっ!?」
結構自信があったのか、軽くショックを受けた様な表情でめぐみんが固まった。
俺の反応が予想外だったのかめぐみんがわたわたと慌てだす。
「ちょ、ちょっと待ってください。今私は相当の覚悟で凄い事言ったつもりなんですが」
「......お前、俺がそう何度も騙されるとでも思ってんの? そんなにチョロいお手軽男だとでも思ってんの? キス一つで賞金首討伐をおねだりしてきたダクネスといいお前といい、揃いも揃って自己評価が高すぎだろ」
「!?」
俺の言葉に驚きの表情で固まるめぐみん。
「俺をそこら辺にいる思春期の童貞と一緒にするなよ。お前らは見てくれだけは良いが、中身は大幅にマイナスなんだ。そこら辺をちゃんと自覚してもうちょっとサービス精神を持つべきだ」
こないだの夜あんな事があったばかりなのに、そう何度も乗せられる俺ではない。
キッパリと告げた俺の言葉に、めぐみんはわなわなと震え出した。
「何ですか、こないだの夜の事をまだ根に持ってるんですか!? 最近は私がちょっと迫ればカズマだって満更でもなさそうだったクセに、今更何を強がってるんですか!」
「ままま、満更でもないってなんだよんな事ねーよ自意識過剰なんじゃねーの!? 俺がいつお前に気がある様な事言ったよ!」
男なんてものはちょっと気がある素振りを見せられるだけで簡単に好きになってしまう生き物なのだ。
そう、最近の俺はまさしくそんな状態だったわけだ。
危うく騙されるとこだった、俺はそんな簡単な男じゃない。
コイツは見てくれが良いだけの残念系女子なのだ。
「この男、最悪です! それじゃ何ですか!? あなたは好きでもない女性と一夜を過ごそうとしていたんですか!? あの時はあれだけ期待していたクセに!!」
「ちち、違うよバカ、どうせオチがあるだろうなと思って最初から期待なんてしてなかったよ、調子に乗んなこのロリッ子が!」
俺の開き直りに、激昂しためぐみんが襲い掛かってきた!
──ひとしきりめぐみんと摑み合いの喧嘩をした後、すっかり目が冴えてしまった俺は寝るのを諦め、今日もまた広間のソファーで新聞を広げていた。
「冒険者格付けランキング、第三位ミツルギキョウヤ? おいふざけんなよ、なんでアイツの名前がこんな上位にあって俺の名前が載ってないんだよ! この記事を書いた新聞社はどこだ、抗議してやる!」
自分の名前が無い事に怒る俺に、目の前でアクアと共にゼル帝を撫でていたダクネスが、口元に不敵な笑みを浮かべ言ってくる。
「それは王都で活躍している冒険者ランキングだから、この街に引き籠もっているお前が載るわけがない。ランキング入りしたかったら前線に出て活躍するしかないぞ? なんなら援軍にでも行くか? ここ最近事務仕事ばかりだったから鬱屈していたのだ。私はちっとも構わないぞ?」
どうやらコイツは既にめぐみんに乗せられた口らしい。
分かりやすい挑発をするダクネスに、
「そうそう、ダクネスの言う通りですよ。ランキング入りしたいのですか? 更なる名声が欲しいのですか? なら、共に戦場へと向かいましょう! そして魔王軍の幹部を討ち倒すのです!」
と、我が意を得たりとばかりにめぐみんまでもが乗っかってきた。
俺はそんな二人を無視し、ゼル帝に『お手! ゼル帝、お手をするの!』と芸を仕込もうとして指先をつつかれているアクアに振る。
「おいアクア、お前からもこの二人に言ってやれよ。こいつら最前線の砦を守りに行こうって言ってんだぜ? 俺達が遠出するといつもロクな目に遭わない事をちっとも学習しないらしい。お前だって魔王軍の幹部と戦うだなんて反対だよな?」
強敵との戦闘に乗り気な二人と違い、俺と気が合うコイツなら、きっと分かってくれるに違いない。
そんな俺の思いは予想外の言葉によって覆された。
「私は行ってもいいわよ? だって魔王の幹部なんてものが人様に迷惑を掛けているそうじゃない。清く正しくも美しいアクア様が、救いを求めている下々の者を放っておけるわけがないでしょう?」
コイツいきなりどうしたんだ、悪い物でも食ったのか。
さすがにめぐみん達もアクアの言葉が意外だったのか、心配そうな顔でアクアを見やる。
「お前どうしちゃったんだよ急に。いつもならこういうのは真っ先に泣いて嫌がるクセに」
「そりゃあそこら辺のモンスターなら私が出るまでもないんだけどね? 今回は私に挨拶もなく、邪神とはいえ勝手に神を自称する不埒者が相手だもの。ここはアクシズ教団の御神体として痛い目見せてやらないと」
縄張りを荒らされたチンピラみたいな事を言い出したアクアを見て、これはいよいよマズい展開になった事を思い知る。
「おい嫌だぞ、俺は絶対行かないからな。そう毎度毎度魔王の幹部なんて相手にしてられるかよ。大体、もっと強い冒険者はいくらでもいるだろ? 王都の事はそういった連中に任せとこうぜ? お前らは何でそんなに生き急ぐんだよ」
「ワガママ言ってないで諦めてください、往生際が悪いですよ。大丈夫、この私がちゃんと一撃で仕留めてあげますから! 今回は何も心配いりません、もしもの事態に備えて付いてきてくれるだけでいいんです!」
「まさかお前このメンツでもしもの事態が起こらないとでも思ってんのか? 過去を振り返って本当に何の問題もなく事が運ぶって言い切れるのなら行ってやるよ! ......おい目を逸らしてんじゃねえ、こっち向け!!」
俺が、プイと顔を背けためぐみんの顎を摑み、意地でもこちらを向かせようとしていたその時だった。
玄関のドアがおそるおそるといった感じでノックされ開けられる。
「こ、こんにちは......。あの、この子を保護したから連れてきたんですが......」
と、そこに現れたのはちょむすけを抱いたゆんゆんだった。
5
「粗茶ですけど」
「ど、どうも。......あの、アクアさん。これって......」
「安めのお茶なんだけど結構美味しいでしょ? カズマから貰ったお小遣いで買ってきたヤツなんだけど、最近のお気に入りなの」
「あっ......。はい、その、美味しいです......」
アクアに淹れてもらったお茶を手に、ゆんゆんが困った様に頷いた。
ふと視線をやると、カップの中は透明で......。
いや、お湯だろこれ。
アクアが気を利かせてお茶を淹れたが、うっかりお湯に変えたらしい。
と、満足そうなアクアに気を遣ったのか証拠隠滅とばかりにカップの中身を飲み干したゆんゆんは、ぐったりして動こうとしないちょむすけを両手で抱き、困った様な表情で俺達の方に差し出してきた。
「あの、近所の公園を散歩してたら、ちょむすけが子供に捕まっていじめられてるのを保護したんですが......」
小さな羽を生やしたこの謎猫は、わんぱくな子供達にとって格好の遊び相手だったらしい。
ピクリとも動かないちょむすけの姿を見て、俺は隣に座っていためぐみんに小さな声で囁いた。
「おい、お前の言う邪神ってのはひよこに追い掛けられただけじゃ飽き足らず、子供にいじめられるものなのか?」
「ゆ、ゆんゆん、良いところに来てくれました! 実はですね、まあ大した事ではないのですが、ほんのちょっぴりだけマズい事になっているのですよ!」
俺の指摘をごまかす様に、めぐみんはゆんゆんに新聞を手渡した。
「ま、マズい事?」
マズい事というセリフに警戒を露わにしたゆんゆんは、渡された新聞を嫌そうに受け取った。
「ええと......日刊連載四コマ冬将軍旅情編。文通相手募集コーナー? ねえめぐみん、この新聞いらなくなったら文通コーナーだけでいいから貰えないかな?」
「一体どこを見ているのですかこの子は! これです! ここの記事を見てください!」
めぐみんが新聞を取り上げ、件の記事を見せつける。
訝しげな表情だったゆんゆんの反応は劇的だった。
「うええええ!? ちょちょ、ちょっと待って!? めぐみん、これって......」
「こ、今度は騒ぎすぎですよゆんゆん! そこまで大袈裟な記事でもないでしょうに!」
「いや全然騒ぎすぎでも大袈裟でもないから! だってこの記事にある邪神ウォルバクって、元は私達の里に封印されてた」
「シーッ! 声が大きいですよゆんゆん!」
おい。
「今聞き捨てならない事が聞こえたんだけど」
「気のせいですよカズマ、この子はちょこちょここういったおかしな事を言うせいで、紅魔の里でハブられていたほどですから」
俺の言葉にめぐみんがプイとそっぽを向く中、ゆんゆんが激昂した。
「あんたちょっと待ちなさいよ、おかしな言動はめぐみんの方が多かったじゃない! それよりカズマさん、聞いてください! かつて私達の里には、この邪神ウォルバクが封印されていたんです。ある日何かの弾みでその封印が解けてしまったんですが、めぐみんは里の皆には内緒で、その邪神を勝手に使い魔に......」
「や、やめろぉ! 紅魔族の恥を世間に広めてはいけません、このまま王都近辺で暴れている、邪神を名乗っている偽者を退治し、何事もなかったフリをするのです!」
俺は慌てふためきゆんゆんの口を塞ごうとするめぐみんを見ながら、こめかみを押さえているダクネスに。
「おいダクネス。お前のツテで、警察署から噓を吐くとチンチン鳴る魔道具を借りてきてくれ」
「い、行ってくる。ああ、どうかこれ以上とんでもない事実が出てきませんように......」
「わ、私は何も悪い事はしていませんよ! 弁護人を! 弁護人を要求します!」
ゆんゆんとアクアに取り押さえられためぐみんが喚く中、泣きそうな顔のダクネスが出て行った。
──数時間後。
噓を感知する魔道具を借りてきた俺達は、バインドで両手を拘束され、絨毯の上に正座させられためぐみんを取り囲んでいた。
「よし。じゃあ隠している事を答えて貰おうか。......そもそも、この新聞記事の邪神ウォルバクってのは何なんだ?」
「実は私とゆんゆんは、この邪神と因縁があるのですよ。それで気になって、昔、邪神の事を調べた事があるのですが......。ウォルバクは怠惰と暴虐を司る邪神なのだそうです」
いきなりの途方もない話に俺達は思わず魔道具をジッと見た。
だが魔道具は鳴らず、その話は同じ紅魔族であるゆんゆんも知っていたのか無言のままだ。
「そんな物騒なもんが、またどうして紅魔族の里に?」
「その昔、我々のご先祖様が邪神と激戦を繰り広げた末に、それを封印する事に成功しました。その後、邪神を紅魔の里まで運び込んで厳重に管理する事にしたのです」
──チリーン。
早速魔道具から音が鳴る。
「......。『邪神が封印されてる地って何だか格好良いよな』と誰かが言い出し、どこかの誰かが封印した邪神を勝手に拉致し、里の隅っこに再封印して観光名所にしたのです」
そのめぐみんの説明に魔道具は反応しなかった。
「おい」
俺の呟きにめぐみんだけでなくゆんゆんまでもが目を逸らす。
それまで頭を抱えていたダクネスが。
「そ、それはもういい、やってしまったものはしょうがない。紅魔族の里に邪神が封印される事になった経緯は分かった。で、どうしてその封印が解かれる事になったのだ? 封印を解いた者は誰なんだ?」
「それはおそらく、封印された邪神が本来の力を取り戻し人類を滅ぼすため、自らの下僕達を操り封印を......」
──チリーン。
「「「「............」」」」
俺達が無言で見詰める中、めぐみんは観念したかの様に項垂れた。
「............私の妹が遊び半分に邪神の封印を解いちゃいました」
「ちょっと待って!? ねえめぐみん、それって私初耳なんだけど!」
めぐみんの告白にゆんゆんが驚きの声を上げるが......。
──チリーン。
「あれっ!?」
噓を感知する魔道具が鳴った事に、なぜかめぐみん自身が驚いている。
めぐみんはやがてポンと手を打つと、
「そうでした! 邪神の封印が解けたのは過去二回。一回目はうっかり私が封印を解いてしまい、通りすがりの謎のお姉さんに助けられ事なきを得たのです。妹が封印を解いたのは二回目でした」
そう言って、魔道具が鳴らないのを確認すると満足そうに頷いた。
「どういう事よおおおおおおおお!」
「な、何をするかっ! やめっ......! ちょ、やめてください! 私は大人しく答えてるのですから落ち着くべきです!」
「お前ら紅魔族ってほんとロクな事しないな」
揉み合う二人の紅魔族を見ながらため息を吐き呆れていると、なぜかわくわくした表情のアクアが魔道具を手にしていた。
「めぐみんめぐみん、あなたはアクシズ教団が好きですか? 嫌いですか? めぐみんはアクシズ教徒と何かと縁があるし、強く押せばアクシズ教に入ってくれるかもって、ウチのセシリーが言ってたんですけど」
「いくら押されても入りませんよ! セシリーさんにはいつも迷惑ばかりかけられてますし、問題児集団のアクシズ教徒とは関わり合いになりたくもありません。好きか嫌いかと問われれば、それはもちろん嫌い......」
──チリーン。
音が鳴った魔道具を見て、アクアがパアッと表情を輝かせる中、めぐみんが恥ずかしそうに目を逸らす。
「......お世話になった教団員の方もいますし、まあ、嫌いではありませんが......」
噓を見抜く魔道具の素晴らしい使い方を編み出したアクアに俺は感動を覚えていた。
コイツ、今まではただのバカかと思っていたが実は天才だったのか?
「なあめぐみん、俺達の事をどう思う? 好きか嫌いかで答えてくれ」
「うむ、私もぜひ聞きたいな。この間も皆の分のお守りなどを作ってくれたがどうなんだ?」
「......な、なんですか、今ここでそんな事に答える必要はないでしょう。......おい、皆してニヤニヤするのはやめてもらおうか!」
俺達が魔道具でめぐみんをからかっていると、ゆんゆんが。
「あ、あの......。それで結局、その封印を解かれた邪神ってのは本来この子の事だったはずなんですが、新聞の記事にも邪神ウォルバクって名前があるし、どうなってるんでしょうか......?」
と、ちょむすけの背中を撫でながら、思い出した様にそんな事を......。
ギョッとして魔道具を見るが、当然の様に音は鳴らない。
「えっ、ちょっと待ってくれ、今聞き捨てならない事が聞こえたんだけど。コイツがその邪神? ちょむすけって本当に邪神なのか!?」
「だからこの間からそう言っているではないですか。この子は邪神にして我が使い魔。というかこの子の本来の名を騙る魔王軍幹部は、一体何を考えているのかと思いまして」
ゆんゆんに続きめぐみんまでもがそんな事を言うが、やはり魔道具は鳴らなかった。
「おい、こんなに愛くるしいのにコイツはマジで邪神なのか? 魔道具が壊れてるわけじゃないよな?」
猫好きな俺としては、ブラッシングしてやったり遊んでやったりしていたちょむすけがそんな物騒な存在だとは思いたくない。
と、何を思ったのか脈絡もなくアクアが言った。
「ねえカズマ。私前から思ってたんだけど、あなたってとっても心優しくて素敵な人よね。あなたにはいつも感謝してるわ」
「おいおい、いきなりどうした? ここ最近モテ期が来たと自分の中で評判の俺にデレたのか? そんなに褒めても小遣いは......」
──チリーン。
音が鳴った魔道具を見て、アクアは満足気にコクリと頷く。
「大丈夫。この魔道具は正常よ」
「よし、お前表に出ろ。最近俺を舐め腐ってるからな、ここらで一度シメてやる」
俺がアクアをしばこうと立ち上がった、その時だった。
それまで絨毯の上に正座させられていためぐみんが、何を思ったのか突然ぺこりと頭を下げる。
「......カズマ、こんな事をお願いしてすいません。私と一緒に来てはもらえませんか? 実は、過去に何度もちょむすけを攫われそうになった事がありまして。どうにも、新聞記事のそいつが関わっているとしか思えないのですよ。飼い主としては、そのウォルバクを名乗る自称邪神をどうにかしたいのです」
短気で人に頭を下げたがらないめぐみんは、そう言って再び頭を下げた。
相手は邪神を名乗る魔王の幹部、しかもたった一人で戦況を一変させるほどの使い手だ。
正直言って行きたくない。行きたくないが......。
「......ダメですか?」
おずおずとこちらを見上げ、不安そうに揺れるめぐみんの紅い瞳を見てしまうと。
我ながらチョロいなとは思うものの、こう言う他はなかった。
「しょうがねえなあー!」
6
めぐみんの頼みを聞き入れた、その翌日。
遠征のための準備もあるだろうし、出発は明日にすると皆に伝えた俺は、屋敷の広間のソファーであぐらをかき、鍛冶スキルを使用してある物を作っていた。
そしてダクネスが同じくソファーに腰掛け、隣から興味津々で見守る中、同じく俺の隣でそれを見ていたアクアが言った。
「ねえカズマ。それ、なーに?」
「ウィズの店で買ってきた、衝撃を与えると爆発するポーション」
「「えっ!?」」
俺の言葉にダクネスが慌てて立ち上がり、アクアと共に一歩離れる。
テーブルの上には俺が作業途中だった物が散乱していた。
それらは、紙にスポイト、そして、吸水性が高く燃えやすい、何かの植物が腐敗してできた特殊な土。
俺は先ほどから、衝撃を与えると爆発するポーションの中身を、スポイトで少しずつ吸い取りせっせと紙の上に載せた土に染み込ませていた。
アクアがジリジリと後ずさりながら、不安気にこちらに問いかけてくる。
「ね、ねえ......。なぜそんな物騒な物を持ってるの? それで一体、何をするつもりなの?」
俺は手にしたポーションをそっと離れた場所に持っていく。
そして、静かに床に置くと。
「いやな、今までずっと、これって魔法のポーションか何かだと思ってたんだよ。そしたらさ、これ、火を付けても爆発するんだわ。ほんの一滴、火に近付けただけでボンってなった。つまり、これってニトロに近いものなんじゃないかと思ってな」
これから俺達が向かうのは、魔王軍の幹部がいる激戦区。
チート持ちの冒険者達ですら遅れを取る様な最前線なのだ。
以前ダクネスが領主アルダープと結婚させられそうになった際に、俺はある物をこの世界で再現しようとしていた。
もっともその時には、ニトロ代わりの物もなかったし、外見だけ似せた模造品だったのだが。
しかも、完成したその模造品も、めぐみんの手によって投げ捨てられた。
俺は、不思議そうな顔をしているアクアとダクネスに向け。
「こいつを使えばある物を作る事ができる。俺達が明日から向かう先には何がいる? これを作る事ができたなら、今後、俺達の切り札になるだろうな」
俺の言葉に、テーブルの上の材料を見たアクアは、何を作っていたのかピンときたようだ。
そう、あの有名な......、
「なるほど......。季節は夏。カズマに流れる日本人の血が打ち上げ花火を作らせたのね」
「ダイナマイトです」
ダクネスが、不思議そうに。
「にとろ? だいなまいと? 聞かない言葉だな。それは何をする物なんだ?」
そう言って首を傾げるダクネスに、俺は既に完成した三本のそれを見せつけた。
以前、作りかけの物をめぐみんに捨てられてからというもの、前々から暇をみては何度も試してはいたのだが、明日の遠征に向けて急遽完成を急いだのだ。
俺が作ったばかりのダイナマイトもどきをつまみ上げ、アクアは興味深そうにしげしげ眺める。
それを両手で隠す様に覆ってみせると。
「カズマ、みてみてー」
......?
アクアがダイナマイトもどきをテーブルの上にコトリと置いた。
というか、先ほどよりもあきらかに、二回りぐらい小さくなってて......。
「小っちゃくなっちゃった」
「バカ野郎!!」
アクアが縮めたダイナマイトを慌てて取り上げるが、どこかのお笑い芸人がやるあの手品と違い、本当に物理的に小型化していた。
「おま......! 人が時間掛けて作った物になんて事してくれんだ! どうすんだこれ、元に戻せるのかよ!? ってか、使えんのかこれ!?」
「戻せるわけないじゃない」
頼んでもいない芸を見せてきたアクアは、悪びれもせずにしれっと言った。
「お前分かってんのか? これは明日からの遠征に備えて作ったんだ。お前手先は器用なんだから、一本ダメにした分作るのを手伝えよ」
「私が作ると、三本に一本は小さくなるわよ?」
「何でだよ! 体の中にスモールライトでも埋まってんのか!」
縮められたダイナマイトを捨てるわけにもいかず、ズボンのポケットに突っ込んでみると、すんなり入るお手軽サイズなのが余計に腹が立つ。
これでちゃんと使えるというなら別に文句も出ないのだが。
そんな俺達をよそに、テーブルの上の完成品を手に取りしげしげと眺めていたダクネスが、興味深げに尋ねてくる。
「で、これは一体なんなのだ?」
「まあ、それは昼飯食った後で見せてやろう。驚くぞ? めぐみん辺りが特にな」
自信満々に言う俺の言葉に。
「ご飯ですよー。さあ、テーブルの上を片付けて、手を洗ってきてください。......どうしました? 皆して私の顔をジッと見て」
お盆の上に皆の昼飯を載せて運んできた食事当番のめぐみんが、不思議そうな顔をした。
──街から離れた、岩の多い山の中。
ここは、めぐみんの爆裂散歩のオススメ地らしいのだが。
「みんな珍しいですね、今日は全員で私の散歩に付き合ってくれるだなんて。こんな事なら、お昼はお弁当にして外で食べれば良かったですね」
日課の一日一爆裂に全員が付き合ってくれるのが嬉しいのか、杖を振りながらいつになく上機嫌なめぐみん。
そんなめぐみんは、早速爆裂魔法を唱えると......。
「『エクスプロージョン』ッッ!」
轟音と共にビリビリと辺りを震わせる衝撃波。
あらゆる物を粉砕する最強の魔法は、いとも容易く目標物の大岩を爆散させた。
頭を低くして、パラパラと降ってくる岩の破片から身を守っている俺達のそばで、さり気なくダクネスが立ち、それらの破片から庇ってくれている。
魔力を使い果たし倒れそうになるめぐみんを支え、自力で歩ける程度の魔力をドレインタッチで注いでやった。
「ほう、今日のは高得点だな」
「でしょう? 自分でもなかなかの出来でした。ふう、満足です。では帰りましょ......? カズマ、それは何です?」
そんな中、俺が二本の紙巻きダイナマイトもどきを取り出すと、それにめぐみんが興味を抱いた。
爆発するポーションを染み込ませた土を紙で何重にも巻き固め、中心に、同じくポーションを染み込ませた導火線を入れただけの簡素な物。
試作品一号なのでこんな物だ。
「これはな、財力という武器を手にした俺が、金に物をいわせて簡単に敵を葬れないかと試作した第一号だ。まあ、見とけ?」
俺はそれを近くの岩の陰に差し込むと、導火線をよく見える様にこちらに向ける。
「......待ってください。カズマが作ったというそれに、何だか見覚えがあるのですが......」
めぐみんが何か言い掛けたが、俺はそれには答えず一定の距離を取ると。
「『ティンダー』!」
導火線へと、離れた所から着火魔法で火を付けた。
それがジリジリと火花を散らし......。
ふと思い付き、俺は片手をそちらに突き出して大声で叫んでみた。
「エクスプロージョーン!」
「えっ!?」
それに反応しためぐみんが声を上げ。
そんな声をかき消す爆音と共に、簡易ダイナマイトは見事に破裂し、それを差し込んだ岩にヒビを入れた。
流石に発破工事に使える程の威力は出ないか。
だが、武器としてなら十二分に使えるだろう。
「あ......ああ............」
隣ではめぐみんが呆然としながら小さく震え、ダクネスが顔を赤くして拳を握った。
「す、凄いぞカズマ! お前、いつの間に爆裂魔法を習得したんだ!」
「ふ......。努力家な俺は、お前らが寝ている間にひっそりとレベルアップを重ねていたのさ」
興奮するダクネスに、俺が調子に乗って適当な言葉を返していると、
「ああ......ああああ............」
それを見ていためぐみんは、小さな声を上げわなわなと大きく震えだす。
そんな中、アクアが俺の服の袖をクイクイと引っ張った。
「カズマカズマ、私にも一つ頂戴。私も爆裂魔法が使いたいの」
「これは試作品だし、もっと導火線伸ばしたヤツが出来たらな。俺もおっかないから、遠くからティンダー使って火を付けたんだから」
「あああああ......あああああああ......」
「分かったわ。それじゃあちゃんとしたのが完成したら遊ばせて頂戴」
「いいけど、このポーションって結構高いし数が少ないからな。そう何度も遊びには使えないぞ?」
「そ、それを使えば、クルセイダーの私にも爆裂魔法が撃てるのか? 本当に魔法を習得したんじゃないのだろう? な、なあ、新しいのが出来たら私にも試させて欲しいのだが......!」
興味津々のアクアやダクネスと違い、先ほどから大人しいめぐみんの反応が非常に気になる。
一番大きな反応を見せるかと思っていたのに、先ほどから小刻みに震えて小さな声を上げるだけだ。
俺はめぐみんの前に立つと、片手を突き出しポーズを決めた。
「我が名はカズマ! アクセル随一の冒険者にして、爆裂魔法を操りし」
「ああああああああああああああああーっ!!」
俺が言い掛けた言葉を遮り、めぐみんが叫びながら摑みかかってきた。
「あんなものは! あんなものは、爆裂魔法じゃありません! 威力にしたって精々が炸裂魔法程度の物! あんなものは! あんな......あんな......っ!」
「ちょっ、分かった落ち着け、待ってくれ! あれはただのアイテムだ、ちょっとした冗談だよ冗談!」
慌てて説明するものの、喚きながら俺の胸ぐらを摑んできためぐみんが、俺が手にしていた残りの一本を奪い取る。
「あっ、こらっ! おい、それ一つ作るのに結構金と手間掛かってるんだから返してくれよ!」
「ダメです! この私がいるのですから、こんな物は必要ありません! なんですか、こんな物っ!」
叫ぶと同時、めぐみんがせっかく作った俺の力作を放り投げた。
あーあ......。
「今後あれを見つけたら捨てますからね! あんな物は邪道です! 認めませんよあんなまがい物!」
「分かった分かった、分かったよ。......ったく、あれはお前のワガママを叶えるために作った様なものなんだぞ?」
「役に立つかもしれませんが、それでもダメです!」
めぐみんに見つからない様に今後は自室でこっそり作ろう。
......俺は遠く離れた地に落ちている、めぐみんが捨てたダイナマイトに手をかざし。
未だ怒っているめぐみんの隙をつき、小さな声で魔法を唱えた。
「......『ティンダー』」
こっそり唱えた着火魔法で導火線に火がともる。
俺はタイミングを合わせると......。
「エクスプロージョーン!!」
「!?」
せっかく作ったのに捨てるのも勿体ないので、本日二度目の擬似爆裂魔法。
めぐみんが晩飯の時まで口を利いてくれなくなった。
7
──翌日。
新調した装備に身を包み、恥ずかしい銘を入れられた刀を腰に下げる。
冒険者のトレードマークであるマントをはおり、念のために日持ちする食糧をリュックに詰めた。
「武器よし、食べ物よし、装備よし! 各種アイテムの準備もよし!」
魔王軍幹部や賞金首と戦ってきた俺達だが、なし崩し的に巻き込まれてきた今までとは事情が違う。
なにせ今回はこちらから魔王軍の幹部に喧嘩をふっかけに行くのだ。
昨日はせっかく作った切り札の一つをダメにされたが、他にもウィズの店でかろうじて使えそうな魔道具を買い漁り、事前準備をしっかり整えいくつかの戦略も考えてある。
「カズマってば、こないだはあれだけ嫌がってたのに何だか気合い十分ね。一体どういう風の吹き回しなの?」
何を詰めたらそんな量になるのか、パンパンに膨らんだリュックを背負ったアクアが言った。
ちなみに、それほど日が経っていないためまだ一匹で放置出来ないゼル帝は、朝早くからウィズの店に押しかけ、無理やり押し付けてきたらしい。
「あれから冷静になって今回の戦いに関して考えてみたら、結構勝率が高い事に気が付いたからな」
俺達がこれから向かおうとしているのは、王都近くの最前線にある砦だ。
現在その砦には、この国の最高戦力達が集結している。
聞いた話によるとこの国の騎士団は元より、俺より先に送られてきたチート持ち冒険者までもが多数おり、今回参戦した魔王軍の幹部さえいなければまず負ける事はないらしい。
多数のチート持ちが滞在する頑強な砦で身を守りつつ、魔王軍幹部が出張ってきたらめぐみんの爆裂魔法で撃退する。
単純だが効果的な戦略だと思う。
今までの戦いに比べるとかなり安全に打倒できそうな割に、得られるリターンはとても大きい。
更に言うなら......。
「今回は、テレポートを使えるゆんゆんが来てくれるしな」
そう言って、俺はめぐみんの隣で荷物チェックをしているゆんゆんを見た。
着実にレベルアップを重ね、テレポートの魔法を習得したというゆんゆんが同行を申し出てくれたのだ。
ゆんゆんの登録しているテレポート先はアクセルの街と王都の二つ。
もし砦に危険が迫った時には、いつでもここに帰ってこれるというのはありがたい。
「が、頑張ります! 荷物持ちだってしますし、食事の支度に夜の見張り当番に戦闘での切り込みまで、何でもやりますから!」
「お、おう、頼りにしてるよ。道中は結構強いモンスターが出るそうだけど、ゆんゆんが一緒にいてくれるのは心強いよ」
普段ぼっちなゆんゆんは、皆で遠出する事が嬉しくて仕方がないらしい。
先ほどからソワソワしっ放しで落ち着きがない。
「皆さん準備はいいですか? 忘れ物はないですか? ハンカチとチリ紙は私が持ってますから、必要な方は言ってくださいね!」
「お願いですからちょっと落ち着いてください、遠足前の子供じゃないんですから」
ゆんゆんがめぐみんになだめられるという珍しい光景を見ながら、俺は準備ができたらしい皆を見回し頷いた。
「それじゃあ頼むよゆんゆん。まずは王都に飛んで、そこから歩きで砦に向かう。鍛えた冒険者が頑張って歩いて二日ほどの距離らしい。だけど、途中に宿泊施設もあるそうだから、まずはそこを目指すとしようか」
「はい、それじゃあ宿泊した際のボードゲームやカードゲームなんかは、古今東西全てのものを用意しておいたので任せてくださいね!」
だからゆんゆんのリュックはパンパンなのか。
どうやら、よほど皆とのお泊まりというのに期待しているらしい。
もしかしたら、皆で計画して旅に出るというのは初めてなのかもしれない。
もっと早く遊びにでも誘ってやればよかったとホロリとしていると、ゆんゆんがテレポートを唱え終わった。
「『テレポート』!」
1
──気が付くと、俺達は久しぶりの王都の正門前に立っていた。
国の首都であるこの地にテレポートしてくる人間など今更珍しくもないのか、王都の正門前を守る数名の兵士達は、突然俺達が現れた事に驚く事もなかった。正門の外を注視しているのは、きっと前線を抜けたモンスターの襲撃を警戒しているのだろう。
ここに来ると愛しの妹アイリスの事が思い出されついつい王都に入って行きたくなるが、王城に侵入したにも拘わらず依然捕まっていないらしい、ミステリアスで格好良い謎の盗賊を未だに捜索しているだろう。
俺の醸し出すただ者ではないオーラを感じ取られ、あらぬ嫌疑を掛けられ噓を見抜く魔道具を使われた日にはたまったものではない。
俺はおもむろに背負っていたリュックを下ろすと。
「よし。俺達は既に旅支度を終えてるから、本来ならすぐに最前線の砦に向かってもいいんだが、まずはあの連中から情報収集をしてくる。俺に考えがあるんだ」
それを聞いて不思議そうな顔をしている皆を残し、正門前の兵士に近付いていった。
「どうもお仕事ご苦労様です。いやあ、暑いのに大変ですね」
「ああ、旅の冒険者か? 聞いているかもしれんが王都は現在魔王軍による襲撃を警戒中だ。そんな所にいないで王都に入るならさっさとしてくれ」
フレンドリーな俺に向け、未だ周囲を警戒しながら兵士が言った。
「いえ、王都に用はないんですよ。俺達はこの国がピンチだと聞いて駆け付けてきたんです。王都近くにある最前線の砦に援軍として向かおうかと」
「何、援軍だと? ......そりゃあ有り難いが、見た感じあまり大した装備をしていない様だが大丈夫なのか? 砦近辺には敵の精鋭が多数たむろしているんだぞ?」
高価な物に新調したとはいえ、今俺が身に着けているのは軽めの装備ばかりである。
パッと見は確かに弱そうに見えるのだろう。
「おいおい、俺を舐めてもらっちゃ困るな。俺達はこう見えても、魔王軍の幹部を倒した実績もある。......そう、俺の名は佐藤和真。名前ぐらいは聞いた事がないか?」
「はあ!? バカも休み休み言え、お前の様な男が......」
過去の戦果を誇る俺に一人の兵士が疑いの目を向け、何か言い掛けたその時だった。
「お、おい待て! この男は知らないが後ろにいる連中は見覚えがあるぞ!」
俺から離れた所に座り込みこちらのやり取りを見守っていたアクア達を見て、別の兵士が声を上げる。
「本当だ、あそこにいる小さいのは、確か爆裂魔法で魔王軍をまとめて吹き飛ばしたアークウィザードだ!」
「待て、ダスティネス様だ! 数多のモンスターを一手に引き受けたダスティネス様までいる!」
「あの青髪のプリーストも覚えてるぞ! 以前魔王軍が襲撃してきた際、支援魔法を掛けまくり怪我人を治療して回ってた人だ!」
俺ではなく皆を指差し口々に言う兵士達。
俺達は以前王都に来た時に、魔王軍を撃退する戦いに参加したのだが、その時の事を覚えていたらしい。
「理解が早くて助かるよ。そう、俺達は......」
「あっ、お前の事も覚えてるぞ! 確かコボルトに殺されてた男だな!」
......えっ。
「ああ、いたなそういえば。調子に乗って前に出て、コボルトに袋叩きにされていたヤツだ」
「あんたは弱いんだからこんな所に来ちゃダメだぞ。王都から大分離れているが、アクセルっていう駆け出し冒険者が集まる街がある。まずはそこでレベルを上げるんだ」
「この辺りのモンスターは強いのが多いからな。ていうか、後ろにいる人達の従者か? 荷物持ちにしたって多少の強さは持っていた方がいいぞ」
こいつらどうしてくれようか。
......いや、今は文句言うのは止めておこう。
この兵士達に話し掛けたのにもちゃんとした理由があるのだ。
「見ての通り俺達は腕利きの冒険者パーティーだ。仲間の構成も、リーダーである俺を始めアークプリーストにクルセイダー、そして二人のアークウィザードという豪華な面子だ」
「そりゃ凄いな! ......で、リーダーを名乗るあんたは何の職業なんだ?」
「......で、だ。今からそんな俺達が、砦の援護に向かう。だが俺達は腕は立つものの道に詳しくない。そこで、これから砦に向かう冒険者や兵士がいたら、同行させてもらえないかと思ってな。ああ、道案内をしてもらうんだからもちろん護衛料なんて取らないし、安心してくれ」
兵士の質問をスルーして、俺は当初の目的を果たす事に。
歩いて二日の距離とはいえ、砦に向かう道中は強いモンスターが多いと聞く。
そこで、道案内を頼むと言いつつ道中の仲間を増やすのだ。
まともな戦力に数えられるのはハッキリ言ってゆんゆんだけだ。
なので、大物振りながらその実、道中を護衛してもらうのだ。
俺のそんな完璧な作戦は、
「残念だけどそりゃあ無理だな。敵の幹部の攻撃が凄まじすぎて、今は次々と怪我した冒険者達を後退させている状況だ。既に最前線で頑張っておられた陛下や王子も避難された。そんな中、わざわざ危険な砦に向かう物好きなんていないさ」
「えっ」
目の前の兵士の予想外の言葉に崩れ去った。
いやちょっと待ってくれ、なんか聞いてた話よりも大分マズい状況なんだが。
固まる俺に兵士は続ける。
「道案内はできないが、代わりに砦までの地図とモンスター分布図をやるよ。並の冒険者なら行くのを止めるとこなんだが、確かにあんた達の面子なら大丈夫そうだ。頑張ってくれよ! あんたの名前は確か、サトウカズマとか言ったな! 冒険者ギルドや城の連中にちゃんと伝えておくよ、サトウカズマ率いる勇敢な冒険者パーティーが前線に向かっていったって!」
「......えっ」
いや、応援に向かうのはちょっと考え直そうかと思ってるんだけど。
「任せたぞ、前線で苦戦してる仲間達を助けてやってくれ!」
「ああ、あんた達が前回魔王軍を撃退したところはバッチリ見てる! あんた達なら大丈夫だ! 頼むぞ!」
「よし、俺は王都の住民達に、この事を大々的に伝えてやる! 皆、きっと喜ぶぞ!」
俺が何も言えないでいる間に話が勝手に進んでいき、俺は道中の地図とモンスター分布図を渡された。
「「「「それじゃあ、お願いします!」」」」
「あっ、はい」
──地図を手にした俺は、皆の下にトボトボと戻っていった。
「......見ろ。俺の交渉により砦までの地図とモンスター情報を手に入れてきたぞ」
「なかなかやるじゃないカズマ。遠くて話は聞こえなかったけど鮮やかな交渉術ね」
「カズマが予想外にやる気で驚きましたよ。では参りましょうか!」
......あれっ。
これ、どんどん逃げ道が塞がれてないか?
2
──王都から砦までは順調にいけば歩いて二日の距離らしいが、中継地点になる場所に宿泊施設があるという。
最前線なんて危険地帯に向かう馬車など当然なく、王都を出た俺達は徒歩でその中継地点を目指していた。
「あの、皆さんお腹とか空いたら言ってくださいね、おやつはたくさん持ってきてますから! それと、私も初級魔法を覚えたんですよ。なのでいつでも綺麗な水を出せますから、喉が渇いたら言ってください! あっ、ちょっとめぐみん! そっち行くと危ないわよ、道が崩れやすくなってるから!」
「うるさいですよさっきから、初めて遠足に出掛けた子供ですか! 今日は夜遅くまで歩くのですから、今からそんなにはしゃぐと大変ですよ」
大人数での旅がよほど嬉しいのか、紅い瞳を興奮で輝かせたゆんゆんが、俺達の先頭を早足で歩く。
いつか紅魔族の里に行った際にもちょっとだけ一緒に旅をしたが、今回の様な泊まりがけの旅はまた一味違うのだろう。
そして、浮かれているのがもう一人。
「ねえねえ、これって何かしら。アクセルの近くでは見たことがない綿毛がフワフワ浮いてるんですけど!」
「......む。おいアクア、それはケサランパサランという綿毛の精霊だ。とても無害な生き物だからそっとしておいてやれ。......ああっ、言ってる傍から!」
辺りに漂う謎の毛玉を追い掛けながら、アクアが目を輝かせていた。
「ケサランパサランは雪精の亜種とも言われる毛玉の精霊ですから、あまりいじめるとそれの元締めの大精霊が襲撃に来ますよ?」
興味深げに毛玉群を追い掛けるアクアを尻目に、俺はめぐみんに、今の内に気になっていた事を尋ねる。
「なあめぐみん、コイツは本当に連れて来ちゃっても良かったのか?」
俺はそう言って、上機嫌で先頭を歩くゆんゆんの足下に、ちょこまかと纏わり付くちょむすけを指した。
よりにもよって危険な最前線にコイツを連れて行く必要もないと思ったのだが、めぐみんはこの黒い毛玉が役立つ時がくるかもしれないと言い張ったのだ。
「それは現地に着いてから分かる事です。というか、もしかしたらその子がいてくれるだけで魔王の幹部への牽制になるかもしれません」
俺がわけを尋ねても、めぐみんはそれ以上の事は言おうとしない。
というか、よく餌をくれるゆんゆんに懐いているあの毛玉が、邪神と言われてもいまいちピンとこないんだよなあ。
「お、おいアクア。それ以上は本当にマズいぞ、そろそろ放してやったらどうだ」
「もうちょっとだけ触らせて。この子のふわふわの毛が遠く離れたゼル帝の事を思い出させるの」
「ゼル帝とは今朝別れたばかりじゃないか」
俺とめぐみんの後ろから聞こえてくるそんな平和なやり取りに、ここが本当に最前線なのかと疑いたくなる。
と、俺がそんな事を思っていたその時だった。
すっかり油断していた俺に、敵感知スキルがピリピリと警告を与えてきた。
ここのところ平和ボケしていた俺は、久しぶりのスキルの気配に反応が遅くなる。
俺が皆に警告を発しようとするが......。
「待ちな、そこの冒険者! ここから先は通さねえぜ! 金と荷物を置いてきな!」
──そんな月並みなセリフを吐きながら道を塞ぐ様に現れたのは、武装した男達の集団だった。
無精ヒゲを生やし薄汚れた格好をした連中を見た俺は、かつてないほどにテンションが上がる。
だがそれもそうだろう、俺はこの世界に来て、初めてファンタジー世界の王道と呼べるイベントに遭遇したのだ。
そして、それはアクアも同じだったらしい。
「カズマ、山賊よ! 私、山賊なんて初めて見たんですけど! モンスター蔓延るこの世界で、山賊なんて非効率な事をする人がいるだなんてビックリよ!」
そう言って、アクアが目をキラキラさせながら男達に視線を送る。
俺はかつて、異世界といえば治安が悪く、街道には必ず盗賊がいるものだと思っていた。
それが、俺がよく知るファンタジー世界でのお約束というものなのだ。
だが現実とは世知辛いもので、モンスター蔓延るこの世界で頑丈な城壁もない街の外に暮らし山賊稼業を営むなど、酔狂としか言えない。
そりゃそうだ、モンスターが多数生息する中でサバイバル生活が出来る戦闘能力があるのなら、いつ獲物が来るかも分からない不安定な山賊稼業より、真っ当に冒険者をやった方がよほど儲かるし安全で良い暮らしだって出来るのだ。
冒険者だって不安定といえば不安定だが、指名手配を受け街にも入れなくなり、常時モンスターや騎士団に怯えながら生きていく事を考えればよほどマシだ。
そんな不器用な生き様を見せるレアな存在、山賊に出会って感動を覚えたのは、どうやら俺とアクアだけではなかったらしい。
「カズマ、カズマ! カモネギよりもレアだと言われる人型モンスター、山賊が現れましたよ!」
「本当だ、山賊だ! 一人旅は何度もしたけど、私、生の山賊の人を見るのは初めてなんだけど! 紅魔の里に帰ったら皆に自慢しよう!」
目を輝かせる二人の紅魔族のその言葉に、男達は怒りのためかギリギリと歯を食い縛る。
と、俺はダクネスがやけに大人しい事に気が付いた。
いや違う。
その体が小刻みに震えている事からして、今まで求めていた存在にやっと出会えて喜びに打ち震えているのだろう。
ちっとも怖がる様子を見せない俺達に、山賊達が憤る。
「おいお前ら、舐めてんのか!? とっとと金出せって言ってんだ!」
リーダーらしきヒゲの男が目を血走らせて脅しを掛けた。
テンプレだ!
本当にテンプレ通りの山賊だ!
ますます感動を覚えていた俺の前に、ダクネスがズイと出て立ち塞がった。
「お前達の様な、ロクに風呂も入ってはおらず、とても男臭そうで! 山中の禁欲生活のためか、欲望にギラギラと目を輝かせ! 相手がか弱い女であろうとも、力尽くで無茶をしそうな山賊共に! このダスティネス・フォード・ララティーナ、女騎士の端くれとして引くわけにはいかぬ!」
俺達を庇う様に立つダクネスは、今までに見た事もないほど頰を上気させ名乗りを上げる。
「ダスティネス......?」
「お、おい、アイツ今ダスティネスって言ったか?」
「ダスティネスってあのダスティネス一族か? そういえば、アイツ金髪で目が青いぞ! ありゃあ貴族の特徴だ!」
ザワザワとどよめく山賊達を気にも留めず。
「金と荷物を置いていけと言っていたが、どうせそれだけでは収まらないのだろう? 私達を見るその視線で分かるとも、武装を解除させた貴様達はきっとこう言うのだ! 『おい、よく見ればこいつら上玉ばかりじゃねえか! へっへっ、コイツはきっと高く売れるぜ......!』」
これからは淑女らしく振る舞うと宣言していた変態がつらつらとおかしな事を口走る中、目の前にいた男達が蜘蛛の子を散らす様に逃げ出した。
「もちろんそこで終わるはずもない! 『お頭、売り飛ばす前に俺達にも味見させてくださいよ』と! そして頭と覚しきお前はニヤニヤしながらこう言うのだ! 『おう、もちろんだ。こんな上玉を前にして指をくわえてられるわけが......』......お、おいどうした。突然どこへ行く、なんのつもりだ!?」
背中を見せて逃げ出した山賊達に、ダクネスが戸惑いを見せる。
「貴族がいるって事は近くに騎士団が控えてるに違いない! お前ら逃げろ!」
「しかも今気付いたが、あの紅目、紅魔族だ!」
「お、おい待て、妙齢の女達を目の前にしてお前達はそれでいいのか!? 大丈夫だ、騎士団なんていない! 待て、山賊としての誇りを......!」
俺はバカな事を言って山賊を追い掛けるダクネスを取り押さえた。
3
「まったく、お前があの連中をしつこく追い掛けようとするもんだからこんな事になったんだぞ」
「う......。だ、だが、私は騎士として民に害を与える存在を野放しにしておく事など出来なかったわけで......」
辺りはすっかり暗くなり、野営の準備を終えた俺達はたき火を囲み休んでいた。
どこかのアホが何度も山賊退治を提案しては周囲を探し、そのおかげで予定していた中継地点にたどり着けなかったのだ。
「でも、私としても山賊退治がしたかったですね。あのレアモンスターは倒すとお金を落とすのですよ」
「おい、野生の山賊をモンスター呼ばわりするのは止めてやれ」
それに、それは相手が犯罪者でも強盗という行為だ。
「ところで、外でお泊まりって事は見張りがいるわよね? モンスターを警戒しないと危ないし」
たき火に小枝を放り込み、その上に吊るした鍋の中身をかき混ぜながらアクアが言った。
鍋の中のシチューが良い香りを漂わせる。
「う、す、すまない。見張りなら私がやろう。体力には自信がある、皆は眠っていてくれればいい」
「ダクネスさん、私はキャンプみたいで嬉しいですよ! 大丈夫、私が見張りをやります! 任せてください!」
申し訳なさそうなダクネスに、ゆんゆんが明るい声を上げた。
見た感じ、気を遣っているのではなく本当に嬉しそうだ。
そんなゆんゆんを見上げながら、めぐみんがぽつりと言った。
「......あなたはこれ以上の徹夜はダメですよ? どうせ今回の旅が楽しみで、昨日の夜から一睡もしていないでしょうから」
「ど、どうして分かったの!?」
遠足を前にした子供みたいだ。
「見張りなら俺がやるよ、なんせ夜型の人間だからな。それに俺には敵感知スキルや暗視スキルがある。飯を食ったらたき火は消して、モンスターに見つからない様にしよう」
俺の提案にダクネスが申し訳なさそうに目を伏せる。
「すまないカズマ、元はと言えば私の迂闊な行動が原因なのに......」
「本当だよ。お前ももういい大人なんだから、知らないおっさんにホイホイ付いていこうとするんじゃないぞ?」
「大丈夫。先ほどは山賊だなんていう、女騎士の天敵みたいな連中が現れたから理性を持っていかれただけだ。私はもう、特定の相手にしかなぶられたりはしないと心に決めているからな」
「ちょっと何言ってるのか分かんないし分かりたくもないがそれならいい」
真剣な顔でバカな事を口走るダクネスに、俺も真面目な顔で返した。
──それは、遅めの晩飯を食い終わり、歩き疲れていた皆が眠りに就き、かなりの時間が経った頃。
たき火を消して一人で見張りをしながら、千里眼スキルによる暗視能力をどうにか向上させ、皆の寝顔の一つでも見られないかと、色々やっていた時だった。
それは、そう遠くない暗闇から。
敵感知スキルにより、僅かにモンスターの気配が感じられた。
既にたき火は消している以上、今夜の様に曇り空で星明かりもない闇の中では、夜行性のモンスターといえど簡単に俺達を見つけられるとは思えないのだが......。
それでも念には念を入れて、闇の中で全員に触れ、潜伏スキルを発動させた。
絵的には寝ている皆に夜這いを掛けようとしている図だが、これは緊急の避難措置なのでやましい事など何もない。
とりあえず、これで見つかる事はないと思うのだが。
......と思ったのもつかの間で、敵感知で感じられるその気配は、あきらかにこちらを目指して向かって来ている。
今はまだ日付が変わってはいない時刻だろう。
と、俺はその時、モンスターの正体に思い至る。
相手はきっとアクア目当てのアンデッドだ。
アクアと二人でダンジョンに潜った時も、確か潜伏スキルが作用せず大量のアンデッドにたかられた。
仕方ない、皆を起こすか?
だが皆を起こして戦うとなると、灯かりを付けなければいけなくなる。
それは新たな他のモンスターを呼び寄せるかもしれないし、何より灯かりに照らされたアンデッドのインパクトは酷いものがある。
ゾンビやスケルトンの一匹や二匹程度なら俺一人でもどうとでもなるな。
こっちには千里眼スキルというものがあるのだ、近付いてきたら弓で何発か狙撃して倒してしまおう。
気楽にそう考えながら、静かにそれが近付いてくるのを待っていると。
重く、そしてとても不快な音がした。
──ズルッ。
それは、何か湿った物を引きずる音。
──ズルッ。
そして少なくとも、ゾンビ程度の大きさの生き物が立てる音じゃない。
目を凝らしてみるものの、なぜか敵の形が分からなかった。
何だか嫌な予感がし、俺はやむなく皆を起こす。
「おい、何か来てる。多分だがアンデッドだ。......おい、起きろって。アクア。アクア!」
他の三人はすぐに目を覚ますが、こんな時に一番必要なヤツが目を覚まさない。
アンデッドを呼び寄せた元凶のクセに最後まで寝こけているコイツはなんなのか。
──ズルッ。
その重い音の方に向け、俺は刀を抜いて身構える。
「おい、そこのアホを起こしてくれ! あと、なぜか暗視じゃ敵の輪郭が捕捉出来ない。灯かりを付けるぞ!」
ダクネスが大剣を鞘ごと引き寄せ立ち上がり、めぐみんがアクアを揺さぶる。
「アクア、アクア! 起きて下さい、アンデッドだそうですよ!」
めぐみんの声に、アクアは動こうともせず。
「眠いからー......、今日のところは見逃してあげるわって言っといてー......」
「このクソバカが、寝ぼけてんじゃねえ! お前目当てに寄ってきてるんだよ、とっとと起きて何とかしろっ! 『ティンダー』ッッッ!」
いつもより魔力を込めて、大声で着火の魔法を前方の地面に解き放った。
火種のない地面に灯った魔法の灯かり。
大量の魔力を込めたとはいえ、すぐに消えてしまうだろう。
灯かりに照らされたものを見て、なぜ暗視スキルで視認しきれなかったのかを理解した。
ソレはとっくに視界に入っていたのだ。
相手の輪郭が分からなかったのは、ただ単にそいつが大き過ぎただけだった。
「あっ......あわわわ......、どっ......、どどど、どっ......!」
めぐみんがソレを見て、挙動不審に狼狽えた。
「噓でしょ......。こ、こんな所に、なんで......!」
おそらくは今まで数多の強敵を相手にしてきたであろうゆんゆんですら、引きつった顔で後ずさる。
普段は強敵相手だと嬉々として突っ掛かっていくダクネスすらも、様子をうかがい喉を鳴らす。
「......は、早くアクアを......。ア、アクアを起こしてくれ......」
俺は目の前に立ちはだかるそいつを見上げ、呆然と呟く。
「─────────ッッッッ!」
たとえ様のない音が闇夜に響く。
咆哮を上げたのだろうが、既に声帯が腐り落ちているためそんな音しか鳴らなかったのだろう。
大きなアギトをガパッと広げ、声を出そうとする度に、何かが辺りに吐き散らされた。
地に落ちて湿った音を立てる吐き散らかされた物は腐り落ちた体の一部。
「アンデッドとはいえ仮にもドラゴン。聖騎士として、これほどの誉れがあるだろうか! 三人とも下がっていろ!」
俺達を背に庇う様に、ダクネスが大剣を抜き身構えた。
「───────────ッッッ!」
ダクネスからの敵意を感じ取ったのか、再び声にならない音を響かせ、巨体を引きずりこちらに向かって......!
「アクアーっ! アクア様あああああーっ! ドラゴンがっ! ドラゴンゾンビが現れた! 早くっ! 頼む、早くアレ何とかしてくれえええええ!」
民家ぐらいならのしかかっただけで簡単に押し潰せそうな巨大な体軀。
ドラゴンゾンビが翼を広げると、ただでさえ巨大な体が更に膨れあがったかの様に目に映る。
ともすれば絶望のどん底に叩き落とされそうな気分で、俺はアクアに呼び掛けていた。
ただ一人、緊迫感のないアクアだけがうるさそうに寝返りを打ち......。
「んー......。ドラゴンゾンビぐらい......ゼル帝の手にかかれば......」
「寝ぼけてないで起きろってんだよ、お前ドラゴンゾンビのエサにすんぞ!」
ドラゴンゾンビがダクネス目がけて飛び掛かった!
4
「『ターン・アンデッド』──ッ!」
アクアの魔法を受けたドラゴンゾンビが、声にならない悲鳴を上げ光と共に浄化される。
アンデッドに対しては本当に頼りになるやつだ。
俺はアクアに感謝の言葉を言おうと......。
......?
いや待て、よく考えたらこのドラゴンゾンビを引き寄せたのはコイツだ。
俺はゆんゆんとめぐみんが寄り添っている、地に横たわったままのダクネスを見る。
「ダクネス! しっかりしてくださいダクネス! 傷は浅いです、目を覚ましてください!」
「ねえめぐみん、揺らしちゃダメだよ! ここここういう時こそ落ち着いてぇ!」
そもそもアクアがとっとと起きて浄化していれば、こうして俺達を庇ったダクネスが気絶させられる事もなかったわけで。
「ふふん、ドラゴンゾンビといえどこの私の敵ではなかった様ね。カズマ、私を崇め奉ってくれても良いわあああああーっ!?」
俺は無言でアクアの頰を両手で挟むとドレインタッチを行使した。
「ちょっと、何すんのよ! いきなりそんな事されたら抵抗できないじゃないの!」
俺の手を振り払い涙目のアクアが食って掛かる。
「抵抗されないために不意打ちしたんだよ! 見ろ、ダクネスの惨状を! お前が呼び寄せたドラゴンゾンビだろ、呼ばれたらとっとと起きろ! 俺が見張りで眠れなかった分、お前の体力分けて貰うからな?」
「ええっ!? い、嫌よっ! 今は不意打ち食らったけれど、次からはあんたのドレインタッチぐらい簡単に抵抗してやるからね。本家リッチーのドレインにすら抵抗した私から、吸えるもんなら吸ってみなさいな!」
こいつどこまで自己中なんだ!
変なポーズでこちらに身構えるアクアはとりあえず放置し、俺はダクネスの下へ駆け寄ると、ティンダーで灯かりを灯して容態を見る。
俺がアクアを叩き起こしている際に、ダクネスはドラゴンゾンビの攻撃を一手に引き受けていたのだが......。
「『ヒール』! ......流石ダクネスねえ。ドラゴンゾンビは持ち前のブレス能力は無くなっているけれど、不死化して体のリミッターが外れたその物理攻撃は、生前のドラゴンの力を超える事すらあるのよ? まともに正面から攻撃を食らって、よくクシャッてならなかったわね」
アクアがダクネスにヒールを掛けながら、そんな物騒な事を言ってきた。
よく考えたらダクネスがこうもアッサリ沈むのも珍しい。
それ程までに最前線であるこの辺りのモンスターが凶悪だって事か。
......しかし、ドラゴンゾンビがいるって事は通常のドラゴンもいるって事なんじゃ......。
いや、この辺りのモンスター分布図にドラゴンゾンビの名はあったが、確かドラゴンの名前はなかった、だから大丈夫だと信じたい。
鎧がひしゃげぐったりしているダクネスの隣では、めぐみんとゆんゆんが心配そうに見守っている。
......と、俺はある事に気がついた。
「参ったな。今の戦闘の魔法の光やティンダーの灯かりでモンスターがこっちに向かって来てるぞ。敵感知にビンビンきてる。しょうがない、移動するぞ。お前とダクネスの荷物は俺が持ってやるから、アクアはダクネスを背負ってくれ」
「ええっ! ダクネスを背負うって、鎧を着たダクネスは超重いんですけど! それに、この暗い中移動するの!?」
俺はテキパキと荷物をまとめながら、
「自分に筋力増加の魔法を掛けてくれよ。俺じゃ無理だけど、運と知力以外のステータスが高いお前ならあれ使えばいけるだろ。ついでに俺にも掛けてくれ。三人分の荷物を持つんだ、支援がないとちとキツイ。めぐみんとゆんゆんは俺のそれぞれの手を摑んでいてくれ。二人の手を引きながら暗視を使って進むから、転ばない様に気をつけてな」
言いながら、皆の荷物をまとめて背負う。
ぐう......。流石に重い......!
「ダクネスってば鎧を着てるとはいえどうしてこんなに重たいの? しかもこの子ってば、ドラゴンゾンビにかじられたからか酸っぱい臭いがするんですけど......」
「......ダクネスは筋肉質なのを気にしてるからな。間違ってもそれを言うなよ?」
──鎧姿のダクネスを背負うアクアが歩く度、ガシャガシャと鎧の音がする。
星明かりも見られない曇り空の下、俺達は暗闇の中を進んで行く。
俺以上の暗視能力を持つアクアが先頭を歩きながら楽しげに言った。
「なんかこうして真っ暗な中を歩いていると、カズマと二人でダンジョンに潜った時の事を思い出すわね。あの時はカズマに暗闇の中お尻触られそうになったんだっけ」
「おい、根も葉もない噂を広めると置いて行くぞコラ」
闇の中、そんな事を言い合っているとめぐみんが吹き出した。
「ドラゴンゾンビに遭遇して、しかもこの危険地帯で他のモンスターから逃げている最中だというのに、なんでしょうねこの安心感は。決して強いパーティーとはいえない筈なのに、皆といると何があっても大丈夫な気になってきますよ」
めぐみんがそんな事を言いながら、握っていた俺の手に少しだけ力を込める。
......そんな何気ない仕草の一つで意識させられる自分が情けない。
「いいなあ......。私にも、いつかカズマさん達みたいな仲間が出来るかな?」
同じく俺の手を握っていたゆんゆんが、羨ましそうにそんな事を......。
と、俺の右手を握っていためぐみんの手に、なぜかギュッと力が込もる。
「まあ無理でしょう。ゆんゆんはまず友達を増やす事から始めないと」
「!?」
「お、お前、このしんみりした良い空気でいきなり毒吐くんじゃねえ!」
5
しばらく歩いている内に、やがてダクネスが目を覚まし。
もうついでだとばかりにそのまま暗闇の中を歩き続けた俺達は、中継地点のものと思われる灯かりを見付け息を吐いた。
宿泊施設があるとは聞いていたが、頑丈な壁で周囲を囲った貴族の屋敷並みの大きさの建物がそこにあった。
灯かりを頼りに近付くと、特徴的な看板が。
「この宿泊施設は温泉宿ですか......。温泉といえば、皆でアルカンレティアの街に行った時の事を思い出しますね」
懐かしそうに言いながらめぐみんがクスリと笑うと、それに同調するかの様にダクネスも。
「うむ、確かあの時は、男湯に入っていたカズマが私達の入っている風呂の様子を知ろうと聞き耳を立てていたんだったな」
「カ、カズマさん、そんな事してたんですか......?」
おっと、ゆんゆんがゴミを見るかの様な目をしてますね。
「ねえカズマ、こういった辺境の温泉宿は大概が混浴なの。カズマは私達が上がった後に入って欲しいんですけど。だって身の危険を感じるもの」
「お前自意識過剰にもほどがあるぞ。俺にだって選ぶ権利ぐらいあるんだからな」
俺とアクアがガッチリ手を組み合って喧嘩していると、めぐみんが楽しげに。
「それじゃあ行きますか。こんな場所にある宿泊施設に人なんてあまりいないでしょう。きっと私達の貸し切りみたいなものですよ」
「まずは私が一番風呂よ! それとも皆で一緒に入る?」
「俺はもちろん構わないぞ」
最後に追従した俺の言葉はそのままなかったかの様にスルーされ。
「待ってください、アクアはアルカンレティアの温泉をダメにした事があるじゃないですか、アクアが入るのは最後ですよ」
「まあ、たまには皆で風呂に入るのも悪くないんじゃないか? こういった事も旅の醍醐味というヤツだ」
「皆でお風呂......。お風呂かぁ......」
かしましい女性陣が口々にそんな事を言い合いながら深夜の宿に入っていく。
......俺の話も聞いてくれよ。
と、一人取り残された俺に、めぐみんが振り返り。
「なんなら私と一緒に入りますか?」
そう言ってからかう様にクスクス笑う。
おいなんだよ、ここで俺が入りますとか言ったらそれはそれで慌てるくせに。
内心軽く動揺する俺に、同じくダクネスが振り返り。
「なるべく早めに上がるから、その後にゆっくり入るといい。お前は妙に長風呂だしな」
日本人が長風呂なのはしょうがないだろ。
「それとも、お前が望むのなら以前の様に、背中の一つでも流してやろうか?」
足を止めたダクネスが、めぐみんと同じ様な表情を浮かべながらそんな事を。
「なんだよお前ら、どうしたんだよ。人は旅先で開放的になるとはよく聞くけど、よく考えてから物を言えよ? 大体お前らはそんな思わせぶりな事言いながら、俺が本気でじゃあお願いしますって言えば......」
「いいですよ、その時は一緒に入りましょうか?」
「ああ、そんな度胸があるのならいつでも背中を流してやるぞ」
俺の言葉を予想していたのか、二人は挑発的な表情で、口裏を合わせたかの様にそんな事を。
......あれえ?
何これ、この二人はいつの間にかチョロイン化してたのか?
もう押せばいつでもいける状態なのか?
どうしよう、それじゃお願いしますと本当に言ってしまおうか。
「それじゃあ行きましょうか、カズマ」
と、俺はこちらに向けてくる、めぐみんの安心しきった楽しげな顔を見て理解した。
これは俺が口だけで何もしないと、信頼しきっている目だと。
6
──この感情はなんなんだ。
正直、あんな事を言われたらエロい事したいしイチャイチャだってしたい、凄くしたい。
だが、信頼や期待を裏切りたくない。
なんなんだよあいつらは、俺の事をどう思ってるんだよ。
めぐみんはめぐみんで、嫌いじゃないだとか、冗談みたいな感じで好きですよとか簡単に言うくせに、付き合ってくださいっていう決定的な言葉は言ってこない。
ダクネスはダクネスで、一線を越えそうになったくせに、家に帰ってきてからというもの、いつでもそういう関係になれるとなったら急にアプローチもなくなった。
なんなんだよあいつらは!
女心なんて分かんねーよ、俺からいったら大丈夫なのか?
いけそうだとは思うんだが、もし勘違いしないでくださいとか言われたらもう一緒にいられない。
くそ、俺はどうしてこうなった、こんなに臆病なヤツだったか?
というか俺は、あいつらの事が好きなのだろうか。
優柔不断な俺にはそれすら良く分からない。
というか、サキュバスサービスを受けた後ならそんなに好きじゃないとか言っちゃうかもしれない。
我ながら最低だが、悶々とした今こんな事を悩んでも、正しい答えを出せそうにない。
とりあえず、まずは風呂にでも浸かりながらゆっくり考えるとしようか。
俺は結論を先送りする事にして脱衣所で服を脱ぐ。
──と、鏡の前に立ち、レベルアップを重ねてきた俺の体もなかなか大したもんじゃないかと、ポーズを取っていたその時だった。
宿に到着したのが深夜零時を回っていたため、本来なら人が入っている様な時間ではないはずなのに、風呂場の方から機嫌の良さそうな鼻歌が聞こえてくる。
耳触りの良い鼻歌が、そこにいる人物が女性である事を教えてくれた。
俺が後から風呂に入る事は皆が知っているにも拘わらず、まだ誰かが入っているというこの状況。
これってアレか、めぐみんかダクネスがまた俺をからかおうとしてんのか。
俺はそんなに何もしないヘタレだと舐められてんのか。
......よし、決めた。
悩むのはやめだ。
この中にいるのがめぐみんだろうがダクネスだろうが、もし中途半端に色目を使ってからかう様ならいっそ押し倒してやろう。
泣いて謝ろうがここまでされたら、最後の一線を遠慮なく越えてやろうと思う。
もうパーティー内の関係だとか、んなもん知るか。
そう決めると、なぜか心がスッと晴れ、今まで悩んでいた事が急にバカらしく思えた。
こんなのは俺じゃない。
そう、俺は俺らしく生きるんだ。
俺は滾る想いを胸に秘め、引き戸に手を掛けガラリと開けると──
そこでは赤髪のお姉さんが風呂に入っていた。
「......あら? 誰かと思えば随分と懐かしい顔ね。お姉さんの事覚えてる? 以前アルカンレティアの温泉で会った......」
柔らかな笑みを浮かべ何かを言い掛けた女に向けて、俺は迷う事なくキッパリ告げた。
「お前を殺す!」
「どういう事なの!?」
──未だ怯えるお姉さんから距離を取り、温泉へとゆっくり浸かる。
「いやあ、いい温泉ですね。というかそんなに怖がらないでくださいよ、せっかく覚悟を決めたのにちょっと期待外れだったというか、仲間が入ってるもんだと勘違いしてただけですから」
「そ、そう? ていうか、初対面に近い相手にいきなり殺害宣言をされたら、怖がるのも仕方がないと思うの。なんていうか、目が本気だったし殺気が迸っていたし......」
お姉さんは猫科を思わせる特徴的な黄色い瞳に怯えた色を漂わせている。
「大丈夫ですよ、俺もお姉さんの事を何となく思い出しましたから。アルカンレティアにいた、俺が胸をガン見してたら涙目になってたお姉さんですよね? 覚えてますよ、だって大きかったし」
「あ、あの......。こう言っちゃ何だけど、あなたと会うのは二回目なのに、堂々と大きいだのなんだの言うのは、セクハラってやつじゃ......」
「いえ、俺は決めたんですよ。もう自分を隠すのは止めよう、自分をごまかすのは止めようって。俺は俺らしく、もう何も我慢する事なく自分らしく生きていこうって」
「それはとても良い事の様に聞こえるけど、今のこの状況で言われると、お姉さんとしては凄く身の危険を感じるんだけど......」
お姉さんはなぜか俺に対して更に怯えた視線を送りながら、自分の裸を隠す様に白濁色の温泉に肩まで浸かった。
こんな善良な俺なのに、なんだか酷く警戒されている気がする。
と、俺はこのお姉さんとの出会いを思い出した。
この人は以前、アルカンレティアで破壊工作を行っていた魔王軍幹部、デッドリーポイズンスライムのハンスと仲間の様な口ぶりで会話をしていたはずだ。
つまりこのお姉さんは魔王軍の関係者なわけだし本来なら警戒を解くべきでは......。
「ところで、あなたはどうしてこんな所に? 確か冒険者をやってるって言ってたわよね。この辺りは怖いモンスターが多いわよ? こう言っちゃ失礼なんだけど、あなた、あまり強そうに見えないけれど大丈夫?」
と、俺に疑いを掛けているのではなく、純粋に心配している様子のお姉さん。
そんなお姉さんの様子に俺は思わず拍子抜けしてしまう。
本来なら冒険者の端くれとしてこの人の正体を探るべきなのだろうが、俺は不思議と、初対面に近いはずのこのお姉さんの事が嫌いじゃなかった。
「大丈夫ですよ。俺は確かに弱いけど、今回は頼りになる紅魔族が付いてきてくれてるんで。ていうか、本当は俺もこんな所には来たくなかったんですけど、仲間がどうしてもと言うもんで。そういうお姉さんはどうしてここに?」
「私? ......そうねえ。私は、日々頑張っている自分へのご褒美に、大好きな温泉をってところかしらね? 後は、そう簡単に見付かるとは思ってないけど、自分の大切なパートナー探しってとこかしら?」
と、そんな意識の高そうな事を言い出したお姉さん。
「パートナーですか。恋人探しって事ですか?」
「うーん、恋人じゃあないんだけどね。相棒っていうか、力を封じられたもう一人の私っていうか......。まあ今では半分諦めてるけどね?」
お姉さんはそう言って、ほんの少しだけ寂しそうな表情を浮かべた。
「諦めるって、またどうして? 俺の仲間にそういった系の頭の悪い......いえ、特殊な事情に詳しいヤツがいますから、何だったら相談してみます? 丁度この宿にいる事ですし」
「ええと......。その人ってもしかしなくても紅魔族よね? 大丈夫、私はそういった系じゃないから気にしないで」
引きつった顔をしながらも、お姉さんは笑みを浮かべた。
「そうですか? まあそういう事なら......。でも愚痴ぐらいなら聞きますから、遠慮なく言ってくださいね?」
気楽にそう言う俺に向け、お姉さんは何だか楽しそうに。
「あら、愚痴を聞いてくれるの? ......昔々紅魔の里のとある場所に、私の片割れというかパートナーというか邪神というか。......まあ、相棒みたいな黒猫が封じられたお墓があってね」
と、そんな、どこかで聞いた様な事を言い出したお姉さん。
最近、紅い眼をしたロクな事をしない連中から似た様な話を聞いた気がする。
「私と一緒に解放された時、よほど鬱憤が溜まってたのか、あまりに手が付けられなくてね。それで、しばらくの間眠っていてもらったんだけど......。頃合いをみて様子をうかがいに行ったら、既に封印は解かれ、相棒は何者かに連れ去られちゃっていたのよね」
まさかとは思うのだが。
「......つかぬ事を伺いますが、その相棒の黒猫ってのは、空を飛んだり炎を吐いたりしませんかね?」
「ごめんなさい、ちょっとあなたが何を言っているのか分からないわ」
コイツは何を言っているんだとばかりに完全に真顔のお姉さん。
いやちょっと待ってくれ、邪神だの封印だの言ってる人にどうしてこんな顔されなきゃならないんだ。
俺は気を取り直すと。
「いえね、俺の仲間の紅魔族が、自分が飼ってる黒猫の事を邪神だなんだと言い張ってまして」
と、俺がそこまで言った時、お姉さんの表情が突如険しいものになる。
「......紅魔族が飼っている黒猫? その名前はほんとどうかと思うんだけど、邪神だと言っているのね?」
「え、ええまあ......。といっても、自分の前世は破壊神に違いないと言い張るヤツの言う事なんで、真に受けるのもどうかと思っていたんですが」
突然の豹変に戸惑いながらも言う俺に。
「そ、そうなの? でも一応教えてくれない? その黒猫は......そうね、怠惰な人に妙に懐いたりとかする?」
「......どうだろう? 俺が一番その猫に懐かれてると思いますが、怠惰なつもりはありませんね。パーティー結成当時は俺が一番働いてましたし、仲間内で最も常識的で真人間な自信がありますよ」
「そ、そうなの......。後はその、とても凶暴だったりとかは?」
なぜか少しだけ引き気味のお姉さんに。
「生まれたてのひよこに追い掛けられ逃げ回るぐらいには臆病ですけど」
「ありがとう、もう十分よ。私が探していた相手とは違うから」
俺の言葉に何かを確信したかの様に強く頷くお姉さんは、巻いたタオルからお湯を滴らせながら立ち上がった。
「それじゃあ、私はもう行くわね。この辺りは魔王軍との激戦地よ。そうじゃなくても、さっき山賊なんて珍しい集団と出会うぐらいに治安も悪いわ。できれば王都に引き返した方がいいわよ?」
そう言って。
お姉さんは、黄色い瞳を猫の様に細め、優しげな笑みを浮かべてきた。
「......何ていうか、お姉さんの事、どこか他人みたいな感じがしないんですよね。なんなんでしょうね、この変な感覚は。いや、別にナンパしてるわけじゃないんですよ?」
自分でもおかしな事をと思いながらそんな事を口走るが、それを聞いたお姉さんは訝しがるでもなく、なぜか驚きの形に目を開く。
「それは......。その、何だか奇遇ね。私もあなたの事を他人の様に思えないのよね。だからこそこうして、会う度に忠告しちゃうんだけど......。もしかするとあなたは知らない間に、私の片割れにどこかで会って世話をしてくれた事があるのかもね?」
お姉さんは冗談めかしてそう言うと、楽しげに笑いながら出て行った。
その様子を見送っていた俺は、あのお姉さんが魔王軍の関係者だと知ってはいても、なぜだか危険視する事ができず......。
もしまた会う機会があったなら、その時はどうして魔王軍なんかにいるのかを、あの......。
「......しまった、あのお姉さんの名前聞くの忘れた!」
7
翌朝。
ちゃんとした宿泊施設で一晩ゆっくり休んだ俺達は、意気揚々と砦へ向かっていた。
「カズマ、今日は何だか機嫌が良いですね。昨夜は遅くまでお風呂に入ってましたが、何か良い事があったのですか?」
砦への道を行きながら、めぐみんが機嫌良さげに言ってきた。
「まあな。昨夜お前らの後に温泉に入ったら、以前アルカンレティアの街で知り合った、えらい美人のお姉さんに再会してな」
俺が機嫌良くそう返すと、めぐみんが動きを止める。
「ほ、ほう? それは良かったではないですか。となると混浴したという事ですか?」
「したという事だな。うん、あれはデカかった。下手したらダクネスよりもデカかった」
聞き耳を立てていたらしいダクネスが俺の言葉に吹き出した。
「お前はいきなり何を言っている! というか、ちょっと目を離した隙にお前というヤツは何をやっているんだ。......しかし、こんな寂れた中継地点の宿に女が一人でいるというのは何だか疑わしいぞ?」
昨夜の戦闘でひしゃげた鎧を背負い、怒っているのか照れているのかよく分からない表情のダクネスが、説教じみた事を言ってきた。
「大丈夫だよ、そのお姉さんはむしろ色々と忠告してくれる様な人だから。アルカンレティアの時もそうだったけど、昨夜は山賊に会ったから気を付けろって言われたぐらいだしな」
気楽に言う俺に向け、俺達の会話に興味津々だったゆんゆんが首を傾げ。
「あの、山賊なんかに出会ってその人は大丈夫だったんですか? 多分、私達が絡まれたあの時の山賊じゃないんですか? 美人のお姉さんって事だったから、とても無事に済むとは思えないんですが......」
「ほう。あなたは大人しい顔をしているわりに、相変わらずいかがわしい妄想だけはたくましいですね」
足下をちょろちょろと駆け回るちょむすけを避けながら、ゆんゆんの疑問をめぐみんが混ぜっ返す。
あれっ、そういやゆんゆんの言う通りだな。
あのお姉さん、山賊なんかと出くわしてどうして無事だったんだ?
......まあそこは、腐っても魔王軍関係者って事なのだろう。
実はああ見えて凄腕だったりするのかもしれない。
しかし、それを聞いた俺はあのお姉さんに特に何かを思う事はなかった。
本来ならあの山賊を撃退したかもしれないお姉さんの事をもっと警戒すべきなのだろうが、一緒に何度も風呂に入った事もあるためか、あまり危険だと思えないのだ。
「ちょっと待ちなさいよ、相手が山賊なら普通はそう考えるでしょ!? 大体、めぐみんにだけはいかがわしいだとか言われたくないわよ! あんたカズマさんと一緒にお風呂に入ったり同じ布団で寝たりしてるんでしょ!?」
「おい、それを私が自分で言うのはいいけれど、人からあらためて言われると恥ずかしいので止めてもらおうか!」
以前妙な見栄を張ったせいで逆襲を受けるめぐみんを見ながら、俺はあのお姉さんの事を思い出していた。
「......ほんとデカかったなあ」
「「!?」」
──それからの道中は、昨日に続き相変わらずケサランパサランを追いかけ回していたアクアが、突如出現した毛玉の大精霊に逆襲され泣かされた事以外は特に何事もなく。
やがて辺りが薄暗くなる頃には、目的としていた砦に到着した。
「──でけえな......」
そして今、俺達は王城と変わらない大きさの砦を見上げていた。
最前線を維持する砦なだけはあり、その頑丈そうな外壁は易々と破壊できるものではない。
千人ほどが中で暮らしていけると言われているこの砦は、そこにあるだけで周囲を圧倒するほどの存在感を醸し出していた。
「この砦がたった一人の魔王の幹部に落とされそうだってのか? いくら幹部だからってさすがに無理があるんじゃないのか?」
「私もそう思うのだが、魔王軍の幹部クラスとなると一人で都市を滅ぼしかねない連中ばかりだからな。私達がアッサリ倒せてきた事自体が本来ならおかしいのだ」
ダクネスの答えを聞き、俺は魔王軍の幹部を思い出す。
──多人数で襲い掛かっても隙がなく、圧倒的な剣技を誇り、アンデッドの無尽蔵の体力と強力な魔法抵抗力を持ち、どんな強敵が相手でも一定期間の後には死の宣告で呪い殺す事ができる、デュラハンのベルディア。
──人の身に化ける能力を備え、強い魔法抵抗力と触れただけで即死する猛毒を持ち、圧倒的な巨体で全てを飲み込み喰らい尽くす、デッドリーポイズンスライムのハンス。
──その身に次々とモンスターを取り込み、様々な特性や能力を自らの物にしていった、無尽蔵に進化していくキメラ、シルビア。
──もはやどうやって滅ぼせばいいのかすらよく分からない、存在自体が反則と言っていい、公爵級悪魔のバニル。
──上級魔法やテレポート、果ては爆裂魔法すらをも操り、通常の武器では傷も付けられない肉体とドレインタッチを始めとした様々な特殊能力を持つアンデッドの王、リッチーのウィズ。
......能力や強さだけを考えれば、どいつもこいつも俺が出会ってよく生きていられたなという連中ばかり。
どうしよう、爆裂魔法と頑強な砦があれば余裕と思っていたがやっぱ帰りたくなってきた。
と、その時。
俺がいよいよ怖じ気づいていると、砦の見張りが俺達を見付け、中から数人の騎士が現れた。
「そこの冒険者。ここは魔王軍を食い止めるための砦だ。一体この地に何用で来た?」
こんなところに現れた俺達に、警戒しながら騎士の一人が近付く。
「俺達はこの国の危機を知り、援軍にやって来た冒険者ですよ。上級職が多いんで役に立つと思いますよ?」
「上級職......。なるほど、それはありがたい。だが、身元を証明できる物を拝見させて頂きたい。魔王軍幹部がこの周辺に潜伏している可能性がありまして、どうかご協力を。ええっと、まずは......」
めぐみんが冒険者カードを差し出すと、それを受け取った騎士が固まった。
「......め、めぐみん......さん......ですか?」
「私の名前が何か」
「いえ! なんでもありません、失礼しました。結構です、ではそちらの......。ゆんゆんさん、ですか」
「は、はい......。それは本名で、ゆんゆんと申します......」
「おい、さっきから私達の名前に関して何か言いたい事があるなら聞こうじゃないか!」
一々名前に反応する騎士に向け、めぐみんが杖を振り上げ激昂する。
「いえ大丈夫です、すいません! お次の方は......サトウカズマ。......サトウ、カズマ?」
めぐみんとゆんゆんに慌ててカードを返した騎士は、俺のカードを確認し訝しげな顔をした。
おっと、先の変わった名前の二人とは違い、俺の名前で反応を見せるという事は、俺もそこそこ有名になったのかもしれない。
そう、俺達は何だかんだいいながらも、結構な功績を──
「サトウカズマ! あの、悪名高いサトウカズマか! 王都ではアイリス様に余計な事を吹き込み、クレア様やレイン様に散々迷惑を掛け追い出された、あの凶悪な......!」
「おい待ってくれ」
この国の騎士の間ではそんな話が流れてんのか。
いや、間違ってはいないけれども、なんか......。
「申しわけありません。その、この砦は魔王軍との最前線を守る重要拠点なんです。ですので、知らない人物を中に入れるわけには......」
「あんた、俺の名前を知ってたじゃないか」
俺を厄介な人物だと思ってやがるな。
と、それまで後ろに控えていた隊長と覚しき男が前に出た。
「貴様があの悪名高いサトウカズマか。冒険者の分際で、なんだその態度は? 不審人物としてここで斬って捨ててもいいんだぞ? 下賎な低レベルの冒険者風情が、とっとと立ち去るがいい!」
隊長は、剣の柄に手をかけながら威圧するように脅してきた。
めぐみんがそれにカチンと来たように杖を握り、ダクネスも険しい顔で前に出る。
二人のその動きを見て、周囲の騎士達がこぞって剣の柄に手をかけた。
「なんの真似だ冒険者、我々に歯向かう気か!」
なぜこういった輩はこんなにも短気なんだろう。
どうもこの世界の貴族連中は、ダクネスを除き、人の命や人権みたいな物を軽く考えている節がある。
俺は険しい顔で前に出て、何か言おうとしているダクネスに手を向けると。
「控えろ! この御方をどなたと心得る! その名も高きダスティネス家のご令嬢、ダスティネス・フォード・ララティーナ様だ! 一同頭が高い、面を下げよ!」
「「なっ!?」」
俺の言葉に騎士達が、途端に青ざめ跪いた。
いきなりそんな事を言われたダクネスが驚き、なぜかめぐみんとゆんゆんまでもが騎士達と一緒に跪いている。
「お前らまで何してんの」
「す、すいません。不意打ちだったもので、場の雰囲気に流されまして......」
「わ、私は、ダクネスさんが貴族の方だったとは知らなかったもので......」
そう言って二人が膝を払いながら立ち上がる中、隊長がおそるおそるといった感じで問いかけた。
「ほ、本当にダスティネス卿ですか......? いえその、申しわけありませんダスティネス卿、我々は貴方様のお顔を存じ上げておらず、とんだご無礼を......! ......その、疑う訳でもないのですが、これも仕事なので一応確認を取らせて頂いても......」
その言葉に、ダクネスが無言で胸元から家紋入りのネックレスを取り出し、それと一緒にカードを見せる。
それを見て、隊長の顔面が青を通り越して蒼白になった。
「ももも、申しわけありませんっ! ダスティネス卿とはつゆ知らず、貴方様とお連れの方にとんだ無礼をっ!」
「おおっと、これはとんだ手の平返しですな! いやー、あとちょっとで斬られるとこだったかと思うと心が痛むわー。一生物のトラウマ植え付けられた気分だわー。ああっ、さっきのやり取りを思い出したら胸が苦しく......!」
平謝りする隊長に、胸を押さえてわざとらしく苦しむ俺。
そしてめぐみんが、俺の意図を察したのか──
「おっと、これはいけませんね! まったく、ウチのララティーナお嬢様のお供によくもまあ随分な態度を取ってくれましたね!」
言いながら、先ほどの鬱憤を晴らすように杖の先っちょで隊長の頰をグリグリしだした。
「謝って! 私達を攻撃しかけた事を謝って! ほら早く、ごめんなさいって謝って!」
めぐみんには頰をつつかれアクアには肩を摑まれゆさゆさ揺らされ、隊長はこめかみをひくつかせながらも無抵抗のまま静かに目を閉じ、恥ずかしそうに頰を染めて震えているダクネスに頭を下げる。
「も、申しわけない。本当に、申しわけない。ダスティネス卿のお連れ様に危害を加えそうになった事、本来ならばこの行為は切腹ものです。しかしながら、その......」
言い淀む隊長の肩に俺は馴れ馴れしく手を置くと。
「いやいや、俺もそこまでは求めてないですよ。そちらさんもお仕事なんでしょうしね。ですが、俺達もここまでの旅で疲れてましてね? 誠意を見せろとは言いませんが、ここに留まる間部屋を用意して欲しいなーなんて......」
「それはもちろんご用意させて頂きますとも! ダスティネス卿とそのお供の方に相応しいお部屋を!」
顔を引きつらせながら頷く騎士隊長に、ダクネスが恥ずかしそうに頭を下げた。
1
皆に個室が与えられ、早速部屋に荷物を置いた俺は、暇を持て余していたアクアと共に砦内部を探索していた。
それほど戦況が良くないのか、通りすがりの冒険者や兵士達は、皆ピリピリした雰囲気を纏い余裕がない。
そんなどことなく緊張したムードの砦の中。
制御室の札が掛けられた部屋で、俺とアクアは興味深く辺りの物をいじくっていた。
「ねえカズマ。ここに謎のボタンやレバーがたくさんあるんだけど、これってどう見ても押せって事よね?」
「押せって事だな。むしろそこにボタンがあって押さないだなんてどうかしてる」
「いきなりやって来てなんなんですかあなた方は! それは砦の跳ね橋や扉の開閉レバーや罠のボタンですから、絶対に押しちゃダメですよ! いいですか、絶対ですからね!?」
リアクション芸人みたいな事を言い出した兵士の言葉に、案の定アクアが反応する。
「そこまで言われちゃ押さないわけにはいかないわね。とりあえず、ガラスケースで保護されてるそこのボタンを......」
「それは砦を破却する際の自爆ボタンです、押さないでください! 押さないで......押すなっつってんだろ、お前ら出てけ!」
俺達は突然怒りだした兵士に追い出され、部屋の前に立ち尽くした。
「また追い出されちゃった。ここの人達は何だかピリピリしてるわね」
「なにせ最前線にある砦だからな、皆余裕がないんだろう」
色んな部屋で余計な事ばかりしたせいか、あちこちで追い払われた俺達はとうとう行く当てがなくなってしまった。
「しょうがない。無料で使える食堂があるらしいから、そこへタダ飯貰いに行こうぜ」
「それは良い考えね。私、荷物の中からお酒持ってこようかしら」
何を入れればリュックがそんなにパンパンになるんだと思っていたが、こいつ酒なんて持ってきてたのか。
と、その時。
「アクア様!? アクア様じゃないですか!」
廊下の向こうからどこかで聞いた声がする。
見覚えのあるその男は......。
「ミツラギじゃないか、久しぶりだな」
「ミツルギだ! もしかしてわざと間違ってるんじゃないだろうな!? いい加減人の名前を覚えてくれ!」
魔剣使いのソードマスター、ミツルギがいた。
「アクア様、お久しぶりです! 相変わらずお元気そうで......」
「ええ、私はとてもお元気よ。魔剣の人もお元気かしら? ていうか、いつものハーレムっ子達はどうしたの?」
「ハーレムっ子!? い、いえ、あの二人は戦況の悪化と共に、危険なので王都まで下がらせました。......って、そうです!」
ミツルギは、アクアから俺へと視線を向けると。
「佐藤、どうしてこんな危険な所にアクア様を連れて来たんだ。ここがどういった場所か分かってるのか!?」
「分かってるよ。ここは魔王軍との最前線で、しかも魔王の幹部が定期的に襲撃に来てるんだろ?」
それが分かっているのならどうして、という顔をするミツルギに。
「私達はね、ここで頑張ってるあなた達のために応援に来たの。何でも、相手は邪神を名乗ってるそうじゃないの。なら、こっちも神である私が出なきゃって思ってね」
自分の許可もなく勝手に邪神を名乗るのが許せないと喚いていたアクアは、さも当然といった顔でサラリと言った。
「アクア様があの女と戦うのですか!? そ、それは......。確かにアクア様なら対抗できるのでしょうが、あの女は危険ですよ? 相手はたった一人だというのに、この砦が陥落寸前にまで追い込まれているんですから」
ミツルギは、そう言ってアクアに心配そうな表情を向ける。
「魔王軍幹部って女だったのか。......ていうか、それだよ。相手は邪神を名乗ってるらしいけどさ、この砦にはチート持ちの日本人が何人もいるんだろ? それに、俺に負けたとはいえ高レベルな魔剣使いのお前だっている。まあ俺に負けたんだけどさ。それが、たった一人を相手に苦戦してるってのはどういう事だ?」
「ま、負けた負けたとうるさいよ、どうせ僕とのリベンジ戦は拒否するクセに。......まあ、僕たちが追い込まれているのにはわけがあってね。というか、まだアレを見てなかったのか?」
......アレ?
と、首を傾げる俺とアクアに、
「その様子だとまだみたいだね。どうせ暇なんだろう? 良いものを見せてあげるよ」
ミツルギはそう言って、俺達の前に立ち歩き始めた。
──ミツルギに案内されて砦の外部に出た俺達は、そこでとある光景を目にしてしまった。
それは砦の命とも言える外壁の一部。
頑丈なはずの外壁は、ある一面だけが、何度も強烈な攻撃に晒されたのか崩壊寸前に陥っていた。
「おい、これってもしかして......」
そして何より、俺はその凄まじい破壊跡に見覚えがあった。
それもそのはず、俺はこの破壊跡を毎日見ている。
伊達にめぐみんから爆裂ソムリエの称号をもらったわけではないのだ。
「ああ。魔王軍幹部ウォルバクは、爆裂魔法を使うんだ」
ミツルギはそう言って、絶句する俺に苦笑を浮かべた。
2
ミツルギと別れた俺とアクアは、皆を部屋に呼び寄せた。
「よし。ではこれより、今後の予定を決めるとしようか」
集まった皆を見回して、俺はベッドに腰掛けながら口を開いた。
「今後の予定とはどういう事だ? 私は先ほどこの砦の司令官に会ってきたが、魔王軍幹部を何度も撃退した経験があると伝えたら、私達に指揮権を預けたいと言われたのだが」
知らないとこで厄介事を増やしていたダクネスに、俺は頭を抱えたくなる。
ハッキリ言って今回はダメだ。
砦で身を守りながら、敵が現れたら何かを仕掛けられる前に、最も射程が長い攻撃魔法である、爆裂魔法を使っての先制攻撃を予定していた。
たとえ相手が霊体だろうが何だろうが、それが神や悪魔ですら、ありとあらゆる存在にダメージを与えられる爆裂魔法。
当初の予定ではそれだけで大半の敵は撃退できると踏んでいたのに、相手が同じ魔法を使う以上、当然魔法の射程距離による優位性も失われてしまう。
「いや、実はな? ウォルバクとかいう魔王の幹部が、よりにもよって爆裂魔法を使うらしいんだ」
「ッ!?」
俺の言葉を受けためぐみんが椅子を蹴って立ち上がる。
爆裂魔法というワードに反応したのだろうか。
「爆裂魔法ですか!? そ、それは想定してませんでしたね......。私はめぐみんのおかげでアレの威力はよく知ってますから、正直言ってどう対抗したらいいのかが分かりません......」
ゆんゆんが申しわけなさそうに項垂れる。
「大丈夫だ、私に任せろ! この私は過去に爆裂魔法に耐えた実績がある! 私が囮を引き受けよう。皆は、魔法を放った後で隙だらけになった相手を討ち取ってくれればいい」
「お前、今は鎧がないだろ。アクアの支援魔法を受けたって無事でいられる保証はないんだぞ?」
ドラゴンゾンビとの戦いで鎧を破壊されたダクネスが、不満そうに肩を落とす。
それを見たアクアがうんうんと何度も頷き。
「まあ、つまりはそういう事なのよ。せっかくここまで来たわけだけど、今回のところは勝手に邪神を名乗る事くらいは見逃してあげようかと思ってね。別に怖くなったわけじゃないんだけど、ほら、ウォルバクなんてマイナーな邪神、私聞いた事がないし、かわいそうっていうかね?」
爆裂魔法を使うと聞いて真っ先に腰が引けた自称女神が、聞いてもいないのに言いわけじみた事を言い出した。
と、ジッと動かないままでいためぐみんが、突然マントを撥ね上げる。
「我が名はめぐみん! アクセル随一の魔法使いにして爆裂魔法を極めし者! 魔王軍の幹部にして邪神を名乗り、しかも爆裂魔法の使い手とは......! その者こそは私が求め続けていた宿命のライバルでしょう!」
「ええっ!?」
めぐみんのライバル宣言になぜかゆんゆんが声を上げる。
「ええっ!? ではありませんよ、爆裂魔法の使い手とは、相手にとって不足はないです。もし万が一私が敗れるとしても、それが爆裂死ならば本望です! ええ、そんな壮絶な最期なら、我が人生に悔いなどありませんとも!!」
どうしようもない事を言い出しためぐみんに、ゆんゆんが涙目で縋り付いた。
「何バカな事言ってんの!? ていうかめぐみんのライバルは私でしょ!? なんで会った事もない魔王軍の幹部が勝手にライバルに昇格するのよ!」
「な、何ですか急に! 本当に面倒臭い子ですね、我が真なるライバルとして認められたいというのなら、爆裂魔法を覚えてくるといいです。そうしたら、毎日私の散歩に連れて行ってあげますから」
「爆裂魔法なんて覚えたくもないし、連れてってもらわなくていいわよそんなもの! それよりも、相手は爆裂魔法を使うのよ!? そんな相手に......」
「爆裂魔法なんて覚えたくもないとはよくも言ってくれましたね! いいでしょう、それは私への挑戦と受け取りました! 久しぶりに勝負しましょうか、負けたらスキルポイントを溜めに溜め、爆裂魔法を覚えてもらいます!」
「い、いやよそんなの! 人生を左右するような勝負だなんて絶対に......、ちょっとめぐみん目が紅い! 本気で言ってるわけじゃないでしょ!? ねえ本気じゃないわよね!?」
取っ組み合いを始めた二人は放っておき、俺は今後の予定を皆に話した。
「めぐみんだけはバカな事を口走ってるが、今回の敵はさすがに危険すぎる。一撃食らうだけで即全滅だってあり得るわけだ。体が消し飛んだらアクアの蘇生だって効果がない。というわけで、今回は撤退という事で......」
「何バカな事を言っているのですか! これほどの相手を前に逃げてどうするのです! これはもう運命の相手ですよ、ええ、間違いありませんとも!」
ヒートアップしてきたのか、目を紅く輝かせためぐみんは椅子に片足を掛けポーズを取る。
「我が使い魔ちょむすけを狙う相手が、爆裂魔法を操りし者にして魔王軍の幹部で邪神を自称するだとか! これはもうウォルバクを倒して、そっくりそのままこの私が、魔王軍幹部と邪神の称号を頂くしかありませんね!」
「お前は何を言っているんだ。......というか、今回ばかりはリスクが高すぎるだろ。先に撃った者勝ちの勝負になるんじゃ賭けに出るには分が悪いぞ」
「分が悪いなんて事はありませんよ。この私が好きな魔法は爆裂魔法。趣味はもちろん爆裂魔法。私と言えば爆裂魔法。そう、アクセルの街の爆裂魔法使いといえばこの私です。この魔法を覚えてから今まで来る日も来る日も放ち続けてきたのです。詠唱速度に正確さ、そして魔法の破壊力! 爆裂魔法において私以上の使い手など、もはやこの世にいないと断言できます!」
そんな事を堂々と言ってのけためぐみんは、自信有りげに息を吐く。
「お前、いつぞやデストロイヤーを破壊した際、ウィズに負けてなかったか?」
「あれはもはや過去の事。レベルが上がり各種爆裂魔法系の威力向上スキルを覚えてから、ちゃんと爆裂魔法の試しっこを挑み勝利しました。アクセルの街で一番の爆裂魔法使いはこの私です」
コイツ、目を離した隙にそんな事してやがったのか。
「大丈夫です。寝苦しい夜などは眠くなるまで爆裂魔法の詠唱をしている私なら、どんな相手だろうが先に唱え終わる事ができますから!」
「おいふざけんな、お前そんな物騒な事してやがったのか!」
と、俺がめぐみんに説教しようとしたその時だった。
耳をつんざく轟音と共に、砦が激しく揺れる。
天井から何かがパラパラと降り注ぎ、めぐみん以外の皆は、思わずその身を竦ませた。
毎日めぐみんの爆裂魔法をそばで聞いていた俺としては、もちろん今の音を間違えるはずもない。
たった今この砦を揺るがしたのは、紛う事なき爆裂魔法だ。
敵襲を知らせる警報が砦に鳴り響く中、めぐみんが一人難しい顔をして唸っていた。
「ううむ、今のはなかなかの振動でしたね。魔法を放つ直前に伝わってきた魔力の波動といい、かなり洗練された爆裂魔法である事は間違いないです。伊達や酔狂で習得したわけではなさそうですね」
「お前は何の評価を下してるんだ」
だが、爆裂ソムリエの称号を得ている俺としても、今のはかなりの精度だと分かった。
今のに点数を付けるなら、九十点以上をあげてもいい。
「それよりも、急ぐぞめぐみん。今がチャンスだ、襲撃してきた魔王の幹部を倒しに行く!」
「へっ? ど、どうしたんですかカズマ、先ほどまでの意見を急に変えてしまって」
胸当てなどの防具もそこそこに、俺は武器だけを取って立ち上がる。
そんな俺の行動に呆気に取られている皆に向けて。
「たった今爆裂魔法を撃ってきたって事は、今日はもう爆裂魔法は使えないって事だろ?」
「「「「あっ!」」」」
いくら相手が幹部とはいえ、膨大な魔力を消費する爆裂魔法を日に二度も撃てるとは思えない。
なにせ、同じ魔王軍幹部にしてリッチーのウィズですらが、爆裂魔法を一発撃っただけでほとんど魔力が尽きたのだ。
となれば、魔力切れを起こしている今なら敵の前に出ても怖くない。
部屋を飛び出した俺の後を皆が追ってくるのを確認すると、ミツルギが案内してくれた、しょっちゅう爆裂魔法を撃ち込まれている跡地に向かった。
息を切らせた俺達が現場に着いて見たものは。
「これは酷い」
破壊跡の上から更に爆裂魔法を撃ち込まれたらしく、瓦礫の山と化した一部の外壁と、地面に残された巨大なクレーターのみだった。
現場には、俺と同じく爆発音を聞いて駆け付けたらしい冒険者や騎士がたむろしている。
そこに見知った顔を見付け、俺は近づき声を掛けた。
「おい、魔王の幹部はどこ行った? 魔力切れの今なら楽に討ち取れるんじゃないのか?」
破壊の跡を前に呆然と佇んでいたミツルギに、実行犯の場所を問う。
だが、返ってきたのは。
「ウォルバクならとっくに逃げたさ。......これが僕達が苦戦してる理由でね。邪神ウォルバクはふらっと現れて遠くから爆裂魔法を放った後、こちらが接近する前にテレポートを使って引いていくんだ」
ミツルギはそう言いながら。
「砦の近くの森では、魔王軍の精鋭部隊が陣を張って待ち構えていてね。おそらくはそこに逃げ帰り、魔力を蓄えてまたやって来るのさ。相手は数だけは多い上に、森はモンスター達のフィールドだ。外壁もない砦の外で、しかも相手の得意な地形で戦いを挑めばこっちが負ける。かといってこのまま砦に籠もり続けても、外壁が完全に破壊されれば、待ち構えている精鋭達が満を持して襲い掛かって来るだろうね」
おそらくは、今の様な事が何度も繰り返されてきたのだろう、辺りにいる連中も憔悴しきった顔で項垂れていた。
爆裂魔法を撃ち終わった幹部を仕留めに行こうにも敵の精鋭達が邪魔をし、かといってそれらを迎え撃つために頑強な砦に籠もっていれば爆裂魔法が撃ち込まれる。
数で包囲して爆裂魔法で燻り出すという単純な力業だが、それだけに効果的だ。
と、そんな説明を終えたミツルギは。
「せめて、ウォルバクか魔王軍の精鋭達。その、どちらかが欠ければどうにでもなるんだが......」
魔剣の柄を握り締め、悔しそうに目を閉じた──
「──よし。逃げよう」
「そうしましょうそうしましょう。アクセルに帰ってゼル帝のベッドを作るの。あんな邪悪な抜け殻よりも快適で、ゼル帝が気に入ってくれる素敵な寝床をね。大丈夫。魔王の幹部なんてゼル帝が大きくなればイチコロよ」
部屋に戻った俺とアクアは早速帰り支度を始めていた。
それを見たダクネスが、慌てた様子で言ってくる。
「ま、待てカズマ、私は既にこの砦の指揮権を押し付けられたと言っただろう。それなのに、やっぱり止めて帰りますというのはちょっと......」
「なんでこんな時に限ってそんな面倒臭い事引き受けるんだよ!」
「お前が私の名前を出して大威張りしてくれたからだ!」
俺とダクネスが言い合っていると。
「あら? そういえばゆんゆんはどこ行ったのかしら。さっきまでは一緒にいたと思ったんですけど」
「あの子なら、破壊された外壁を魔法を使って直すお手伝いをしてますよ」
「なるほど、さすがはできる方の紅魔族と言われるだけはあるわね。私も、怪我人がいないか見てこようかしら」
「できない方の紅魔族とは誰の事なのかを聞きましょうか」
目を輝かせ始めためぐみんから逃げる様に、アクアは珍しくプリーストっぽい事を言いながら部屋を出て行く。
それを見たダクネスが、うんうんと何度も頷いた。
「アクアもゆんゆんも自らにできる事を務めている。凄いな、さすがはベテラン冒険者だな。なあカズマ、私達はもうベテラン冒険者でいいのだろう?」
この非常事態だというのに目をキラキラと輝かせているダクネスが鬱陶しい。
コイツはどうも、英雄や勇者などといった存在に憧れる節がある。
そんなコイツとしては、ピンチに陥ったこの砦を見捨てたくはないのだろう。
頭の硬いコイツをどうやって説得しようかと悩んでいると、それを見ていためぐみんまでもが申しわけなさそうに。
「あの、カズマ......。危険なのは分かっているのですが、私に一度だけチャンスをもらえませんか? 皆は砦の中で待機してくれてて大丈夫です。どこかに隠れながらウォルバクを待ち構えて、次にやって来た時には、先に爆裂魔法を撃ち込んでみせますから」
そう言って、珍しく神妙な顔で頭を下げた。
......まったく。こいつらは、どいつもこいつも。
「......敵感知スキルや千里眼スキル、そして潜伏スキルを持つ俺がいた方が待ち伏せの成功確率はぐっと上がる。一緒にいてやるから、敵が現れたらその時は頼むからな」
俺の言葉が意外だったのか、めぐみんが目を丸くした後、徐々に口元に笑みを浮かべ。
「任せてください!」
嬉しそうに紅い瞳を輝かせためぐみんは、小さな体で胸を張り、これ以上にない頼もしさを見せつけた。
3
次の日。
砦近くに広がる森の中で、大きな木の上によじ登った俺は砦周辺を見渡していた。
「あんな近くにまで魔王軍が接近してんのか」
砦から数キロほどの近場の森に、魔王軍らしき連中が陣を張って居座っている。
どんなモンスターがいるのかまでは分からないが数が多い事だけは理解した。
あれがこの砦を襲ってきたなら、確かに頑強な外壁や罠でもなければアッサリ陥落してしまうだろう。
登っていた木から降り、めぐみん達に様子を伝える。
「砦の人達から聞いた話では、ウォルバクは爆裂魔法を放つ際、いつも一人で来るそうだ。そこで作戦を考えた」
俺は皆を見回しながら。
「まず、俺の潜伏スキルでこの辺りに隠れ待ち構える。相手が気付かない様ならめぐみんが魔法で一撃。万が一こちらに気付いたら、ゆんゆんは光の屈折魔法でめぐみんの姿を隠しつつ、アクアの支援を受けたダクネスが前に出て注意を惹く。俺とアクアはダクネスの援護をしながら隙を作る。めぐみんは、いけると思ったらいつでも相手に魔法を撃ち込んでくれ。......これでいいか?」
作戦を再確認すると、それぞれがやる気に満ちあふれた顔で......、
「カズマさんカズマさん、私思うんだけど、誰かこの子を守る役目の人がいると思うの。だって、こんなにも可愛らしくも小さな命を危険に晒すわけにはいかないわ。......ねえ、痛いんですけど。他の皆には懐くクセに、どうしていつも私にだけ爪を立てるの?」
一人アクアだけが、ちょむすけを抱く手に爪を立てられ痛そうに顔をしかめていた。
普段は大人しい毛玉なのに、今日は朝から興奮し、皆の後に付きまとってくるのだ。
危険なので部屋に置いてこようとしたのだがどうしても付いてきてしまう。
やたら落ち着きのないちょむすけをゆんゆんに預かってもらうと、俺はアクアとダクネスに。
「よし、これで準備は整ったな。後はウォルバクとかいうヤツを待つだけだ」
「ねえカズマ、私腰が引けてきたんだけど」
「お前、ここに来る前は威勢の良い事言ってたクセに」
──俺達が森に潜伏しどれだけの間待ったのか。
砦近くの森に潜む俺達の前方に、噂に聞いた魔王軍の幹部が現れた。
深くフードを被ったそいつは野暮ったいローブで身を隠し、砦へ向けて悠然と歩いてくる。
体の線がほとんど隠れているにも拘わらず、それが女性だという事は確認できた。
ゆっくりと歩いてくるのは、こちらが迎撃しようと接近すれば、遠距離からの爆裂魔法でいつでも先制できる余裕からだろう。
そして魔法を放った後は、テレポートで逃げればいいと。
「何て嫌らしい戦法を取るんだ。正々堂々と戦えないのか」
「もしそれを聞いたなら、あの幹部もお前にだけは言われたくないと言いそうだな」
思わず漏らした俺の言葉にダクネスが律儀にツッコんでくる。
そのダクネスにアクアが支援魔法を掛ける中、ローブの女は歩みを止めず。
そこが砦に爆裂魔法が届く射程距離なのか、離れた場所で足を止めた。
「おいめぐみん、今の内にこっそり魔法唱えとけ。相手の言い分を聞いてやるまでもない。油断してる隙に先制して終わらせようぜ」
「ついさっき、正々堂々と戦えないのかと言っていたのにこれですか。なかなか狡っ辛い作戦ですが、まあいいでしょう。ダクネスには出来るだけ爆裂魔法を喰らって欲しくはないですからね」
今から凄いのを喰らうかもしれないとダクネスが何だかほこほこしてるが、アイツには悪いがさっさと倒して帰るとしよう。
と、その時だった。
ローブの女はふと何かに気付いた様に、こちらに真っ直ぐ視線を向ける。
俺の潜伏スキルを見抜かれたのか?
そのまま動かないでいると、やがてこちらに歩みを進め......。
「気付かれた! めぐみん、もう堂々と魔法を唱えてやれ! 相手に魔法を使われる前にこっちが先に叩き込んでやれ!」
「任せてくださいカズマ!」
めぐみんが魔法の詠唱を始める中。
「きゃっ、ちょ、どうしたのちょむすけ!? 急に暴れ出したりして!?」
ゆんゆんが抱きかかえていたちょむすけが、そこから抜け出そうと暴れていた。
この毛玉がなぜ暴れ出したのかは分からないが、今はそれどころじゃない。
めぐみんが魔法を唱えるまで、こっちに注意を惹かないと!
「ダクネス、アクア! しばらくの間時間稼ぎだ!」
俺は二人に声を掛け、茂みの中から飛び出した。
何度も首を傾げ、訝しげにこちらに近付いてきた魔王軍の幹部が、いきなり現れた俺の顔を見て、驚いた様に立ち止まる。
「ねえカズマ、私はもしもの時に備えて後ろで待機してた方がよくないかしら。だって私にもしもの事があったらあんたも生き返れないんだからね!? ねえ聞いてる!?」
「いいからとっとと付いてこい! どうせ爆裂魔法なんて食らったら俺の場合欠片も残らねーんだ、邪神を名乗ってるヤツの相手ができそうなのって、不本意だけどお前しかいないんだよ!」
泣き顔のまま今にも逃げ出しそうなアクアを連れて、俺は魔王軍の幹部と対峙した。
やがて遅れて飛び出して来たダクネスが、俺達を庇う様に前に出る。
......だが、襲ってくるかと思われたフードの女は、わずかに覗く口元に驚きの表情を浮かべたまま動かない。
「......なんだ? こっちを見て驚いてるみたいだが。魔王軍の間でも顔と名前が売れてきた俺を見て怯えてるのか?」
「こんなおもしろおかしくも珍しい顔をした人は初めて見たって驚いてるのかも」
余計な茶々を入れるアクアをどうしてやろうかと思っていると、立ち止まっていたフードの女は被っていたフードをまくり、顔を覗かせた。
──フードの下から現れたのは赤い短髪と猫科の様な黄色い眼を持つお姉さん。
そう、何度も風呂で一緒になった、あのお姉さんがそこにいた。
それと同時に俺達の後ろから、なぜかゆんゆんの驚きの声が聞こえてくる。
「......あなた、こんな所で何してるの?」
「それはこっちのセリフですよ。お風呂好きのお姉さんじゃなかったんですか?」
まあ正直言うと、ほんのちょっとだけそんな予感はあった。
魔王軍関係者という事は前々から分かっていたのだ。
そしてアルカンレティアで魔王軍の幹部であるハンスとタメ口で喋っていたし、昔の事なので確信はもてなかったが、ハンスがあの時、このお姉さんの事をウォルバクと呼んでいた気もする。
今にして思えば、一緒に同じ風呂に入った仲でありどこか嫌いになれないこのお姉さんの事を、俺達の敵だと認めたくなかったのかもしれない。
お姉さん......いや、魔王軍幹部のその人は。
「そういえば、まだあなたには名乗ってなかったわね。私の名前はウォルバク。魔王軍幹部の一人にして、怠惰と暴虐を司る女神、ウォルバクよ」
猫の様な黄色い瞳を細めながら、威圧感たっぷりに宣言した。
......参ったなあ、俺はこの人と戦うのか。
「......あの、実は俺、お姉さんが魔王軍の関係者だって事は知ってたんですよね。で、本当はあなたに聞きたかった事があるんですよ。俺からすると、あなたは悪い人には見えないんですけど、どうして魔王軍の幹部なんてやってるんですか?」
俺の素朴な疑問に。
「どうして、ね。こんな時には、こう言うのがセオリーなのかしら?」
そう言って、おかしそうに微笑を浮かべ。
「それが聞きたいのなら、私を倒してからにする事ね」
そんな事を言いながら、少しだけ寂しそうに儚く笑った。
くそ、やっぱりやるしかないのか?
その儚い笑顔を見た俺は、何だか胸が痛くなり、この戦いはどうにか回避できないかと......。
「──ねえ。何か意味深な事言ってミステリアスな空気を醸し出してるけど、あんたちょっと待ちなさいよ。どうやら一応は神格があるみたいだけど、何よ怠惰と暴虐を司る女神って。物事は正確に伝えないと誇大広告で訴えられるのよ。ちゃんと邪神を名乗りなさいな」
思っていたその時。
怯えていたはずのアクアが真面目な空気をぶち壊し、突然そんな事を言い出した。
まさか初対面の相手にこんな暴言を吐かれるとは思わなかったのか、ウォルバクが少しだけ戸惑いを見せる。
つか、コイツ今、神格があるとかどうとか言ったな。
という事は、目の前の相手は適当に名乗ってるわけじゃなく、本当に邪神なんて代物なのか?
「私は怠惰と暴虐なんていうあまり印象の良くない感情を司っているだけで、元はれっきとした女神なの。別に誇大広告なんてしてないわよ?」
「噓吐いた! ねえカズマ、今この自称女神が噓吐いたわ! この世界で正式に女神として認められてるのは、私とエリスのたった二人だけなのでした! 謝って! 勝手に女神を自称して、清く美しくも尊い女神の名を穢した事を、ちゃんと私に謝って!」
常日頃から俺に自称女神と呼ばれるアクアが、ここぞとばかりに騒ぎ立てる。
最初は戸惑いを見せていたウォルバクが、きりきりと眉を吊り上げた。
「ちょ、ちょっといきなりどういう事? 私は確かにその昔、れっきとした女神だったわ。魔王軍に所属してからは、アクシズ教団とかいうおかしな連中に勝手に邪神認定されて以来、仕方なく邪神を名乗ったりもするけれど! だからといって、初対面のプリーストにそんな事言われる筋合いはないからね!」
「あんた今ウチの子達をおかしな連中って言ったわね! この世界では知らない人なんていないアクシズ教団をバカにするだなんて、あなた本当に神の端くれなの? そもそも信者だってちゃんといるの? プークスクス、私ウォルバクなんてマイナー神の名前、聞いた事がないんですけど!」
煽りに煽るアクアに対し、ウォルバクがブルブルと震えだした。
「ひ、ひ、人の身でありながら神をバカにするなんて、ただで済むとは思わない事ね! 仮にもプリーストの端くれならば、他宗派の神とはいえ礼を尽くすものよ!」
激昂するウォルバクに、アクアがファサッと髪をかき上げた。
「人の身? この私が人の身ですって? そんな節穴な目をしているから自称女神呼ばわりなんてされるのよ!」
お前だって鶏の卵を売りつけられる節穴な目をしてるじゃないかとツッコみたいが、アクアは身に纏っていた羽衣をこれ見よがしに強調し堂々と胸を張る。
そしていつになく強気のアクアは、ウォルバクを前に名乗りを上げた。
「私の名はアクア。そう、アクシズ教団が崇める御神体にして水の女神、アクア! 聞いた事もない様なマイナー神ごときが、この私に意見するだなんておこがましいわよ!」
「えっ!?」
ドヤ顔を決めるアクアを、驚き固まっていたウォルバクがしげしげと見返した。
「......あなた、神の名を騙ると罰が当たるわよ?」
「謝って! 騙りとか言った事を謝って!」
邪神にすら女神だと信じてもらえないアクアが怒り、ウォルバクに摑み掛かっていく。
「ちょっ、止めなさい無礼者、天罰を与えるわよ! たまの休日に目覚めても、やる気が起こらず布団の中でゴロゴロし、せっかくの休みを無駄にする罰とかを!」
「やれるものならやってみなさいよ! あんたがトイレに入った際に、次の人が待ってるのに水が流れない罰を与えてやるから!」
「女神はトイレなんて行かないからそんな罰怖くないわ!」
「私だって毎日がお休みみたいなものなんだから、あんたの罰も怖くないわよ!」
どうしよう。
初対面なのに大人げなく摑み合いの喧嘩をしてるこの二人は、一応は神なんだよな?
神様ってもっと尊くて、偉大な存在だと思ってたんだが。
「なあカズマ。もうこの二人は放っておいてもいいのではないか?」
「俺だってそう思うけど、一応相手は幹部らしいしさすがにそうもいかんだろ......」
俺とダクネスがヒソヒソ囁き合っていると、摑み掛かっていたアクアがとうとう堪えきれなくなったのか、空に向かって手をかざした。
それに伴い辺りに霧が漂い始め、やがて寄り集まった霧が次々と水の球へ変わっていく。
......このバカ、相手を煽って足止めするって目的を忘れやがって!
っていうか、めぐみんは一体何やってんだ、もう魔法はとっくに唱え終えてるはずだろ!?
「どうやら本気で水の女神の力を思い知らせてやらないといけない様ね! あんた邪神のくせに生意気よ! ウチの子達みたいな明るくて前向きで清く正しい自由な信者もいないくせに!」
「こ、こんなに頭が悪そうなのに、本当に水の女神だったっていうの? だけど、私が邪神認定されたのはあなたのところの迷惑な信者のせいよ! それに魔王軍の中にはちゃんと私の信者がいるわ!! あなただって女神エリスに比べれば十分マイナー神のくせに!!」
............。
「『セイクリッド・クリエイト・ウォーター』!」
「てっ、『テレポート』ッッッ!!」
キレたアクアが放った魔法は、辺りに大量の水を呼び寄せた──!
1
ウォルバクの襲撃を受け、アクアが色々とやらかしたその翌日。
「今日は大丈夫です。お願いです、やらせてください!」
昨日はウォルバクを見て攻撃を躊躇しためぐみんが、部屋に来るなり開口一番に言ってきた。
「いやでも、本当に大丈夫なのか? つか、昨日は一体どうしたんだよ。......あれか、相手が人型だからためらったのか? まあ気持ちは分かるぞ、俺だってあの綺麗なお姉さん相手に刀を振り下ろせる自信はないし」
俺の言葉にめぐみんは、ふるふると首を振ると。
「私は相手が人型だろうが幼子だろうが、それが大量の経験値を得られるモンスターであるならば遠慮なく魔法を撃ち込めます。ですが、その......」
何かを言いたそうにしながらも、めぐみんはそれを言い淀む。
昨日からめぐみんの様子がおかしい。
いや、ゆんゆんまでもが何だか思い詰めた表情を浮かべ、部屋に籠もってふさぎ込んでいた。
ここに来る前にもウォルバクという名前に過剰に反応していた二人だ、俺に言えない事でもあるのかもしれない。
「よく分からんが、もうどのみち待ち伏せ作戦はやらないぞ。昨日はどこかのアホが作戦を忘れ、大量の水をぶちまけてくれたからな。おかげで相手を警戒させるハメになった上に、爆裂魔法を喰らってもいないのに外壁にまでダメージ受けたし」
砦近くの森で待ち伏せをしたのがいけなかった。
アクアが呼び寄せた大量の水が、既に崩壊寸前だった砦の外壁にトドメとばかりに襲い掛かった。
一応泣いて嫌がるアクアを壁の補修に行かせたが、それも焼け石に水だろう。
しかしこっちにアクアという女神がいる事を知られたのはマズかった。
日頃ゴロゴロして食っちゃ寝しかせず、近所の子供と遊んだり、長くいるはずのアクセルの街で未だに迷子になるとはいえ、腐っても女神は女神。
昨日あんな事があった以上、待ち伏せは警戒されているだろう。
「......そうですか。ですが、私に出来る事があるなら言ってくださいね? とはいっても、私の取り柄といえば爆裂魔法を撃つ事くらいのものですが」
めぐみんはそう言って苦笑する。
「まあ何にせよ、皆と作戦でも考えるか。まずはゆっくり」
飯でも食って。
俺が、そう続けようとしたその時。
既に聞き慣れた轟音が響き、それと共に砦が激しく揺れた。
──音を聞いた俺とめぐみんは現場に向かってひた走る。
今の音を聞き付けて、他の皆も来るだろう。
と、俺達が現場に着くと──
「人を呼べ! クリエイトアースを使える連中と、ゴーレムを作れるヤツを引っ張ってこい! 急いで壁を補修してくれ!」
そこでは慌てて駆け付けた騎士達と冒険者達が、崩れかけた壁を補修していた。
俺はウォルバクの姿を探そうとするが──
「既に姿が見えませんね。外壁を攻撃した後、魔力回復のため帰還したのでしょう」
俺と同じくウォルバクを探していたらしいめぐみんが呟いた。
爆裂魔法を撃ってテレポートで帰還する。
単純だが、実に効果的な戦法だ。
と、こうしてはいられない。
俺もせめて、クリエイトアースで補修用の土くらいは生み出そうと、外壁に近付くと......。
「──あーっ! ちょっと、これどういう事よ! さっき見た時よりも酷くなってるじゃない!」
突然横合いからそんな声が聞こえてきた。
「......その格好はどうしたんですか、アクア?」
めぐみんが視線を向けた先には、俺達がアクセルの街に来た頃を思い出させる、懐かしの作業着姿で頭にタオルを巻いたアクアがいた。
「どうしたもこうしたもないわよ。カズマが壁を直せって言うから、ちゃんと用意してきたの。それが一体どういう事? まったく、誰がこんな事してくれたのよ!」
「昨日会った邪神だよ。アイツはこの外壁を破壊するのが目的だって説明したろ? 気合い入れた格好してきたなら丁度いい、皆と一緒に外壁の補修をするぞ」
言いながら、俺は地面に空いたクレーターに向けてクリエイトアースで土を作る。
......きっと、毎日こんな作業を続けてきたのだろう。
げんなりとした表情の冒険者や兵士達が、瓦礫を集めてそれを寄せ、どうにか壁の隙間に埋め込めないかと──
「ちょっと、ダメよそんなんじゃ! 外壁の補修はね、まずは壁の中に芯を入れるの。それから、周囲を土で固めてから最後に石膏で塗り固めるのよ。ほら、こうしてこうして、こーするのよ」
俺の後ろではどこか得意げなアクアの声。
昔、外壁の拡張工事のバイトとかやってた頃を思い出しテンションが上がっているのだろう。
そういやアイツ、肉体労働とか好きだったもんなあ。
と、俺がそんなとりとめのない事を考えていると、突如背後から驚きの声が上がった。
何事かとそちらを見れば、めぐみんがせっせと積み上げた土を前に、アクアが外壁の隙間へ向けて──
「早っ!? っていうか上手っ!? えっ、ちょっと待って!? お前何これ、いつの間にこんな見事な補修技術を身に付けたんだよ!?」
驚きの声を上げる俺に向け、今更何を言っているんだとばかりにアクアが言った。
「私を誰だと思ってるの? 冒険者の仕事があるのでお休みしますって親方に言った時、そんなもん辞めてウチで正社員をやらないかって言われたアクアさんよ?」
マジかよ、俺親方にそんな事言われてねえぞ。
いや、今はそれはどうでもいい。
バイト中は余裕がなかったのでこいつの作業風景を見なかったが、あらためて見るとプロも顔負けの腕前だ。
なんでこういった技術に関しては優秀なんだと思うが、今だけはありがたい。
この砦が悲愴感に包まれていたのは、もうすぐ外壁が破られ陥落目前だと思われていたからなのだ。
だからこそ俺達も、危険を冒してウォルバクの待ち伏せなんて手を考えたのだ。
しかし、アクアがほんの僅かな時間で手直しした部分は、むしろ以前よりも頑強に補修されている様にしか見えない。
「なあ、お前これあり得ないだろ。壁補修チートでも持ってんの? 乾くのだって早過ぎじゃないのか?」
「水の女神様を何だと思ってるのよ。水を操って乾燥を早めるくらいはお手のものよ? 私が洗濯当番の時は、綺麗に、しかもすぐに乾いてるでしょ?」
これからはトイレ掃除だけじゃなく洗濯当番もこいつの専門にしよう。
いや、というか──
「......これならいける!」
2
ズンと大きな音と共に、砦内がビリビリと揺れる。
今日もまたご苦労な事だ。
その音を聞いてそわそわしだしたアクアに向けて。
「補修隊長、出番だぞ」
「任されたわ! さあ、皆付いてきて! 今日も隊長の凄いところを見せてあげるから!」
「隊長、お願いします!」
「補修隊長!」
「補修隊長、今日もよろしくお願いします!」
俺の言葉を受けたアクアは、後ろにぞろぞろと冒険者達や兵士達を引き連れて、ウキウキしながら現場へ向かう。
一時的にこの砦の指揮を任されたダクネスから、アクアは補修隊長という謎の肩書きをもらっていた。
「補修隊長。隊長の任務はこの砦の命運を左右する大切なものだ。......その、よろしく頼むぞ」
「分かったわ司令官! 大丈夫よ、だって私は隊長だもの。隊長は偉いんだから邪神なんかに負けないのよ?」
「隊長!」
「さすが隊長! ささ、今日も現場が待ってます! その凄腕を見せてください!」
ダクネスにすっかり乗せられた隊長は、今日もまた嬉々として補修に向かった。
──アクアが補修隊長というなんの権限もなければ金銭も発生しない、形ばかりの役をもらってはや三日。
連日の爆撃にも拘わらず、砦を囲む外壁は日に日に分厚く、そして頑丈になっていった。
あいつはもう、この道で食っていけばいいんじゃないかと思う。
お通夜ムードだったはずの砦の中はすっかり戦意を取り戻し、隊長隊長と煽てられたのがよほど嬉しかったのか、上機嫌のアクアが持ってきていた大量の酒を大盤振る舞いした結果、今や戦勝ムードと化していた。
「......あの、最初来た時の悲愴感はどこに行ったのでしょうか」
「本当に、一晩掛けて悩みに悩んだ私の葛藤を返して欲しい」
そんなアクアを見送りながら、どことなくやり切れない顔の紅魔族。
気持ちは分からないでもないのだが、ここは安全策を取るべきだ。
俺達がこうして時間を稼ぎつつ、しかも日に日に砦が頑強になっていく間に、テレポートを使える魔法使い達が王都に現状を報告していた。
その結果、戦況が膠着状態で、更には増援さえあれば逆転すらできるこの状況に、王都からは連日補給物資が送られ、それと共に応援の冒険者達や騎士達までもが転送されてきている。
盛大に酒を振る舞った事から仮の部下達にも慕われ、皆から砦の命運を託された事もあり、今やすっかりその気になった隊長が、日夜撃ち込まれる爆裂魔法を物ともせず。
やがて、外壁の補修や拡張だけでなく、壁に見事なアートを描き出し遊び心まで加え始めた頃。
「ウォルバクが来たぞーっ!」
いつもとは違う呼び声に、俺達は顔を見合わせていた。
3
「──どういう事なの!?」
砦の正門の前に佇みプルプルと震えているウォルバクに。
「ど、どういう事とは?」
多分、今のところ一番顔見知りで会話も交わした事のある俺が、冒険者達に見守られながらおずおずと声を掛けた。
そんな俺の態度が気に入らなかったのか、ウォルバクがダンダンと足踏みし。
「壁よ、壁! 崩壊寸前にまで追い込んだ砦の壁が、どうしてあんな事になってるの!? むしろ私が来る前よりも分厚くなってるじゃない!」
「それはアクアに言ってもらわないと......」
「またあの女の仕業なの!?」
大量の水に押し流されそうになった事を根に持っているのか、ウォルバクが即座に反応する。
と、その時。
「あらあら、誰かと思えば......ええっと、何とかさんじゃないの」
「ウォルバクよ! ......どうやら、あなたとはここで決着を付けなければいけない様ね!......って、あら?」
俺の後ろから余裕ぶった態度で現れたアクアに食って掛かっていたウォルバクは。
遅れてやって来たダクネス達、いや、ちょむすけを抱いためぐみんとゆんゆんに気づき動きを止めた。
その視線は真っ直ぐにちょむすけへと向けられていて。
そしてちょむすけもまた、ウォルバクから目を離さない。
見つめ合う一人と一匹に向けて、アクアが言った。
「ちょっとあなた、ちょむすけをそんな目で見ないでくれます? そんな顔して可愛いぬいぐるみ系が好きな人なの? ウチのダクネスと同じ趣味なの?」
「おいアクア、私は別にぬいぐるみが好きなわけでは......! わけでは......」
何かを言いたそうにするダクネスをよそに、俺の隣にやって来たアクアがちょむすけとウォルバクの間に立ち、視線を遮る。
「別に可愛いから見ていたわけじゃないわよ、いえまあ可愛いと言えば可愛いんだ......け......ど......?」
と、そこまで言ったウォルバクが、突如として動きを止めた。
「ねえあなた、その黒猫の事を何て呼んだの?」
「ちょむすけよ? 最初はヘンテコな名前だと思ってたけど、最近ではわりかし悪くもないんじゃないかと思えてきたわ」
「おい、こんなに素敵で格好良い名前なのにヘンテコ呼ばわりはやめてもらおうか」
そんなアクアとめぐみんのやり取りにウォルバクが。
「どういう事なの!?」
叫ぶと同時、こちらに向かって歩き出す。
が、それを警戒するかの様な冒険者達の動きに足を止めた。
ウォルバクは、俺達の後ろに並ぶ冒険者達に悔しげな視線を送ると。
「あ、あの、ちょっといいかしら? ......多分その子ってメスなのよ。だから、その名前はどうかと思うんだけど」
「ちょむすけはちょむすけです。私の使い魔にしてペットのちょむすけですよ」
「どういう事なの!? ねえ、本当にどういう事なの!? 私の半身はどうしてそんな目に遭わされているの!?」
わけが分からないとばかりに叫ぶウォルバクに、
「......ははーん。あんた、神格がえらく低いと思ったら、この子に半分くらい力を持ってかれてるのね? ......ほうほう、私のくもりなきまなこでじっくりと見通したところ、ちょむすけには何やら封印みたいなものが施されてるわね」
と、アクアがめぐみんが抱くちょむすけをジッと見詰め、そんな事を言い出した。
それに合わせてなのかは知らないが、ちょむすけがウォルバクの下へ行こうとじたばたと暴れ出す。
「あっ......」
それに対してウォルバクも、自らの半身を求めゆっくりと近付きながら手を伸ばす。
「おい、絶対にそいつ渡すんじゃないぞ! めぐみん、ちょむすけをしっかり押さえといてくれ!」
「ちょっと!? ねえ、その子は私の半身なのよ! 長年探し求めていた相棒との、感動の再会なんだけど!」
俺の言葉にウォルバクが、涙目になりながら訴える。
「ウチのちょむすけをどうするつもりかは知らないが、なら、俺達とは敵対しないと誓えるのか? そして、この砦の事は諦められるのか? そうでなきゃ、相手の力が増す様な事を見過ごせるわけがないだろう?」
言いながら。
「おっと、それ以上近付くなよ? 俺は別にあんたの事が嫌いじゃない。だからこそ交渉するんだ。ほら、こいつを解放して欲しければ俺の言う事を聞くと誓うんだ。仮にも邪神だっていうのなら、その自分の名前に懸けて、もう敵対しませんと誓ってもらおう」
あえて悪辣に笑う俺に、その場の皆がドン引いた。
「「「「うわあ......」」」」
まさかの冒険者達からの引いた声に、何だか酷くあくどい事をしている気になってくる。
違う、これはハッタリだと見抜かれないための演技であって......!
まあいい、昨日今日会ったばかりの冒険者達にどう思われようが、仲間さえ俺の事を見てくれていれば......、
「ねえ、あの人が邪神みたいなんですけど。邪神を泣かせる人って、人のカテゴリーに入れておいていいと思う?」
「おい止めてやれアクア、きっとアイツなりに頑張って交渉しているんだ。今のアイツをあまり見ないでやるのが思いやりだ」
「カズマさん、最低......」
......もう泣いちゃおっかな。
「......今日のところは引くけれど、あまり調子に乗らないことね! 外壁を破壊できないといっても、膠着状態に陥っただけ。私達はこの砦がある限り、これ以上は侵攻できない。でも、あなた達も森の中に陣取る私達に勝つ事は難しいでしょう?」
ウォルバクがそう言って。
「こうなったら持久戦よ! あの壁に描かれた落書きごと外壁を壊し続けてあげるから!」
と、テレポートで帰還しようとしたその時だった。
「あ、あの! 私の事、覚えてますか!? 私、その......ゆんゆんっていうんですけど......」
めぐみんと共にずっと様子をうかがっていたゆんゆんが、突然そんな事を言い出した。
「......覚えているわ。確か、馬車の中で一緒に旅をしないって誘った子よね? ......一応聞くけど、あなたのそれもあだ名じゃないのよね?」
やはりこの人は、俺だけじゃなくゆんゆんとも知り合いだったらしい。
「本名です! あの......。あの時、私を誘ってくれた事、ずっと忘れてません! あの日の日記にちゃんと書いて、たまに読み返したりもしてます!」
「そ、そうなの。そこまで重く捉えなくても良かったんだけど、喜んでくれて何よりよ?」
と、反応に困るウォルバクに。
「あの!」
続いてめぐみんが、ギュッとちょむすけを抱いたまま上擦った声で。
「私の事は、覚えてますか? 私は、めぐみんというのですが......」
だがウォルバクは、困った様に微笑を浮かべ。
「覚えてないわ」
小さくそう呟くと、テレポートで消え去った。
4
──砦内の集会場。
そこに集まった騎士達や冒険者達が、皆ワクワクした表情を浮かべていた。
これまで一方的に攻め続けられ、精神的にも肉体的にもかなり追い込まれてきたはずなのに、その目はギラギラと輝き、期待に胸を膨らませている様だった。
膠着状態に陥ったというのにも拘わらずだ。
そんな彼らはといえば、俺の一挙手一投足を注視している。
皆の視線を浴びながら、俺は声を張り上げた。
「よし、当作戦の最終確認だ! これより俺達三人は、潜伏スキルを使いながら敵本陣に接近し、その後魔法の射程圏内に敵を捉えた後、爆裂魔法を叩き込んでテレポートで帰還する! その後、敵の反撃が予想されるのでこの砦にてそれを迎え撃って頂きたい!」
それを聞いた冒険者達が、皆こぞって歓声を上げた。
ウォルバクは言った。
膠着状態に陥っただけ、と。
だが、こっちだっていつまでも大人しくしている理由はない。
今回の作戦は実に単純明快だが、それだけにとても効果的だ。
なにせ、今まで相手がやってきた戦法である。
「また嫌らしい手を......。まあ、反撃出来るのなら文句はないのだが......」
この砦の中で唯一爆裂魔法に耐えられるダクネスと、支援と回復が出来る上に外壁修理が可能なアクアはここで待機だ。
砦に籠もっていた連中は、今までなす術もなくやられ続けていた事がよほど腹に据えかねていたのだろう。
敵陣に攻撃を仕掛けに行く俺達は、冒険者達や騎士達から口々に激励を受け肩を叩かれた。
テレポート要員兼、いざという時の戦闘員としてゆんゆん。
現場での咄嗟の判断と、潜伏スキルでの迷彩や敵感知スキルによる索敵を担当する俺。
そして火力担当のめぐみんという、たった三人での反撃作戦だ。
──砦の皆の見送りを受け、俺達三人は砦近くに広がる森へと潜伏した。
敵が陣を張っているのは森の中だ。
本来モンスターは森や自然を好むものなので、こういった場所に陣を張り、長期滞在する事は苦でもないのだろう。
だが、これは俺達にとっては好都合。
そこかしこに茂みがあるので、俺の潜伏スキルで隠れ放題だ。
敵陣に近付くにつれ相手の様子が分かってくる。
ウォルバクの攻撃で砦が陥落寸前のためなのか、陣中は既に宴会ムードだ。
と、俺の服の裾がくいくいと引っ張られ、そちらを見るとめぐみんが一つ頷いた。
爆裂魔法の射程圏内に入った合図だ。
俺はゆんゆんに視線をやると、こちらも了解とばかりにワンドを握る。
──さあ、あいつらに逆襲しようか!
5
ウォルバクによる連日の爆撃を目の当たりにして、よほど勝利を確信していたのだろう。
「『エクスプロージョン』──ッッ!」
魔王軍の陣中に必殺の魔法が撃ち込まれる。
既に勝ったつもりで吞気に酒盛りをしていた魔王軍は、突然の攻撃を受けてパニックに陥った。
敵陣の真っ只中に撃ち込まれた爆裂魔法は、爆心地にいたモンスター達を皆等しく吹き飛ばし、その後には巨大なクレーターだけが残されていた。
「なっ......、ななっ、なああああああ!?」
「いい、今のは何だ!? 爆裂魔法か!?」
「敵襲! 敵襲だあああああああ!」
敵陣にいた知能の高そうな二足歩行型のモンスター達が、泡を食って飛び起き警戒する。
だがその時には、既にゆんゆんがテレポートを唱え終えていた。
「あっ! 見ろ、あそこを! あいつらだ、あの二人の紅魔族と......」
「『テレポート』!」
俺達に気付いたモンスターが何かを言い掛けるより早く、ゆんゆんがテレポートを発動させた。
「──大戦果だ!」
テレポートで帰還した俺達は、砦に着くなり皆に聞こえる様に報告した。
これまでに溜まりに溜まった鬱憤が晴らされ、その場の皆が歓声を上げる。
そこかしこでざまあみろという声や、爆発が砦の見張り台からも見えたぞという声が聞こえ、皆が良い表情を見せていた。
と、そんな中。
「予想通り、敵が動き出したぞー!」
見張りをしていた冒険者が、森を指差し声を上げた。
それを見越していた皆が配置に付き、魔王軍の迎撃態勢を取る。
魔王軍の連中は先ほどの攻撃がよほど頭にきたのだろう。
殺気に目をぎらつかせ、ほとんどまともな陣形も組まず、砦へと殺到していた。
ここからは俺達ではなく、チート持ちの冒険者達やこの国の騎士達の出番だ。
あの数を相手に打って出れば厳しいが、砦の防衛戦ならこちらが有利だ。
こういった乱戦ともなれば、もはや俺の仕事ではない。
「腕利き冒険者の皆さーん! 後の事はお願いします!」
その言葉に、魔王軍以上に殺気だった冒険者達が一際大きな歓声を上げた──
──それからというもの......。
「『エクスプロージョン』ッッ!」
「ああああああっ!?」
「またあいつらだ! 逃がすな、捕まえろ!」
「俺の同僚をやりやがって! 生かして帰すな、囲め囲め!」
魔王軍の精鋭たる、鬼やら悪魔やら色んな姿形の連中の、そんな声を聞きながら。
「『テレポート』!」
──毎日バラバラの時間に敵陣へと襲撃を続けた俺達は。
「『エクスプロージョン』──ッッッ!」
「食糧が! 食糧置き場が消し飛ばされたぞ!?」
「ちくしょう、またかよ! 寝起きに襲撃とか勘弁してくれ!」
「ウォルバク様を呼んでこい、あいつらを撃退してもらおう!」
「ウォルバク様は既に爆裂魔法で攻撃を仕掛けた後だ!」
「もうしばらく! もうしばらくの辛抱だ、後少しで砦の壁が打ち破れる! そうしたら一気に雪崩れ込んでそれで終わりだ!」
「今日こそは逃がすな、テレポートを使わせるんじゃ......」
「『テレポート』ッ!」
──日夜、嫌がらせの様に爆裂魔法を撃ち込み続け。
「わははははははは、我こそはアクセル随一の大魔法使い、めぐみん! さあ、今日も私の経験値になってもらおうか!」
「出たああああああ!」
「逃げろ、逃げろおおおおおおお!」
「バカッ、密集するな! あの紅魔族は敵が多いところに撃ち込むんだぞ! 向こうへ行けよ!」
「違う、そっちじゃない! もっと広がってバラバラに......!」
「『エクスプロージョン』────ッッ!」
──レベルが面白い様にどんどん上がり、毎日の様に魔力と爆裂魔法の威力が上昇していく事に快感を覚えためぐみんが、おかしな笑い声を上げながら魔法を放ち始めた頃。
「ふははははは、わははははははは! さあ、今日も私が来ましたよ!」
「よし分かった、降参だ! ほら、飴をあげよう!」
「俺には年老いた母がいるんだ! 命だけは助けてくれ!」
「紅魔族と魔族って名前が似てねえ? なあ、俺達きっと友達になれると思うんだ!」
「話をしよう! そう、俺達はきっと分かり合える。争うなんてバカげた事さ!」
「ほら、武器を捨てたぞ! 誇り高き紅魔族は、まさか無抵抗な相手を」
「『エクスプロージョン』──!」
──敵は俺達の姿を見るだけで。
「めぐみん、あっちだ! あいつらバラバラに逃げてる様で、一つの方に向かってるぞ!」
「了解です! さあ、誰一人として逃がしませんよ!」
「うわああああああ、神様神様、ウォルバク様あああ!」
「俺、生まれ変わったら魔族じゃなくて猫になるんだ......。それで、毎日美人のご主人様に餌をもらって可愛がられて......」
「これは夢だ。そう、目が覚めたらいつも通りに散歩に出掛けて、帰ってくる頃には母さんが狩りたてのブラッドファングでステーキを......」
「おおお、俺は魔王軍準幹部と目されている男だぞ!? 俺を生かしてくれれば、きっと魔王様が身の代金を......!」
「『エクスプロージョン』────ッッッッ!!」
──泣いて逃げ回る様になっていた。
「逃がしませんよ! 逃がすもんですか......ああっ、待てっ!」
「......よし、もう十分だ。今日のところは帰るとしよう」
魔王軍を襲撃し始め、もう何日が過ぎたのだろう。
最初の内こそ爆裂魔法を撃ち込まれると反撃とばかりに砦に攻め寄せていたのだが、今ではすっかり士気も失い、陣を捨てて魔王領に逃げ帰らない事が不思議なくらいの状態だった。
「もう、どっちが魔王軍なのか分からないんだけど......」
俺達に付き合わされたゆんゆんが、引きながら言ってきた。
ここ最近は、めぐみんの姿を見るだけで土下座してきたり、地面に寝転がって目を閉じて祈りだしたり、もはや逃げる事すら敵わないとばかりに様々な反応を見せてくる。
もう撤退すればいいのにと思うのだが、縦社会で上下関係が厳しそうな魔王軍だ。
逃亡は死罪とか、そんなノリなのだろうか。
「困りましたね。これでは効率の良いレベルアップができません」
「一応言っとくが、お前のレベルアップをするためにやってるんじゃないからな?」
既に目的を違えてきてるが、ここらが潮時か。
既に魔王軍の精鋭部隊とやらも、連日の爆裂魔法の前に大半が壊滅状態だ。
砦の外壁に関しても、アクアが冒険者達の指揮を執り、せっせと直し続けていたら、今では俺達が来る前よりも頑丈な外壁になってしまった。
アイツはアークプリーストではなく、芸術職や技術職に就いた方が世の中のためになると思う。
ここまでくればもう大丈夫だろう。
「さて。ではゆんゆん、今日のところは帰りましょうか。爆裂魔法を撃てなかったのは残念ですが、連中が安心して陣に戻ってきた夜中にでも襲撃してやりましょう。テレポートの準備をお願いします」
めぐみんがそう言って、杖を下ろして肩に乗せた、その時だった。
「探したわよあなた達。やっと会えたわね?」
ここ最近は砦の外壁を破壊する事を諦めたのか、すっかり攻めてくる事もなくなったウォルバクが、苦々しい顔をしてそこにいた。
6
ヤバい。
よりにもよってこんな所で、この状況で出くわすなんて。
「今日はあの人はいないみたいね?」
ウォルバクは俺を真っ直ぐ見つめ、くすりと小さく笑い掛けた。
あの人とはウチの駄女神の事だろう。
普段役に立たないアイツだが、この邪神にはそれなりに警戒されていた様だ。
ウォルバクは、俺とめぐみんに視線を止めると、黄色い瞳をスッと細め。
「あなた達は暴れすぎたわね。......これ以上見過ごすわけにもいかないのよ。言葉を交わした相手とはあまり戦いたくはないんだけど、仕方ないわね......」
「ちょ、ちょっと待った! 俺もあんたとは戦いたくないんだよ、何てったって一緒に風呂に入った仲だし!」
「「えっ!?」」
俺の言葉にめぐみんとゆんゆんの二人がハモる。
「......この状況で、あの時の事はあまり言わないで欲しいんだけど......」
「「ええっ!?」」
今は大事な交渉中なのに二人がうるさい。
「あ、あの、何だかその子達に誤解されてるみたいなんだけど......」
「誤解って言っても。二回ほど一緒にお風呂に入って、俺の事を、何だか他人だとは思えないって言ってくれた程度の関係なだけで......」
「言ったけど! 確かに言ったし、一緒にお風呂にも入ったけれど!!」
と、ウォルバクは空気を変えようと目を細め、キッとこちらを睨み付けてきた。
「ここ最近ウチの子達を頻繁に襲いに来るあなたの事、調べさせてもらったわ。ベルディア、バニル、ハンス、シルビア。......この四人の名前に覚えがあるわね?」
ウォルバクが俺が関わってきた幹部達の名前を挙げる。
「ウォルバクさん耳赤いですよ」
「おだまり!」
先ほどの風呂云々のくだりが恥ずかしかったのか、俺の指摘にウォルバクが、耳だけでなくほんのりと頰を赤くした。
「確かにその四人には覚えがある。......けど、あんたと戦う気はあんまりないなあ」
「あなたにはなくても、私としては見過ごすわけにはいかないの。私の半身を返してもらわないといけないし、それに幹部を四人も倒すだなんて、まるでお伽話の勇者みたいじゃない?」
最弱職の勇者ってどうなんだ、俺の必殺技はスティールだぞ。
ウォルバクはそんな俺の内心をよそに。
「それにあなたの名前を知ってからは、ますます見過ごせなくなったわ。知ってる? お伽話に出てきた勇者の名前を」
そう言って、俺の秘密を知っているといわんばかりに、勝ち誇った顔を見せてきた。
「......勇者の話は知らないけど、一応名前を聞いてみても?」
「惚けるのが上手なのね。それとも遠い昔の話だから、もう忘れられているのかしら? お伽話の勇者の名前はサトウ。そう、あなたと同じサトウという名よ。こんな珍しい名前をしておいて、偶然だとでも言うつもりかしら?」
俺の国で一番多い名前ですが。
だが、それで理解した。
ウォルバクは、俺の事を勇者の末裔とかそんな感じに捉えているのだろう。
俺とその佐藤さんとは、全くの他人だと思うのだが。
と、その時。
「あの」
構えていた杖を下ろしためぐみんが。
「私の事、やっぱり思い出せませんか?」
頰を赤くし、瞳を紅く輝かせながら。
だがウォルバクは、そんなめぐみんを一瞥すると。
「......何度も言うけど覚えてないわ。......でも大丈夫。これからは、あなたの事はよく覚えておくわ。数多くの部下を葬った敵対者としてね」
「ッ!?」
そう言って、これ以上の馴れ合いは終わりだとばかりに魔法の詠唱を開始した!
「ちょっ!? おい待てよ、俺達はあんたと戦うつもりは......!」
そこまで言い掛けた俺は、相手が冗談で言っているのではない事に気が付いた。
なぜならその詠唱は──
「ゆんゆん、テレポートの詠唱を!」
「わわ、分かりました、い、今すぐっ!」
爆裂魔法を唱えだしたウォルバクに、ゆんゆんが慌てて魔法を唱える。
めぐみんはといえば覚えていないと言われた事がショックだったのか、それとも別の理由なのか、魔法を唱える素振りもなく。
俺はあれだけ事前に用意しておいた魔道具の数々を、砦に置いてきた事を後悔しながら、何かないかと──!
体中のポケットを探った俺は、そこに突っ込まれていた物を取り出し。
「『ティンダー』ッッッッッ!」
コンパクト化されたそれに魔法を唱え、ウォルバクに向かって投げつけた!
投げられたそれを見て、ウォルバクは魔法を中断すべきか避けるべきか一瞬だけ動きを止め。
それが爆発するのを見届ける事なく、俺は惚けているめぐみんの腕を摑み、ゆんゆんの傍に引き寄せると──!
「『テレポート』ッッッ!」
ゆんゆんの声を聞きながら目を閉じた。
7
間一髪で砦に逃げ帰った俺達は、転移と同時に崩れ落ちた。
「お、おい、どうしたカズマ? というか今日の爆裂魔法は、響いてきた音が随分と小さかったな?」
転移したのは砦の集会場の中だった。
床の上に座り込んだ俺達に、ダクネスが尋ねてくる。
異常に気付いた連中が、慌てた様に俺達の周囲に集まって来た。
「ねえカズマ、どうしたの? 皆青い顔してるけど、あのなんちゃって女神にいじめられたの?」
日頃なんちゃって女神と言われる事を実は気にしていたのか、アクアが隣に座り込む。
「危うく爆裂魔法を喰らうとこだったんだよ。ポケットに入ってた劣化マイトを投げつけて逃げてきた。俺の運が良いって話を、初めて実感したかもしれない」
俺は深々と息を吐き、やれやれと首を振る。
「......おっ、なんだなんだ? お前ここに来て、随分と元気だよなあ。やっぱ自分の半身が近くにいるからか?」
床に座り込む俺の膝上に、ダクネスやアクアと共に置いておいたちょむすけがよじ登ってきた。
ウォルバクの言い分を信じるなら、コイツも邪神の片割れって事になるのだが、今後どう扱えばいいのやら。
「ねえカズマ、劣化マイトって言ったらこないだ作ったアレの事よね? それを投げつけて爆発音がここまで響いてきたって事は、あの自称女神をやっつけたの?」
......そういえば、あの後一体どうなったんだろう。
爆発音が聞こえてきたという事は、不発ではなかったのだろう。
しかし、アレはそこそこの威力はあるものの、魔王軍の幹部を倒せる様な代物でもないと思うのだが。
と、その時だった。
「──すいませんでした」
いつの間にか隣に来ていためぐみんが。
「あれほど、アクセルの街でもこの砦でも、何度も威勢の良い事を言ったのに。敵を前にして魔法を撃てず、本当にすいません......」
そう言って、俺の目をジッと見てくる。
「お前、あのお姉さんと何かあんの?」
俺が何気なく聞いた言葉に、
「......言えません」
めぐみんは、今にも泣き出しそうな顔で辛そうに俯いた。
そんなめぐみんに、俺は──
やっちまったとオロオロし、緊張していた。
やべえ、地雷踏み抜いた。
いやだって、あれだけ攻撃的なめぐみんが躊躇うって事は絶対何かあるじゃん!
むしろ何もないわけがないじゃん、どうしよう、コイツ泣きそうなんだけどほんとどうしよう!
俺が助けを求める様に周りの皆に視線をやると、冒険者達は元より、アクアやダクネスまでもが目を逸らす。
信じられねえ、アクアはともかくダクネスまで。
──と、その時。
「おい、あれってウォルバクじゃないのか?」
それは誰かの声だった。
砦内の集会場の窓から外を見ていた冒険者の一言に、皆がこぞって窓に張り付く。
俺ももちろんそちらに近寄り、皆の視線の先を追う。
そこには、砦に向かって真っ直ぐに歩いて来る、あちこちから血を滲ませたウォルバクの姿。
「あのウォルバクが傷だらけだ!」
「佐藤和真って言ったか。やるなあ......!」
「アクア様から聞いたぞ、あんた、俺達みたいな特典は貰ってないんだろ?」
それを見た冒険者達が口々に褒め讃えてくるが、俺としてはあまり気持ちの良いもんじゃない。
いや、美女だとはいえあれは敵だ、魔王軍の幹部で人類の敵だ。
そう、自己嫌悪に陥る必要はないはずだ、これは正当防衛ってヤツだ。
俺が葛藤していると、誰かが言った。
「なあ、何か弱ってるみたいだし、今なら倒せるんじゃないか?」
それを聞いたチート持ちと覚しき連中は、顔を見合わせ。
「よし、行くか! 魔王軍の精鋭だって大半が壊滅したんだろ?」
「見た目は綺麗な姉ちゃんなんだけどなあ。そうも言ってられないしな」
「甘い事言ってると俺らが死ぬしな。おい、戦える連中は準備しろ! ウォルバクが倒れたら、そのまま魔王軍の残党に仕掛けるぞ!」
と、冒険者としては当然の流れというか。
その場にいた殆どの者が、次々に集会場を飛び出して行った。
その中には、倒しに行くというよりもヤジウマ根性で様子を見に行くつもりなのか、バタバタと冒険者達の後を付いていくアクア、そして、険しい顔をしたダクネスの姿もあった。
......と、集会場を出る際に、ダクネスがちらりと俺と視線を合わせ、コクリと頷く。
何だよ、どういう意味だよ、俺にどうにかしろってか!?
この状況のめぐみんをどうにかしろと!?
残されためぐみんはといえば、ウォルバクが来たとの言葉を聞いた時も反応もみせなかった。
こう、重い雰囲気は苦手なんだよ、今までの人生が軽かったから!
と、俺が勝手にオロオロしていると、まだこの場に残ってくれていたゆんゆんが。
「あの人は、魔王軍の幹部で邪神なんだよ」
そう言って、目を紅く輝かせながらワンドを取り出した。
「あの人は、私を旅に誘ってくれたお姉さんだけど。その事が嬉しくて、日記に書いて何度も読み返して、しばらくの間は断った事を後悔して眠れなかったほどだったけど」
突然の重い独白に、俺とめぐみんがどう答えていいのか固まっていると。
「でも私達紅魔族は、かつて魔王に対抗するために人の手で造られた、最強の魔法使い集団。たとえどんな事情があったとしても、魔王軍の幹部と馴れ合うわけにはいかないわ」
真面目な顔で言葉を続けるゆんゆんだが、この子はたまに一緒にいるところを見る、バニルやウィズの正体を知っているのだろうか。
と、ワンドを手にしたゆんゆんは、そのまま集会場の出口に向かう。
「あのお姉さんとは馬車の中でほんの少しの間お喋りしただけの仲だけど。他の、何も知らない冒険者に倒されるのを見るぐらいなら、私が......。わ、わわ、私があ......!」
クールに決めていたゆんゆんだったが、そこまでが限界だったのか、泣きそうな顔で震えだす。
そんなゆんゆんを前にしても、先ほどもウォルバク相手に何もできなかった負い目からか、めぐみんは何も言わなかった。
一体何を思うのか、めぐみんはいつの間にか俺の膝から降りたちょむすけを捕まえ、それを無言で抱き締めている。
コイツがウォルバクと何らかの因縁があるのは分かっている。
それも、きっと攻撃を躊躇うほどの因縁があるのだろう。
俺はそんなめぐみんに。
「......どうしたい?」
「......えっ?」
まるで、どこかへ遊びに誘う様に。
「俺は事情は知らないけれど」
そんな俺に、戸惑いを見せるめぐみんに。
「お前、あの人と何かあるんだろ? このまま他の連中にやられちゃってもいいのか?」
それは、まるでいつもの散歩に誘う様に。
「そもそも相手がやる気だし、あの人が今後ちょむすけを狙ってきたら、俺達の命も危ないわけで。このまま冒険者達がウォルバクを倒すのは止めないけどさ」
そう言って、こっから先は戦いの邪魔になるだろうちょむすけを、しっかりとこの手に抱き上げると。
「紅魔族っていうのは、美味しいところを持っていくものなんだろ?」
いつの間にか顔を上げ、目を紅く輝かせるめぐみんに。
「自分の手で決着付けたいのなら手伝うぞ」
8
数多の騎士達と冒険者達が見守る中。
俺はちょむすけを抱いたまま、めぐみんと共にウォルバクと対峙していた。
あれだけ殺る気満々だった冒険者達は、チート能力を貰ってガンガン先に進みまくっていたお前らが、そのおかげで知らないであろう凄い店を教えてやると言ったら、皆俺達にウォルバクとの戦闘を譲ってくれた。
伊達にチート持ち連中なわけじゃないらしく、魔王軍幹部の賞金レベルの金は皆とっくに稼いでいるらしい。
何とも羨ましい話だが......。
俺は、後ろで何か言いたげなダクネスやアクアをちらりと見て、視線だけで黙らせると。
「あなた、やっぱり勇者の末裔じゃあないの? 随分と恐ろしい物を使ってくれたけど」
あちこちから血を滲ませローブをボロボロにしたウォルバクから、皮肉じみた言葉を受けた。
「あれは文明の利器ってやつだよ。でも、まさか魔王の幹部相手にそこまでの威力を発揮するとは思わなかったんだけどなあ。今後のために、大量生産しとくのも悪くないかもな」
俺は手にちょむすけを抱いたまま皮肉を返すと。
「なあ、この期に及んでどうして砦に現れたんだ? もう勝負は見えてるし、このまま引き下がる気はないか? 俺としては、ちょむすけを見逃してくれて今後俺達には関わらないと誓うなら、こっそり見逃してもいいと思ってるんだが」
まあ、きっとこの人は受け入れないだろうなと思いながらも、一応言うだけ言ってみる。
「残念ね。あんな武器を大量に生産出来るだなんて聞いたら、ますます生かしておくわけにはいかないのよね。それに、その子を見逃すっていうのも無理な話ね。だってその子の力をもらえないと、このままだと私消えちゃうもの」
そう言って、ウォルバクは俺に薄くなった右手を見せた。
「......アンデッドの類いですか?」
「失礼ね。酷く力を失ったから、このままだとやがて自分の半身に取り込まれちゃうのよ」
自分の半身っていうと、俺が抱いてるコイツの事か?
......あれ?
「聞いてもいいか? もしコイツをあんたに渡したら、どうやって力を取り戻すの? こう、ちょむすけと合体でもすんの?」
俺の疑問にウォルバクは。
「いいえ、自らの手でその子を消滅させるのよ。私は怠惰を司り、その子は暴虐を司る。昔、私とその子が偶然封印を解かれた時に、その子が本能のままに大暴れしてね。その時には、かなりの力を奪ってから封印したはずなんだけど......」
良く分からんが、それってつまりちょむすけを攻撃するなりなんなりするって事か?
猫愛好家な俺としては、それを聞いてしまっては見過ごすわけにはいかなくなった。
と、それまで何一つ喋る事のなかっためぐみんが。
「あなたとちょむすけが封印を解かれた時に、近くに女の子がいませんでしたか? 五歳か六歳くらいの紅い目をした女の子が」
杖をギュッと握り締め、何かを確信したかの様に。
「覚えてないわね」
そんな、突き放す様なウォルバクの言葉を聞いても、めぐみんはジッとウォルバクから目を離さないでいた。
この流れはマズいなあ。
俺はどうにか話を変えようと、やはり疑問に思っていたあの事をもう一度。
「......なあ、こんなに話が出来るのに、どうして魔王軍にいるんだ?」
ウォルバクは、何だか辛そうに息を吸い。
「それが聞きたいのなら、私を倒してからにする事ね」
からかう様な微笑と共に、この間聞いた時と同じセリフを口にした。
分かってはいたけど、やっぱダメか。
戦闘は回避できない流れらしい。
「俺の隣にいるコイツは、もう知ってるとは思うが爆裂魔法の使い手だ。つまり、決着が付いた時にはもう、お互い話が出来る状態じゃないんだよ」
「......そうね。それなら......」
ウォルバクは、クスリと小さく微笑を浮かべ。
「魔王に聞けば教えてくれるわ」
苦しそうにそう告げると、一方的に魔法を唱えだした。
──やべえ、どんどん弱ってく感じだったから、更に時間を稼ごうとしたら先を越された!
俺はめぐみんの詠唱速度を知っている。
今から魔法を唱えても、ギリギリで間に合うかどうかの時間差だ。
と、隣を見るとめぐみんは。
「......本当は、私の事、覚えていてくれたんですね?」
小さな声で呟くと、杖を両手で握り締めた。
詠唱する素振りも見せないめぐみんに、俺は真っ青になりながらもその手を引いて逃げようと......!
「私とゆんゆんに会った時、あなたはあの子の名前を聞いてこう言いました。『......一応聞くけど、あなたのそれ〝も〟あだ名じゃないのよね?』って」
だがそんな俺の手をするりと躱し、未だ詠唱する事もなく、まったく動じずウォルバクに話し掛けるめぐみんは。
「あなたにずっと言いたかった事と、見せたかったものがあるんです」
未だ朗々と魔法を唱え続けるウォルバクに。
「あなたに教えてもらった爆裂魔法。もはや詠唱がなくても制御が可能なほど、誰よりも極める事ができました」
そして、ありがとうと小さく囁いた。
「『エクスプロージョン』────ッッッッ!!」
9
魔王軍は半壊し、それを率いていた魔王の幹部は敗れ去った。
本来なら派手な戦勝祝いでもするとこなのだが、めぐみんの様子がおかしかったのでそそくさと辞退した俺達は。
砦の連中への挨拶もそこそこに、翌日には早々と帰路に就き、砦までの中継地点にあるウォルバクと出会った宿で、俺はベッドの上で腕枕をしながら仰向けに寝そべっていた。
昨日は色々あって疲れたのでとっとと風呂に入って寝たいとこだが、今は女性陣が入浴中だ。
混浴なんだから俺が一緒に入っても法的に何の問題もないはずだと、強引に入ろうとしたら目を紅く輝かせ始めた人達がいたので逃げ帰った。
......今回の戦いはヤバかった。
今までの相手はもうちょっとこう、逃げるとか避けるとか色々手段もあったのだが、爆裂魔法ってのは使われる側になると本気で恐怖を覚えるな。
アレだ、今後めぐみんを本気で怒らせる様な事だけは控えておこう。
俺は帰り道の間中、ずっとくっついて離れないちょむすけを胸に乗せ、何度も自分に言い聞かせた。
......しかし、こいつは結局何なんだろう。
結局あの後ウォルバクは、何も言わずに消滅した。
いくら爆裂魔法とはいえ、魔王軍の幹部級の相手なら多少なりとも何らかの跡が残ると思う。
それがクレーターの跡には綺麗さっぱりいなくなっていたのだが、言葉を交わしたお姉さんが死にかけてるところなんて見たくないし、これはこれでよかったのか?
というか、めぐみんが爆裂魔法を放つ瞬間、ありがとうという言葉を聞いたウォルバクが、ほんの一瞬だけ微笑んだ様に見えたのは気のせいだろうか。
気のせいじゃなければいいなあ......。
というかこのだらけきった顔の毛玉は、自らの半身が消えてもいなくならないのか?
あれだ、今回は急な展開に付いていけなかったり、よく分からない事が多すぎて、頭がこんがらがってくるな。
いろいろと考え込んでいた俺に向け、ちょむすけが鼻先を寄せてくる。
......もう邪神だろうが何でもいいか。
俺を癒やしてくれるのはお前だけだよ......。
人の胸の上で丸くなっているちょむすけを撫で、ゴロゴロと甘えた声を出させていると。
「カズマ、まだ起きてますか? 皆お風呂から上がりましたよ」
と、俺の部屋のドアがノックされ、めぐみんの声が聞こえてきた。
「おお、もうちょっとしたら入るよー」
目を細めて喉を鳴らしているちょむすけを下ろすのが忍びなく、かいぐりながら返事をする。
すると、ドアがそっと開けられた。
「......こんなとこにいましたか。姿が見えなかったので探しましたよ」
部屋に入ってきためぐみんは、胸の上に鎮座しているちょむすけを見て嬉しそうに目を細めた。
めぐみんは後ろ手に部屋のドアを閉め、俺が寝ているベッドの端に腰掛ける。
「今は俺の癒やしタイム中なんだ。コイツを持ってくのはもうちょっと待ってくれ」
「別にその子を連れ戻しにきたわけじゃないですよ。宿の外に出たのかと心配しましたが、カズマの下にいるのなら安心ですから」
めぐみんはそう言って、俺の上に乗っかっていたちょむすけに手を伸ばす。
そして──
「......お、おい。どうしたんだよいきなり」
めぐみんがちょむすけを撫でながら、仰向けになっている俺の隣に勝手に寝そべると、そのままそっと身を寄せてきた。
それに合わせ、まるで空気を読んだかの様に、俺の上に乗っていたちょむすけがベッドから飛び降り床に寝そべる。
そんな俺の戸惑いをよそに、顔を見られない様にするためなのか、頭から布団を被っためぐみんが小さな声で囁いた。
「今日はここで一緒に寝てもいいですか?」
こいつは昨日の事があってからというもの、砦ではずっと部屋でふさぎ込んでいたのだが、今度は一体どうしたんだ。
まあ、知り合いだったみたいだし、そんな相手に爆裂魔法を撃ち込んだのだ。
その気持ちは分からないでもないが......。
「......いいわけないだろ、お前は何を口走ってんの? 何考えてるのか知らないけど、俺を今までのヘタレだと思うなよ? ......そう、俺はこの宿に泊まった時に誓ったんだ。お前かダクネスが次に中途半端な色目を使ってきたら、その時は押し倒してやるってな」
暗い雰囲気にならない様に、冗談めかして言ってやる。
それを聞いためぐみんは、布団の中で一瞬だけ目を紅く輝かせ。
「いいですよ? むしろ、今日はそのつもりで来たのですから」
そんな事を言いながらクスクス笑った。
......本当にどうしたんだこいつは。
というか、こんなに密着した状態で布団の中で息を吐かれると、吐く息で熱がこもって、胸元が熱いんですけど。
何これヤバい、本気でドキドキするんですけど。
というかヤバい、シャレにならない。
このままだと俺の下半身がエクスプロージョンを唱える事になる。
「おい、俺だって思春期の健全な男の子なんだからな? この状況でそういう冗談はやめてくれよ。お前、男ってのはな、こういう事されると勘違いするんだよ。もてない男なんてな、手を握られただけでうっかり好きになったりするんだからな。マジで気をつけろ」
俺は緊張で上擦った声で、布団を被っためぐみんに向きそう告げた。
すると、布団の中でそっと背中に手を回されて、そのままギュッと抱きしめられ。
「私は以前、あなたにちゃんと言いましたよ」
布団で表情が見えないまま、めぐみんのくぐもった声が聞こえてきた。
「私はカズマの事好きですよ、って」
10
どうしてこんな事になったのだろう。
この唐突な急展開はなんなのだろう。
いや落ち着け、やっぱ普段のめぐみんではなく、様子がおかしい。
しかし、この状況に流されたい気持ちも抑えられない。
──というかいきなりの自分語りだが、俺は漫画がとても好きだ。
ライトノベルが好きだ。
ゲームも好きだしアニメも見る。
そして、それらの物を楽しむ時、常々こう考えていた。
なんでそんな美少女に迫られて手を出さないんだよ、お前年頃の男だろうがこのヘタレが、俺なら絶対押し倒すぜ、と。
俺は今、そんなラブコメ漫画の主人公みたいな展開になっている。
そして心から思い知った。
ごめんなさい。今までそんな事考えていてごめんなさい。
俺は今、布団の中で歳の近い少女に抱きしめられ、好きですよと言われたわけだが、こんな時の対処法を教えてください。
と、めぐみんが俺を抱きしめる手に力を込める。
痛いほど締め付けるわけじゃない。
俺に心の内の何かを伝えたいかの様に、キュッと必死にしがみついてくるだけだ。
......何これヤバい。
今の状況は、ちょっと勇気を出せば本当に一線を越えられる状態だ。
いや、越えられるじゃない、越えちゃダメだろ!
考えろ佐藤和真、考えるんだ。
これは以前の様に、ダクネスと一線を越えそうになった時とはわけが違う。
あの時はダクネスは嫁に行く覚悟の上での事だった。
だが今は、二人共が合意の上で一線を越えそうになっている。
パーティーメンバー皆で一緒に生活している今の状況で、俺とめぐみんが一線を越えればどうなるかを考えろ!
おかしいおかしい、やっぱりおかしい。
こいつ絶対様子がおかしい!
というかまだ早まるな。
そう、まだしがみつかれて、好きですよと言われただけじゃないか。
俺は顔が熱くなっていくのを感じながらも上擦った声で、
「お、お前は大人になったら絶対に悪女になると思う。こういう事はな、シャレにならない。お前、アレだよ? こういった事されるとだ、男の人達はもう色々とアレがああなって我慢できなくなるんだよ。今さえ良ければもう後はどうなったっていいやー、みたいな。俺が鋼の精神を持つ真の漢で良かったな。でなきゃお前......」
そうやって、ごまかすかの様に早口で言う最中。
相変わらず、布団から頭は出さない状態で、俺の胸元に熱い息を吐きかけながら。
めぐみんのクスリと笑う声を聞いた。
「......大人になったら? 何を言っているんですか」
そして、俺を抱く手に力を入れ、ちょっと小さな声で呟いた。
「私はもうすぐ15歳。すでに立派な大人ですよ」
俺はもう、何も考えない事にした。
──右腕でめぐみんの頭を抱く様にして、ひんやりと冷たい黒髪に手先を突っ込む。
そしてそのまま手櫛を入れる様に、綺麗な黒髪を手ですいてやる。
するとしがみついていためぐみんが、顔を伏せたそのままで、俺の背中に回していた手を上げていき、後ろ髪を撫でてきた。
俺はめぐみんの背中に両手を回し、その小さな体を抱きしめる。
めぐみんが、抱きしめられて安心でもするかの様に、胸元にほうっと深く息を吐きかけてきた。
......童貞の俺としては、これだけでもう一杯一杯です。
こっから先は一体どうしたらよいのでしょう。
お願いします、誰か教えてください。
まずは慌てず騒がずキスでしょうか?
くそ、サキュバスサービスのシミュレーションを思い出せ!
そんな事を自問自答しながら、俺はめぐみんと抱き合ったまま、お互いに髪を撫で合っていた。
ひんやりと、そしてしっとりとした黒髪が触っていて心地好い。
俺はそっと布団の中に自分の頭を潜り込ませ、暗い布団の中でめぐみんの顔の近くまで頭を下げる。
暗い布団の中なので、互いにどんな表情なのかは見えず。
俺はといえば、千里眼スキルのおかげでめぐみんの顔の輪郭だけはくっきり分かった。
というか、流されるままにここまできたが、本当に、どうして急にこんな事になっているんだろう。
緊張で頭がおかしくなりそうなのと、それと同時に期待で胸が一杯だ。
くそ、胸が苦しくなってきた、ドキドキが止まらない。
そうか、これが恋なのか。
俺はいつの間にかめぐみんの事が好きだったのか。
多分このドキドキは性欲ではないはずだ。
そんな色んな事を考えながら、俺は静かに覚悟を決めた。
大丈夫だ、俺達は資産もあれば家もある。
めぐみんとならきっと上手くやっていけるだろう。
そんな事を考えていると、めぐみんが再びキュッとしがみついてくる。
頭の位置を同じにしたので、しがみつかれるとめぐみんの口元が俺の首筋近くに来る事に。
当然呼吸の度に首筋に、その熱っぽい息がかかり。
俺は、その唇に......!
『めぐみーん! めぐみんどこー? いるー?』
......どうせそんな事だろうとは思ったよ!
廊下から聞こえてきたアクアの声に、俺は布団の中から顔を出す。
ドアの外からは誰かがバタバタと駆ける音。
相変わらず空気が読めないヤツめとイラッとくるが、それと同時にほんの少しだけ冷静になり、そしてちょっとだけホッとしていた。
うん、流されていたらきっと後悔してただろう。
今日のめぐみんは絶対おかしい。
このまま一線を越えていたら、これからの皆との関係が違ったものになる。
そうだ、俺達皆のお守りを作りながらめぐみんが言ってたじゃないか。
『嬉しいですよ。このお守りは願かけなんです。誰も欠ける事なく、ずっと皆で一緒にいられますようにっていう。......アクアにも、いつも感謝してますよ? ずっと一緒にいましょうね』と。
一線を越えたってずっと一緒にはいられるだろう。
でもめぐみんが望むのは、誰ともギクシャクする事はなく、いつまでも皆でいられる様にって事だろう。
なら、これでいい。
女の子とデートすらまともにした事がない俺が、いきなりの一足飛びは早かったという事だ。
『アクア、めぐみんはそっちにいたか?』
ドアの外に、そんなダクネスの声を聞きながら。
俺は、身を起こそうとしてふと気がついた。
めぐみんが、俺にしがみついたまま離れない。
......あれっ。
外で皆が探してるのに、まさかこのまま続行する気か?
「め、めぐみん、アクアとダクネスが......。こ、こんな事してていいのか?」
俺は布団から頭だけ出した状態で、何となくそんな事を。
だがめぐみんは、無言で抱きついたまま離れない。
『あの、めぐみんはきっと一人になりたいんだと思います。私もですが、あのウォルバクって人と縁があったみたいですから......』
ドアの外から聞こえるゆんゆんの声。
『そうか......。まあ宿の外には出ないだろう。アクア、私達は先に寝よう』
『ええー。四人用のカードゲームがやりたかったんですけど......』
ドアの外で交わされるそんな会話はもはや耳には入らず、俺とめぐみんは布団の中でくっつき合った。
お互いいきなり一足飛びに触る勇気はなく、現在は背中を撫で合っているだけの状態だ。
だが、もうここまできてしまったなら俺も今更止まれない。
仲間との絆?
屋敷で皆でいづらくなる?
もうそんなの知るか。
そうだ、キスとかする前にアレを言っとかないとマズいんじゃないのか?
めぐみんは好きだと言ってくれたんだ、俺も甘い言葉の一つも囁かないと。
「め、めぐみん。あれだ、俺を好きだって言ってくれたな。その......、俺もめぐみんの事が好きだと思う!」
これにて完了!
後はもういくところまでいってしまえばいい。
俺が意気揚々と先に進もうとするとめぐみんが、
「......本当に? 私のどこが好きなんですか?」
ふと、それまでずっと伏せていた顔を上げ、少し期待するかの様な表情で見上げてきた。
口説き慣れてもいない童貞が、適当な事を言うものではない。
「......え、ええっと、その......。爆裂魔法だとか......」
「困った時にはとりあえず爆裂魔法を褒めておけとか、適当に思ってませんか?」
俺の言葉にめぐみんが鋭く突っ込んだ。
畜生、慣れない事はするものじゃない、やっちまった。
俺はなぜ、いつもこういった時には雰囲気をぶち壊してしまうのか。
一生童貞のままの呪いでも掛けられているのかもしれない。
だが呆れるかと思われためぐみんは、再び俺の胸に顔を埋めながらくすくすと笑い出す。
「私は、そんなカズマのいい加減なところが好きですよ。自分の力を良く分かっていて、強敵に遭っても変に気取って女性を守ろうとするでもなく、平気でダクネスの陰に入り。それでいて、本格的な悪事に手を染める度胸もなければ、正義の味方なわけでもなく。人が見ていないところではたまに悪い事もすれば、機嫌が良ければ善い事だってする、そんな善くも悪くもない中途半端な普通の人で」
......あれっ、褒められてるのかこれ?
「借金があればせっせと働き、そのくせお金に余裕が出来れば途端に働かなくなり。その日の気分次第で、優しかったりすれば意地悪したりもする。仲間想いかと思えば、そのくせ平気で仲間をトレードしたりもする。機転が利いて凄く賢いのかと思えば、一体なぜそんな事をしたのかと思う様なバカなところも......」
うん、これは間違いなく褒められてないな。
めぐみんは、聞いてる内にどんどん微妙な表情になっていく俺を見ながら心底可笑しそうに笑うと。
「そして、いつも何だかんだ文句を言いながらもやっぱり皆を助けてくれる、本当は優しいのに素直じゃないあなたが好きです。肝心な時になると三枚目になってしまう、今みたいなこんなところも。あまり格好良くなくて、肝心な時に締まらない、そんなあなたが好きですよ」
そんな事を笑って言いながら、俺の背中に回していた手を首の後ろへ移してきた。
窓越しにぼんやりと星明かりが射す中、めぐみんが目を閉じた。
ほんのりと光に照らされるその顔に自然と吸い寄せられそうになる。
いいのか?
もうこれいっちゃってもいいだろう。
そう、ここは異世界。
俺の年齢であれば日本ではまだ学生をやっていただろうが、平均寿命も短いこの世界では、俺達はもう立派な大人なのだ。
俺はもちろんめぐみんだって結婚できる歳なのだ。
大丈夫、責任は取る。
意を決した俺が顔を寄せると──
目を閉じていためぐみんの目尻から、ほんの少しだけ涙が零れた。
「......お、おい。お前無理してないか? 本当に俺の事好きなのか? っていうか、一足飛び過ぎるってんならジェントルな俺はまあほれその幾らでも待てるし! そもそも俺は色々と余裕のある男だからな、金銭的な意味でも経験的な意味でも!」
いきなり涙を零しためぐみんに、思い切り動揺した俺は早口でよく分からない事を捲し立てた。
そんな俺の反応でめぐみんは自分が涙を零していた事に気付いた様だ。
「あっ! ち、違います、これは......!」
めぐみんは慌てた様に身を起こし、目尻の涙を指で拭う。
それを見て、漸く冷静になれた俺は。
「......そういや今夜は、どうして急に訪ねて来たんだ?」
そんな、当たり前の事を今更になってめぐみんに聞いた。
11
俺は自分の両手で腕枕し、仰向けになって天井を見上げる。
「あれは、まだ私がこめっこぐらいの歳の頃......」
そんな俺の隣では、自分の両手をお腹に置いて、同じく仰向けで寝そべっためぐみんが、独白を続けていた。
「紅魔の里の邪神の封印。ある日私が、それを解いたのがきっかけでした」
それは、まだ幼いめぐみんがオモチャで遊ぶ感覚で、邪神ウォルバクの封印を解いた話。
突如として現れたのが、漆黒の巨大な魔獣。
つまり力を封じられる前のちょむすけが、めぐみんに襲い掛かってきたそうだ。
その時、爆裂魔法を使いめぐみんを助けたのがあのウォルバクだったらしい。
幼い頃に初めて見た爆裂魔法は鮮烈で、その時、めぐみんの夢は決まったそうだ。
あのお姉さんは本当に余計な事をしてくれたもんだ。
やがて長い年月が過ぎた頃、めぐみんは爆裂魔法を習得した。
魔法を覚え一人前の紅魔族として認められためぐみんは、あの時に助けてもらったお礼を言うため。
そして、教えてもらった爆裂魔法を習得できた事を報告するため、その恩人を探す事に決め、旅に出た。
しかし──
「私はとても恩知らずです。自分を助けてくれた恩人をこの手にかけてしまいました」
暗闇の中、めぐみんのそんな独白が続いていく。
深い自責の念に囚われているめぐみんは、とても弱々しく、今にも消えてしまいそうで。
「......俺は、自分の国にいた頃、引き籠もりのニートをやってたって言ったっけ?」
ぽつりとそんな事を言った俺に、めぐみんがふと顔を向け。
「ええ、それはまあ何度か聞いた事がありますが。それが......」
何か言い掛けためぐみんに、
「恩知らずな事に関してだけは、俺は他の追随を許さない。親が高い学費を払って私立高に入れてくれたのに、ほとんど学校には行かなかったからな。最初はちょっとサボっただけだったんだよ。土日徹夜でゲームをしてると月曜日が眠くて憂鬱でさ。それで、両親が共働きなのをいい事に、学校をズル休みした」
俺はこれまで誰にも言わなかった、輝かしい経歴を話す事にした。
「最初は一日だけのつもりだったんだ。それが、一月に一度くらい休む様になり、毎週月曜日は休む様になり。やがて気が付いたら、学校に行かなくなっていたな」
思えばなかなかに酷い話だ。
中学校を卒業し、引き籠もりから脱却しようと決意したのも虚しく。
朝、学校に行ったフリをし、両親が仕事に出掛けたのを見計らい再び自宅に舞い戻る。
そして学校に電話を掛け、適当な事を言ってサボりゲームをしていた。
やがて学校から親に連絡がいった事でそれが発覚し、何を言われても動じない、自堕落な引き籠もりに戻るまでそう時間も掛からなかった。
「お前は自分の事を恩知らずだのと言っているけど、最初にウォルバクの封印を解いてやったのもお前なんだろ? そしてウォルバクの半身がお前を襲って、そこを助けられて魔法を教わったと。それ、マッチポンプって言うんだぞ。俺の知り合いのチンピラ冒険者がよくやるヤツだ」
きょとんとしているめぐみんに。
「封印を解いてくれた恩人であるお前に、突然襲い掛かった半身を止める。それは当たり前の事だし、恩に着る必要もない。......お前、そんな事で悩まれた日には、俺なんてどんな顔して親に会えばいいんだよ」
まあ会いたくても、もう親には会えないんだけども。
「だからまあ......。その、何だ。恩知らず度で言えば、俺に並ぶ者はいないわけでさ。それが、特に悩む必要もないお前にウジウジされた日には、俺なんてとんだクソ野郎になるわけじゃん。だから、その......」
自分でも何を言っているのか分からないが、そんな事を言い募る俺に向け、ジッと聞いていためぐみんが吹き出した。
俺の胸に顔を埋め、しばらくの間肩を震わせ笑いを堪え続けている。
「......お前なんなの? 俺なりにお前を慰めようとしてんのに、ほんとなんなの? 人が恥ずかしい過去まで明かしてるってのに、本当お前は恩知らずだよ!」
「すいません、バカにしているわけではないんです。ただ、こんな息子を持った親御さんが気の毒だなと思ったのと、真面目な顔でおかしな慰め方をするカズマがおかしくて」
この野郎!
「慣れない事して悪かったな! お前アレだよ? 悲劇のヒロインぶってるけども、一番かわいそうなのは俺だからな? 傷心を癒やすためだけにヤケクソになって部屋に来られた俺の気持ちも考えろよ」
ぶつくさと文句を言う俺に、めぐみんはなおも肩を震わせ、涙を拭い。
「それじゃあ、今からでも続きをしますか?」
「ししし、しねーよ! 世間ではクズマだのカスマだのいわれのない風評被害を受けてるが、人が弱ってるところに付け込むだなんて、俺はそこまでのクズじゃねーぞ!」
そんな強がりを言う俺に、めぐみんは調子を取り戻したかの様にくすくす笑うと。
「そうですか。それは残念です」
ちっとも残念じゃなさそうに、暗闇の中で眼を紅く光らせて言ってきた。
「......あれだよ、お前があのお姉さんへの負い目を感じなくなって、純粋に俺とそういう事をしたくなったら、俺にはちっとも断る理由はないんだけどな」
ひょっとして凄く勿体ない事をしたかなと思いながら、今更フォローを入れる俺に、めぐみんはいよいよ肩を震わせながら。
「そうですか。それじゃあその時が来たら、また部屋に遊びに来ますね」
そう言って、吹っ切れた様に笑みを浮かべた。
──おかげでスッキリしましたと言いながら、めぐみんが部屋を立ち去った後。
スッキリするどころか火が付いてしまった俺は、布団の中で転げ回った。
「ああああああああああ! 勿体ない事したし、めちゃくちゃ恥ずかしい事言った、うわああああああああ!」
12
とても眠れそうになくなったので、熱くなった頭を冷やしに行く。
風呂へ冷たいシャワーでも浴びに行こう。
正直いって凄く後悔しているが、一時の感情に流されなくて良かったとも思う。
というか、俺はあの流れだとめぐみんと付き合った事になるのだろうか。
なんていうか、俺も好きみたいな事言っちゃったしなあ。
でも付き合うとなるとそれもいいかと思えてしまう以上、自分が考えているよりも好意を持っていたのだろう。
......えっ、俺今日から彼女持ちになるの?
おいおい、マジでリア充になるのかよ!?
「いやいや、落ち着け。昨日からめぐみんは様子がおかしかった。明日からのめぐみんの態度で決めるとしよう」
脱衣場に着いた俺は、自分を落ち着ける様に呟くと......。
「......お前、何してんの?」
「にゃーん」
いつの間にか付いてきていた足下のちょむすけに、ついつい話し掛けていた。
さっきは空気を読んで大人しくしていたかと思えば、今度はどうした風の吹き回しだろう。
まあ風呂嫌いのコイツの事だ、浴場までは......。
「......この中はお前の嫌いなお風呂だぞ? 入ってきても平気なのか?」
遠慮なく後を付いてきたちょむすけをしげしげと見下ろしながら、俺は椅子に腰掛け蛇口を捻る。
冷たいシャワーを浴びながら、俺は今後の事を考えた。
とりあえず、明日以降は何事もなかった体でいくとしよう。
向こうが積極的なスキンシップをしてきたら、大丈夫なんだなと判断しよう。
我ながらどうしようもないヘタレだとは思うがここら辺が妥協案だ。
しばらくシャワーを浴びていると、やがて頭が冷えると共に肌寒さを覚え浴槽に。
風呂に入ってとっとと寝ようと......、
「......お前、こん中入りたいの?」
「にゃー」
湯船の縁に足を掛け、入りたそうにしているちょむすけを、何だか普段と違うなと訝しく思いながらも、洗面器にお湯を入れてやる。
「湯船の中に入ると溺れるからな。この中で我慢しとけ」
そう言って洗面器を置いてやると、温度を測る様にちょいちょいと脚を入れ、やがて中に入って丸くなった。
......なんだろう、この猫は。
いやまあ猫じゃないんだけども。
どうして急に風呂好きになったのかは知らないが、清潔なのはまあ良い事だ。
何だか、あのお姉さんみたいだなあと思いながら、俺はふと。
「ウォルバクさん、湯加減の方はどうですか?」
ウォルバクという名が出た瞬間、ちょむすけの片耳がピクリと動いた。
............。
たまたまか?
それとも、とうとうちょむすけが擬人化するのか?
ひょっとして、こいつが育ったらあのお姉さんに化けたりするのか?
「......まさかなあ」
俺は肩まで湯に浸かると、気持ち良さそうに目を細めているちょむすけを眺めながら。
「......あれっ? つーかお前、今までちっとも成長しなかったのに。なんかちょっとだけ育ってないか?」
やってしまった。
ずっと探し続けていたあの人と、あんな形でお別れする事になってしまったからとはいえ、勢いでとんでもない事をしてしまった。
今日からどんな顔をして会えばいいのだろう。
というか好きだと言ってもらえた以上、私達はもう恋人同士なのだろうか?
言葉遣いや態度をあらためた方が──
「ふあー、おはよーう!」
私を悩ませる元凶が、凄く眠そうにアクビをしながらのっそりと起き出して来た。
寝癖の付いた髪を直そうともせず、帰り支度を済ませたカズマが口を開いた。
「ゆんゆん、もうテレポートで帰ろうぜ」
......本来なら砦からアクセルの街まで一瞬で帰れたところを、せっかく遠出したのだから帰りも温泉に入ってのんびりしようと言い出したのはこの人なのだが。
「それは構いませんけど、いきなりどうしたんですか?」
ゆんゆんがそう尋ねると、途端に挙動不審になる。
「べべ、別にどうもしないけどさ。いや、アクセルの街が恋しいなーって思ってな」
そんな、思ってもいなそうな事を言うカズマに向けて。
「そうね、私も早く帰ってゼル帝に会いたいわ! それじゃあ今日は、パパッと帰って邪神討伐頑張りましたパーティーでもしましょうか!」
多分、理由なんて何でも良くて、皆と騒ぎたいだけのアクアが言った。
「そうだな、今回の事は誇っていい。今までの様に流れで魔王軍の幹部を倒したわけではなく、自ずから討伐に向かい、そして本当に倒してしまったのだから」
今回の遠征で鎧を破壊されてしまったダクネスが、誇らしげに胸を張る。
が、
「でもお前、ハッキリ言って役に立たなかったよな」
「えっ」
早速カズマにツッコまれ、あっという間に涙目に。
「ねえゆんゆん。ゆんゆんも泊まっていくでしょう? まあ、嫌だと言っても帰さないんですけど」
「えっ!? あ、わ、私ですか!? えっと、その......。参加してもいいのなら、それはもう喜んで......!」
と、今晩は宴会ムードという流れに染まったその時、カズマが言った。
「あっ、俺、今日は外泊するから」
アクアでもあるまいに、なぜそんな空気の読めない事を言うのだろう。
「外泊とは、また一体どこへ行く気だ? というかお前は、たまにどこかへ遊びに行くがいつも何をしているんだ?」
「えっ!? そそそそれはまあほらあれだよお前、男同士の付き合い的な?」
挙動不審になるカズマに、紅魔族の勘が何かを訴えてきた。
「男同士の付き合いですか。では、その人達も呼べばいいのでは? せっかくのパーティーですから、人は多ければ多いほど良いでしょう」
「えっ!?」
カズマが浮かべた、この世の終わりみたいな表情を見て、自分の勘が正しかった事を確信する。
どこで何をする気かまでは知らないが、どうせロクでもない用件だったのだろう。
肩を落としたカズマに近付き、ぽんぽんと背中を叩いてやる。
「まあまあ。頑張ってくれたカズマに、今晩は皆でお酌でもしてあげますから」
「お前、俺が一体どうして外泊しようと思ったか分かってんの?」
恨めしげに言うカズマだが、何の事だか分からない。
「分かりませんよそんなもの。というか、今晩はどこへ行くつもりだったんですか?」
「喫茶店だよ喫茶店。朝までやってる喫茶店だ」
朝までやってる喫茶店?
アクセルの街で、それに該当する店は一つしかない。
確か、店員さん達が若くて魅力溢れるお姉さんばかりの店で......。
「......この男、昨夜あんな事があった後なのに、もの凄い神経ですね」
「ん? どうしためぐみん。眼が紅いけど一体何を興奮してんだ? 昨夜の事でも思い出したのか?」
この男!
......いえ、好きだのなんだのとは言い合いましたが、私達はもう恋人に昇格したのかまでは確認できてはいませんし。
となると、まだ私が怒る筋合いなどないわけで。
「......あそこのお店は色気たっぷりなお姉さんで溢れかえってますよね。何ですか? カズマの好みのタイプはああいうのなんですか?」
「なんだ、あの店知ってたのか? いやあ、好みのタイプっていうか、どうなんだろう?」
そんな、煮え切らない答えに。
「......一応、カズマの好みのタイプを聞いてもいいですか?」
「タイプ? うーん、あんまり考えた事もなかったけど......。しいて言えば、ロングのストレートで胸が大きくて俺の事を甘やかしてくれる人かな」
と、そんな事を平気で口にするのを聞いて、私はどうしてこんな男を好きになってしまったのかと真剣に悩む。
普通あんな事があった後なら、そこは多少なりとも私の特徴を言ってくれていいと思う。
「何だよ、どうした? ため息なんて吐くと運のステータスが下がるらしいぞ」
こんなんだからいつまで経ってもモテないんだと思ったが、まあいいか。
こんな変わり者を好きになるのは私だけで十分だ。
「皆さん、テレポートの準備ができましたよ」
ゆんゆんの言葉に、帰り支度を済ませた皆が集まった。
「おーし、賞金が幾ら掛かってたのかは知らないけど、今回得る予定の報奨金で、しばらくの間連泊するかな!」
連泊して何をする気なのかは知らないが、どうせロクな事でもないのだろう。
私は、そんな事を思いながら。
「『テレポート』!」
──髪を伸ばそうと心に決めた。
それはアクセルの街に帰ってから一週間が経った、ある日の事。
広間の床に皿を置き、ちょむすけに餌をやる俺にめぐみんが。
「......カズマ、ちょむすけにご飯をあげすぎですよ? あまり甘やかされては困りますよ」
「だって、こいついくらでも食べるんだもんよ。たくさん食べて、早く大きくなるんだぞ」
そしてあのお姉さんに成れたあかつきには、また仲良くして欲しい。
あと、爆裂魔法を撃ち込んだめぐみんの事を許してやって欲しい。
「......なんだかよく分かりませんが、カズマに手紙がきてますよ?」
俺に手紙?
「ドラゴンの卵入荷しましたって手紙でしょ? ゼル帝を買ってから、私宛てに毎日の様に手紙がくるわよ?」
詐欺被害にあった家には、同様の詐欺業者が集まってくるという。
「お前に手紙という時点で嫌な予感しかしないのだが。どれ、私にも見せてくれ」
「これです。......というか、この封筒はどこか見覚えがある気がするのですが」
めぐみんがそう言いながら、俺宛ての手紙をダクネスに見せ......。
それを見たダクネスが、バッと手紙を奪い胸元にしまい込んだ。
「......おい、お前人様宛ての手紙に何やってんの?」
「......アクアの言った通り、ドラゴンの卵入荷の手紙だった」
「ほらね! 良かったじゃないカズマ。私のとこにきた手紙にはこう書いてあったわよ?『これを送るのは、ドラゴンを持つに相応しい、見込みのある冒険者だけです』って」
アクアの戯れ言は置いておき、目を逸らしながら手紙を隠したダクネスに。
「おい、手紙見せろ」
「断る」
即答したダクネスが、手紙を抱いて腹の子を守るかの様に丸くなる。
その行動で、俺は手紙の差出人にピンときた。
ダクネスが以前、これと似た様な行動を起こしたからだ。
「アイリスか! その手紙はアイリスからだな!」
「なぜ分かる!? い、いや違う、これはだな──!」
何かを言い募るダクネスの胸元に、俺は遠慮なく手を突っ込んだ。
「なああああ!?」
「ほら見た事か! やっぱりアイリスからの手紙じゃねーか!」
手紙を奪われたダクネスは、胸元を押さえうずくまる。
そこに隠しておけば手紙を取られる事はないと、俺を舐めていたのが運の尽きだ。
俺はもう遠慮などしない男へと生まれ変わったのだ。
ダクネスから手紙を奪った俺は、小さな勝利に満足しながらそれを見る。
王家の家紋が入った封筒を開け、その手紙を広げると──
『拝啓、お兄様へ。最近、王都近くの砦においてまた活躍なされたと聞きました。相変わらずな様で、心配してしまいます──』
序盤の文面だけですら俺をほっこりさせたその手紙は。
『つきましては今やこの国において最も高名な冒険者の一人でもあるお兄様に、ある依頼を出来ないでしょうか』
最後に書かれた一文で。
『実は、私の許嫁である隣国の王子と、近い内に顔合わせがあるのですが、ぜひ、道中の護衛をお願いしたいと──』
俺の手によって真っ二つに引き裂かれた。
あとがき
やったあああああああ、アニメ二期だあああああああ!
と、夜中に喜びすぎてご近所から苦情を頂いた暁なつめです。
この度は九巻をお買い上げ頂きありがとうございます。
冒頭の通り、なんと『この素晴らしい世界に祝福を!』のアニメ二期制作が決まりました。
これもひとえに応援してくれた読者の皆様、そして優秀なスタッフ様のおかげです。
ありがとう、ありがとう!
そして、喜ばしいのはアニメ二期決定だけではなく、『この素晴らしい世界に爆焰を!』がなんと月刊コミックアライブさんにてコミカライズする事になりました。
漫画を手掛けるのは森野カスミ先生!
ドラゴンエイジさんで連載中の本編共々、こちらの方もぜひご期待ください。
テレビアニメの影響なのか、最近は頂いたファンレターの数も増え、それらを収めた箱に毎晩感謝の祈りを捧げる時間もどんどん延びて参りました。
そんな事してないで執筆しろと言われそうですが、これも良いネタを脳内に降臨させる大事な儀式ですので、苦情を言われようがこれからも続けていきたいと思います。
今巻ではめぐみんが凄くめぐみんしてましたが、もっとこう、イチャラブは控えめにいきたいとこです。
硬派を気取っているわけではなく、単に作者の技量の問題だったりします。
苦手な要素にも色々と挑戦しつつ、今後も一時の笑いをお届け出来る様精進します。
というわけで今巻も、三嶋くろね先生、担当Sさん、そして多くの関係者の皆様のおかげで、無事出版出来た事を感謝しつつ。
この本を手に取ってくれた全ての読者の皆様に、深く感謝を!
暁 なつめ
『とあるひよこの必殺芸』
「ねえカズマ、ちょっと聞いてちょうだいな。ゼル帝がとうとう芸を覚えたの」
ちょっと遅めの夕食を終え、皆がまったりとした時間を過ごす中。
ゼル帝を両の掌で包むように大事に持ったアクアが言った。
テーブルの上のボードゲームを睨みつけ、ダクネスと向かい合っていた俺は。
「お前が一流の芸人である事は認めるが、ひよこに芸なんて仕込めないだろ。今は来週の皿洗い当番を賭けて真剣勝負の真っ最中なんだ。悪いが後にしてくれよ」
「ふふ、いつも負け続ける私だが今日は珍しく押している! しかもお前は、先ほどのめぐみんとの対戦で一日一回限定のエクスプロージョンルールも使ってしまった! 勝てる、今日こそは勝てるぞ!」
目を輝かせながらソワソワしているダクネスの言葉を無視し、盤面に注意を向けていた。
そんな俺達から離れた所では、今日も無駄に魔力を使い果たした上に、俺との対戦で頭を使っためぐみんが、ソファーを一つ占領しゆったりと寝そべっている。
くそ、こんな事になるのならめぐみんからの対戦で本気を出すんじゃなかったな。
「アクア、カズマ達は忙しそうですのでなんなら私が見ましょうか?」
「本当? ならめぐみんにだけとっておきのゼル帝の芸を見せてあげるわ」
煩いのが離れてくれたとホッとしながら、俺は再び盤面に集中し、不利な展開をどうやって挽回しようかと思考を巡らす。
「どうだカズマ、そろそろ降参してはどうだ? この戦法は、いつも負け続けている事を話したら、王国の懐刀とまで呼ばれたお父様が必勝の策を授けてくれたのだ」
「お前ん家の父ちゃん大貴族なのに大人げないな、娘の事になると甘すぎるだろ」
普段のダクネスだと油断していたら、思わぬ相手が後ろに控えていたらしい。
ううむどうするか、こっちのシーフを潜伏させて......。
「な、何ですかこれは! ひよこの芸だと思い大した事ないだろうと思っていたら......!」
「ふふ、そうでしょうそうでしょう。だってひよこじゃなくドラゴンですもの、このぐらいは容易いものだわ」
......。
「なあアクア。そいつの芸ってどんなの? ちょっと俺にも見せてくれ」
勝負の真っ最中ではあるが、めぐみんの驚きの声が気になってしまった。
「さっきは見ようともしなかったクセに今更何を言ってるの? 今日のゼル帝の芸は店仕舞いよ。次回の興業は来月になるわ」
「お、おい、そりゃないだろ。ちょっとだけでいいんだよ、っていうかすげえ気になる」
というか、それを見ないと盤面にも集中できない。
「おいカズマ、ゼル帝の芸を見たいのならとっとと降参すればいい。先ほど私も見せてもらったがあの芸はもの凄いぞ。いつものアクアの芸すら超えるやもしれぬものだ」
「......そんなに?」
どうしよう、俺はアクアの芸の凄さについてだけは認めている。
いや、回復魔法と芸しか取り柄がないとも言うのだが。
「アクア、もう一度お願いします! これほどの芸は今までに見た事がありませんよ!」
「ダメよめぐみん、この芸は毎日お手を仕込み続けた私に応えてくれた、ゼル帝の魂の芸なの。おいそれと披露するわけにはいかないわ」
ただ一人その芸を見た事のない俺をよそに、アクアとめぐみんが盛り上がる。
「あの芸を見た時は私も思わずため息を吐いたものだ。カズマ、たった一人だけ見ず仕舞いで本当にいいのか?」
葛藤する俺に対し、ダクネスが挑発的に言ってくる。
「もう見られないのは残念ですが、確かにこの芸はゼル帝に何度もやらせるのはかわいそうですね。体力を使い果たしたのか、今はこうして眠ってしまいましたし」
「でしょう? ゼル帝がその気になってくれないと、こればっかりは......ああっ!? ゼル帝が目覚めたわ! 大丈夫なの!? やるの!? ひょっとしてもう一度やる気なの!?」
「あっ! ゼル帝が! カズマ、ダクネス! ゼル帝がスタンバイしましたよ!」
なんだろう、スタンバイってなんだろう、凄く気になる。
しかもアクアが今日を逃すと次回の興業は来月とか言ってたし。
「お、おいアクア、意地悪しないでこっち来て、ちょっと俺にも見せてくれよ、ダクネス、タンマしてくれ」
「ダメだ、席を外れるのなら負けを認めろ。勝負の最中に中座など認められん。さあ、芸を取るのか勝負を取るのかどっちにする気だ?」
ぐぬぬぬぬぬぬ。
「さあ、いくわよめぐみん。ゼル帝の必殺芸をとくと見なさいな!」
「もう一度アレを見せられてはこの私もゼル帝の魅力に屈してしまいそうです!」
ああ、くそっ!
「分かったよ、負けを認める! おいアクア、ちょっと待ってくれ俺も見るから!」
俺がダクネスに降参すると、アクアとめぐみんが唐突にハイタッチした。
......?
「では見てくるがいい、ゼル帝の必殺芸を」
勝ち誇った顔で盤上のコマをかたずけるダクネスの言葉に、ちょっとだけ嫌な予感を覚えながらアクアの傍へ。
「じゃあ見せてあげるわ、ゼル帝の必殺芸を!」
ドヤ顔のアクアはそう言って、ゼル帝を手の平で包み込む様にそっと乗せ......!
しばらくそれを見ていると、やがてゼル帝が体を丸くし、眼を閉じて眠りに就いた。
「この子ったら、こうしてあげるとあっという間に寝ちゃうのよ。早寝早起き芸のうちって言うでしょう?」
早飯早糞芸のうちの事だろうか。
というかそもそも、手の平で包むと眠ってしまうのはひよこの習性であって芸ではない。
......あれっ、ちょっと待て。
ひょっとしてダクネスとの前にめぐみんが突然勝負を吹っ掛けてきたのも、ちっとも大した事のないゼル帝の芸も......。
「さあアクア、めぐみん。これは約束の報酬だ。しかしお父様も狡い手を考える......。まさか盤上ではなく、勝負の最中に外野を使い降伏を促すだなんて......」
「ちょっと待てよおおおおおおお!」
カバー・口絵・本文イラスト/三嶋くろね
カバー・口絵・本文デザイン/百足屋ユウコ+モンマ蚕(ムシカゴグラフィクス)
この素晴らしい世界に祝福を! 9
紅の宿命
【電子特別版】
暁 なつめ
平成28年7月1日 発行
(C)2016 Natsume Akatsuki, Kurone Mishima
本電子書籍は下記にもとづいて制作しました
角川スニーカー文庫『この素晴らしい世界に祝福を!9 紅の宿命』
平成28年7月1日初版発行
発行者 三坂泰二
発 行 株式会社KADOKAWA
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